NEW TOPICS

  1. HOME
  2. ブログ
  3. COLUMN
  4. オトナはサイコー!?

オトナはサイコー!?

最近、マクドナルドのCMがやたら沁みる。

ダブルチーズバーガーの「オトナノススメ」篇。
漫才コンビ、ドンテコルテの渡辺銀次が、怒髪天の曲を背にして、静かにこう言う。

「渡辺銀次、40歳独身。私は……豊かです」

もともと自分を“貧困層”と漫才で表現していた銀次が、
一転して「豊かです」と言い切る。こう続く。

「豊かさとは、持っているものの多さではない。無駄に使った時間の多さです」

歳とともに自分の半生をふりかえったとき、
「無駄なことはなかった」と言う人はいるかもしれない。
でも、「無駄な『時間』はなかった」と言い切れる人は、
そんなにいないんじゃないかと私は思う。
誰だって「あの時間はなんだったんだろう」と思うような、
遠回りや、無駄遣いな時間を持っているんじゃなかろうか。

「大人はサイコー」
その言葉を、私は受け止めてから、少しだけ考える。
本当にそう言い切れる?

うまくいったことも、そうじゃなかったことも、
その全部をひっくるめて今の自分を「サイコー」と言えるのかどうか、
少しだけ、考えてみる。

ハイスタ再結成、それは青春時代の無駄の召喚だった

いにしえの友人たちとのグループLINEに届いた一言。

「ハイスタやるらしいよ」

その一行で、30年前にライブハウスで転げ回っていた私たちが一斉に蘇った。

ハイスタ、ことHi-STANDARD。
90年代の日本のパンク・ロックシーンを一気に押し広げて、メロコアというジャンルを根付かせた、当時のやんちゃな若者たちのカリスマバンドだ。

あの頃の私たちは、まだ社会のことなんて何も知らない、お気楽な大学生だった。
課題はだいたい締切ギリギリ、あるいはちょっと過ぎてからそれっぽく提出して、
その足で夜な夜な下北沢のライブハウスに繰り出す。

スピードの速い爆音に身体を預けて、
モッシュに巻き込まれ、気づけば終電を逃している。

今思えば、「いや、その時間、他にやることあっただろう」と
はるか遠くから当時の自分に言いたくなるが・・・そのときの私たちは、
あの時間こそがすべてだった。

あの無駄な時間、あの無鉄砲で無敵だったあの時間、あれはなんだったのだろう。
今の私たちは全員、1分でも惜しいと思いながら、自分の生活や家族、仕事など、守るべきものを沢山抱えて生きているのに。

チケットより先に確認したこと

「つかぬことをお聞きしますが、座れる席とかあります?」
グループLINEに、おそるおそる、聞いてみる。

ハイスタのライブで最初に確認することが
席の有無になる日が来るとは思わなかった。

あの頃は前に行くために押しのけていたのに、
今は後ろでいいから座らせてほしい。
今やディナーショーくらいが丁度いいんだから
オールスタンディングのライブは丁寧にお断りだ。

人はこうやって丸くなるのか、と老いをしっかりと実感するが
グループLINEのみんなが着席できるかを気にしていた。
席はあった。30年という月日が流れ、ハイスタのライブに疲れたら腰をおろせる指定席は存在していた。

Tシャツが似合わなすぎて大笑い

無事に席をゲットし、私たちのグループラインは、その後しばし盛り上がった。
気分があがっていたのだろう、普段は買わないライブ用にグッズのTシャツまでオンラインで購入した。
早速、家で着てみた。

……あれ?
鏡の中にいたのは、パンクロックファンではなく
「部活の応援にきた、おふくろ」だった。
頼もしい二の腕は、違う意味でパンクしていた。

若い頃は、BoAの「タイトなジーンズにねじ込む戦うボディ」だったはずなのに、
今は「ゴムウエストに包まれる見事に平和なボディ」に変わっている。

友人たちと、似合わないTシャツトークにゲラゲラ笑いながら「わかるわかる!」と共感しあった。
こうやって自分を笑える豊かさは、歳のなせる技なのかも。


人生背負って大はしゃぎ

LIVE、当日がやってきた。

会場を見渡せば、大半は、「ちゃんと」年齢を重ねたおじさんおばさんたちばかりだった。
みんな、よくぞここまで生きてきましたね・・・涙。

かつてのモッシュボーイたちは、仲間ではなく子どもを肩車している。
夫婦、家族で来ている人も多い。

私たちも同じだ。
夕飯の支度をして、子どもを預けて、
段取りをつけて、ここに来ている。
どこを切り取っても、あの頃の無鉄砲さのかけらもない。
THE計画性の塊だ。

いろんな経験をして、いろんなものを失って、
守るもののことで頭を悩ませ、諦めることも覚えて、
気づけば、あの頃、つまらんな~と思っていた“大人”に、ちゃんとなっている。

指定席に座って、みんなでコンビニで買った大福餅をたべた。
餅をたべるとトイレに行かずに済むらしい。なんだこの光景。
おばさんが4人並んで開演前に餅を食べている、今から梅沢富美男のディナーショーでも始まるのか。

それでも。音が鳴った瞬間、気づいたら飛び上がっていた。
なつかしい曲のイントロが始まると、そこにいた大人たちが一斉に「あの頃」に戻っていた。
「人生背負って大はしゃぎ」って、こういうことか。
背負ってる。めちゃくちゃ背負ってる。そりゃ餅も食う。
前方の席で、さっきまで、つまらなそうにお父さんに拗ねていた子供が、父親と母親の異様な盛り上がりにドン引いている。
老眼も、更年期も、住宅ローンも、子育ても、介護も、いろんなものを背負って、お父さんお母さんはここにいるのだ。
見ておけガキども。

ハイスタのドラム、ツネはもうこの世にいない。
あの頃一緒に同じ音を浴びていた人がいない、いつの間にかそんな年齢になっていた。

30年来の仲間と、今ここで一緒に音楽を聴けること。そのこと自体、もう十分に特別で奇跡なのかもしれない。
私たちは、人生を背負ったまま、爆音で大はしゃぎした。

わかって選ぶ贅沢とは

若い頃の楽しさは、勢いだった。
今の楽しさは、選択しているのかもしれない。
大人の楽しいは、いろんなものの裏返しだ。

疲れるのもわかっている。
翌日しんどいのもわかっている。
これが特に何の生産性もないってこともわかっている。
世知辛い世の中を生き抜く上で、エンタメ消費なんて幻だ。

それでも、そこにお金を出して時間をつかい、束の間の幻をたのしむ。
それって、贅沢だ。

ライブが終わり、現実が戻ってくる。
明日の息子のお弁当のために、お米をとがなきゃいけない。
週明けのGoogleカレンダーは、びっしり仕事が詰まっている。

それでも。
今日みたいな無駄の詰まった一日は、どうしようもなく、贅沢で豊かだった。

・友達と30年越しに同じことで笑える
・似合わないTシャツを見て自分を笑える
・もう戻らない時間ごと、大事に思える

これは、若い頃にはなかった。
帰り道、友達がぽつりと言った。

「今日のこと、忘れないようにしよ。」

やっぱり、オトナはサイコーかもしれない。


[この記事を書いた人]ウナギタレ美(Talemi)

加齢応援マガジンUNATALE編集部員 
姉のタレ子の誘いでウナタレ編集部にジョイン。平日はサラリーマンとして働きながら、市井の人々の人間模様を観察し、コラムのネタにするのが最近の醍醐味。
座右の銘は「ユーモアのない1日は極めて虚しい1日である」

関連記事

人気記事ランキング