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21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち

平民となった涼子さまが輝き続ける理由~第17週「女の情に蛇が住む?」~

明律大の同期女子の中で、最後まで消息のわからなかった涼子(桜井ユキ)と、寅子はついに再会します。涼子は召使だった玉(羽瀬川なぎ)とともに、新潟市で喫茶店を開いていました。戦前は華族の令嬢として、“何不自由のない”生活をしていた涼子でしたが、空襲に遭い、さらに戦後は華族という階級も廃止され、特権はすべてなくなってしまいます。喫茶店の女主人となり、玉と二人でお客にサーブする日々。今まで、人にサーブしてもらうことしかなかったのに!

それでも涼子さまは、涼子さまでした! 穏やかな笑顔、上品な物腰、凛としたまなざし。すべてを包み込む涼子さまが発するオーラは、神々しいほど。もう華族じゃないのに。その輝きは、いったいどこから来るのでしょうか。

「華族」の看板は、涼子を幸せにしていたか

“何不自由のない”生活、と前述しましたが、実は涼子は非常に苦しかった。周りからは「お幸せそう」「すべてを持っている」と憧れられ、うらやましがられてはいました。でも自分の努力は恵まれた地位のおかげとされて、ちっとも認められない。そして自分の使命はただ一つ、桜川家の後継ぎを産むことだと言われ続ける。男爵家は男性しか爵位を継承できないので、涼子しか子どもがいない以上、彼女が婿を迎えて結婚し、子を産まねば男爵家は断絶してしまうのです。

同じ立場であった母親(筒井真理子)が「何がなんでも子どもを!」と言い続けるのですが、彼女はアル中で、ちっとも幸せそうじゃない。

寅子は素直に「お見合いして結婚して子どもを持つ自分の未来が想像できない」「結婚はワナ!」と言えました。そして、そういう未来を選ばない自由もありました。でも、涼子にはその自由さえなかった。彼女は父親が男爵家を出奔したとき、すべてをあきらめて、家を守ることにしたのです。

元華族の令嬢が、喫茶店で自らハヤシライスを作り、店を掃除し、「いらっしゃいませ!」とお客にサービスする。そんな彼女を見て「おいたわしい」「ご令嬢も落ちぶれたな」と思う人がいてもおかしくありません。

でも、涼子さまにはちっとも「落ちぶれ」感がないのです。生き生きとしている。そして、かつての涼子さまと、どこも違っていないと感じます。

つまり、心が変わっていないのです。

むしろ華族でなくなって、すっきりしたかもしれません。これからは自分らしく生きられる。

「子どもを産むことがあなたの義務」などと言われないで済む!

桜川家、最後の一人として

それより、驚いたのは涼子が離婚していたことです。

「やっぱりねー。男爵家だから婿養子になったんだから、華族じゃなくなれば、去っていくよね」……と、思った人、多いと思います。私もその一人です。でも違いましたね。

夫となった有馬男爵の子息・胤頼は、「お優しい人でした」が「本当の意味での夫婦になれなかった」というのです。

「私はあの方を桜川家から解放してさしあげた」

そうなんです。「子どもをなさねばならぬ」の重圧は、女性だけではなく、男性にもありますよね。このドラマ、こういうことを、さりげなく入れてくるところがすごい!

彼女は桜川家の最後の一人として、男爵家の「終活」をきっちりし終えました。財産を全部整理したのです。そして新潟にあった別荘を処分したお金を元手に新潟で喫茶店「Lighthouse」を開きました。空襲で足が不自由になってしまった玉とともに。英語の店名は気取ってつけたのではなく、そこで英語も教えている。こちらも、玉とともに。

元華族の令嬢が、元召使の足をもむ

車いす生活を余儀なくされている玉は、ハヤシライスづくりなどを手伝っていますが、時々足が痛みます。すると、涼子がマッサージをする。玉に膝まづいて。

「お嬢様に足をもんでもらうなんて……」と済まながる玉に対し、涼子はきっぱりと言います。

「玉が私にしてくれたことを返しているだけよ」

玉がいなければ、私は何もできなかった。自分で自分の荷物を持つこともせず、日傘も玉が差し掛けて歩いた。それを涼子は「当然」だと思っていなかった。だから明律大学に通う道々、涼子は玉に英語を教えていたのです。召使に英語! そんなこと、だれも考えつかない時代です。

「人間の平等」を、本当に信じている人だから

玉は「お嬢様を自由にしてさしあげたい」と寅子に本音を打ち明けます。

介護は一筋縄ではいかない問題。寅子も第三者の自分が結論を出すことではないと感じ、二人でじっくり話し合うことを勧めます。結局、2人は今まで通り一緒に暮らすことに。ただ一つ違うのは、お互いの呼び方です。

「玉」「お嬢様」をやめ、「涼子ちゃん」「玉ちゃん」に。

たとえ男爵家がなくなっても、お屋敷がなくなっても、涼子が玉の足をもんでも、玉が涼子を「お嬢様」と呼び続ける限り、玉はお嬢様の召使で、お嬢様に足をもんでもらうのは畏れ多いことと感じてしまう!

本当に平等な立場で親友となるために、呼び方を変えたのです。

私は思う。涼子さまが涼子さまの品格を常に失わないのは、華族の出身だからではなく、魂が尊いのだと。華族だった時から、だれにでも優しく、そして自分には厳しかった。

その心根が、華族でなくなっても変わっていない。華族だった自分も、華族でなくなってしまった自分も、どちらも卑下していない。

彼女は自分を信じているのです。自分の価値観をまっすぐに肯定している。だから、輝いている!

その輝きは、まるで灯台(Lighthouse)のように明るいから、人々は思わず彼女を見上げてしまうのですね。

涼子さまは、永遠に、涼子さまです!

ところで、「蛇」とは?

今週のタイトルは、「女の情に蛇が住む?」です。このことわざは、「女の情愛は執念深い。 深入りすれば恐ろしいものだ」という意味だそうですが、「蛇」って、なんでしょう。そして「深入り」するのは、だれでしょう。

不気味なのは、美佐江(片岡凛)です。「私の“特別”」と言われた寅子、彼女の心の闇に、関わっていくのでしょうか。

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

「文豪、推敲する~名文で学ぶ文章の極意」(シリーズ「文豪たちの2000字 」より)

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