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「まだまだ」を手放す日

自分のことを褒めたのは、いつだっただろう。

幼い息子の成長を「すごい、すごい」と褒めながら、頭の片隅でふとそんな問いが浮かんだ。答えは、すぐには出てこなかった。

いつも「まだまだ」「もっと頑張らなきゃ」と、伸びしろばかりに目がいってしまう。これまで積み重ねてきた努力や経験を、私はきちんと認めてあげられているだろうか。

日本にいた頃から、いつも大事な場面で一歩下がってしまう自分が浮かぶ。

褒められることを受け取れる文化

アルゼンチンに来て驚いたことのひとつに、自分を下げて笑いを取ったり、卑下したりする言葉を一切使わないということ。

それは、

他人に対しても。
自分に対しても。
自分の子どもに対しても。

日本では、何か褒められた時に「いえいえ、そんな」と謙遜するのが合いの手。けれどアルゼンチンでは、そんな場面にほとんど出会わない。

皆、褒められることは日常のひとつの当たり前のこととして受けるのだ。まるで自分の魅力を疑っていないような顔で。

自分の子どもに対しても、謙遜という発想はない。

公園で、バスの中で、母親たちが我が子の話をする時、そこにあるのはただの誇らしさだけ。

「本当に優しい子なの」
「この子はサッカーが得意なの」

そんな言葉が、何のためらいもなくこぼれてくる。
それを聞いた周りの母親たちも、気にも留めない。
むしろ、うんうんと頷いている。

その当たり前のような流れに、私は何度も驚かされた。

夫も、当たり前のように嫁を褒める。気恥ずかしくなるような甘い言葉でも、褒めてくれるのは、はがゆくも嬉しいもの。

道を歩いていれば、この歳になっても男性たちから「美しい!」「かわいいね!」とヤジが飛ぶ。もちろんヤジを飛ばすのは私よりずっと年上のおじさんだけど。

なかには、それを煩わしいと思う人もいるだろう。でもこちらでは「声をかけられない日は調子が出ない」と嘆く女性さえいる。

どんな場面でも褒められて当然なのだ、と言わんばかりの社会である。

タンゴが尋ねてくれたこと

タンゴのレッスンを受けていても、同じことに気づかされる。私はどうしても、できなかったことばかりを数えてしまう。

「踊ってみてどう感じた?」
そう聞かれても、私はいつまでも自信が持てず、はっきりと答えられずにいた。

あれができない、これが完璧じゃない、納得できるものではない。そして何より、「これで十分」だとは思いたくなかった。

そんな私に、先生は言った。

「今日のあなたのその踊りは、今までの経験と努力でできているのよ。それだけでもう素晴らしいのよ。」
先生がそう言ってくれた時、私はやっと気づいた。

評価されるべきは、できたこと、やれたことだけじゃない。今ここまで歩いてきた自分自身も、それだけで素晴らしいのだと。

自分を褒めるということは、甘えでも傲慢でもない。これまでの自分の小さな積み重ねを、静かに認めてあげること。

それだけでいい。

「ちゃんと自分を認めてあげられそう?」
タンゴが私にそっと尋ねてくれたのかもしれない。

それではみなさま。

¡Abrazo grande!(あなたに大きな抱擁を。)


[この記事を書いた人]AKANE

タンゴライフアドバイザー・タンゴダンサー・講師

1980年生まれ。日本での会社勤めを経て、35歳で南米アルゼンチン・ブエノスアイレスへタンゴ留学。本場のタンゴから“身体と心のコミュニケーション”の豊かさに魅せられる。

タンゴを通じて「抱擁・リード・呼吸・間(ま)・非言語のやりとり」の哲学に触れ、それを「パートナーとの関係性」「日常の愛情表現」「夫婦の時間」「男女のコミュニケーション」の視点で読み解けないか日々妄想中。

ウナタレでは、アルゼンチンタンゴの抱擁・会話・距離感を通じて学んだ、自分と大切な人との関係を見つめ直す“気づきの時間”をお届けしたいと思っています。

私の好きなブエノスアイレス
https://akanetanguera.com/

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