令和を生きる、勘違いおじさん(事件は深夜のバーで起きた)
勘違いおじさん、それはとても厄介な生き物である。
自分が「おもしろいことを言っている」「イケてる」と壮大な勘違いをしており、セクハラ・パワハラ・モラハラ・ルッキズムなどの完全にアウトすぎることをベラベラと発してくるが、それは私たちにとっては耳障りな不協和音でしかない。
以前、私はそんな「勘違いおじ」への憤りを成仏させるために、いつも以上に力強くキーボードを叩きながらnoteに文章を残した。そしたら、各種方面から様々な「勘違いおじ」エピソードが届いた。やつらはあっちこっちに蔓延っているんだな、社会のお掃除をしなきゃ!と腕まくりしながら、「勘違いおじ」の出来事をnoteでシリーズ化することを決めた。
ちなみに、ここでいう「勘違いおじさん」とは、年齢の定義はないが言動があからさまに「古い価値観」もしくは「誤った価値観」に基づいている人たちのことを指している。本日の容疑者は、私より2−3個下の推定30代前半の子。
事件は、深夜すぎた頃に都内のバーで起きた。
この日、私は名探偵コナンの映画を見て、沖田総司のエキスを大画面から浴びて非常にご機嫌だった。一緒にいた友人との時間も楽しく、ご飯を食べた後に2軒目へ。
そのバーで会話をしたカウンター越しの店員、彼が本日の容疑者である。以下、ヤバーテンダーと呼ぶ。会話の中で、ヤバーテンダーが行きたがっている場所があるのを知り、冗談混じりで私が「今度連れて行ってあげるよ」という発言をした。もちろん全てが冗談の会話ではあるものの、そこに対して彼は(喜びを表現する発言として)ナチュラルにこう返したのだ。
「俺、あなたを何回抱けばいいんすか(笑)」と。
「(笑)」じゃないのよ。全く面白くないし、口角下がりすぎて地面についた。
まず、自分(男)が、相手(女)を抱くかどうか「選べる立場」にある、と自然に思っている思考回路はすぐに終止符を打った方がいい。このままではますます「勘違いおじ」コースに向けて猪突猛進してしまう。百歩譲ってNANAのタクミなら言っても良いけど(いや、このセリフをいうのはシンちゃん寄りか)、三次元の者が口にしてはならない。
社内会議、接待、飲み会、様々な場において私たちは「勘違いおじ」の発言に対して、空気を壊すのを恐れて反撃を我慢することがある。それはもはや日常茶飯事レベルに。私は空気を壊すのが特技だけれど、そんな私ですら今回はすぐに言い返せなかった。お酒が入ると瞬発力が鈍るのだろうか。最大限できたのは、「勘違いおじ 第 1 話」でもやったように、松野一松の表情になることだけだった。
何も言わずにその場を流したせいか、ヤバーテンダーの酔い覚まし発言はその後も何度か続いた。
人は何歳から「おばさん」「おじさん」なのだろうか。その定義は曖昧だ。私はここでは年齢ではなく明らかにアウトな発言をぶつけてくる人に「おじさん」という言葉を使っている。けれど、実際に目の前の誰かを「おじさん」呼ばわりしたりはしたくないし、自分自身のことを「おばさん」と自虐もしないようにしている。リアルの世界でそれをするのはエイジズムになるし、言われた方も困るからだ。なので、私はいくらお酒が入っていようが、自分を「おばさん」なんて言わない。35歳という年齢は絶妙にエロいし最強だ。
けれど、ヤバーテンダーは、またしても面白いと思ったのか、ド直球に私に「おばさん」いや、「ばばあ」という単語を会話の節々に終盤は使ってきたことを鮮明に覚えている。アルコールが入っていようが、私の記憶は飛ばないのだ。いっそのこと忘れていたかった。
私はこの時点で、脳内でストファイの春麗に変身して、気功拳を飛ばしてから空中百裂脚をかましていた。そういえば、偶然にもストファイのTシャツをこの日は着ていたな。
そもそも、これを接客の場でいうのはマナーとしていかがなものだろうか。また、どちらの発言も、「男性」として「女性」をナチュラルに見下しすぎではないだろうか。
そして、女性の価値が「若さ」にあるという前提を無意識に持っているのか、「年上」であることを「ディスり」に使うのも、受け手からしたら全く面白くはない。これは、たとえ年下の女の子が見ていても、同じ「女性」とし不愉快なムーブと思うはず。
けれど、実際に「抱こうか」的な発言やら、年齢いじりの発言、意外とそこら中に残念ながら蔓延っている。なので気づいてください、周りが言ってないだけで「ダサい」と全方位から思われています。
時々、あまりにも「勘違いおじ」がそこら中にいることに絶望的になってくる。なので、最後は希望のある話で締めたいと思う。
今回、ヤバーテンダーが最初の発言をした時、私の隣にいた見知らぬ男性が「その発言は何様だよって感じだよ」とすかさずジャブ打ってくれたことは嬉しかった。彼に、今日良いことがありますように。
そして、今回この話をnoteに書く直前に、その日一緒にいた男友達にも悶々とした気持ちを伝えてみたところ、「一緒にいた自分が、もう少し気を使って言い返すべきだった」と言ってくれたこと。相手によっては、「お前が考えすぎだ、ノリ悪い」などと一撃されていたのかもしれない。歩み寄り、理解しようとしてくれる姿勢は有難いよね。
どんな事件現場でも、当事者が言い返すより、代わりに怒ってくれる人がいた方がはるかに空気は壊れないものだ。当事者は、松野一松の表情になるのが精一杯だったりする。だからこそ、こうして「代わりに怒る人」や、「怒らなかったことを反省する人」も存在していることは、「勘違いおじ・ワールド」という地獄を生きる私たちにとっては、救いの一つではないだろうか。
そして、私自身も誰かの代わりに怒ってあげられる、そんな人になりたい。
[この記事を書いた人]前川裕奈
1989年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。三井不動産に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。その後、 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。