私ばっかり頑張ってる気がした日、タンゴが教えてくれたこと
どうして私ばっかり頑張っているんだろう?
家事や育児、家庭内のこと、パートナーとの関係の中で、
ふと、「どうして私ばっかり頑張っているんだろう?」
そんな気持ちになることはありませんか。
実は我が家でも、先日その気持ちが引き金になって喧嘩が勃発しました。
そして私は、5日間ほど主婦業を放棄。
「私がやらなきゃ、この家は回らない」
毎日の生活を滞りなく回すために、こんなにも気を配って、頑張っているのに。
どうしてこんなにも報われないんだろう。
そんなやるせない気持ちに対する、私なりの“反乱の5日間”でした。
主人との話し合いを経て、喧嘩は無事に終わったのですが、ふと冷静になったとき、あることに気づきました。
・・・誰も、私に「そこまで頑張れ」とは言っていない。
その意外な事実に気づいた瞬間、
この喧嘩は、静かに終焉を迎えたのでした。
タンゴは「頑張る人」ほど踊れない
タンゴはペアダンスです。
そして振付をなぞるダンスではなく、その場で生まれる即興の踊り。
タンゴには、
・リードする人(リーダー)
・フォローする人(フォロワー)
という役割があります。
リーダーがすべてを決めすぎても、
フォロワーが先読みしすぎても、
ふたりの呼吸は噛み合わなくなり、踊りはたちまち空回りします。
タンゴも、パートナーシップも、二人三脚。
相手の呼吸に耳を澄ませながら、
一緒に“今”という瞬間を紡いでいくもの。
どちらか一方が頑張りすぎている状態では、
軽やかで優雅な踊りは生まれません。
それは、日常の関係性も同じ。
頑張りすぎることは、時にふたりの関係をぎこちなくしてしまうのでしょう。
「私ばっかり頑張っている」と感じるときに起きていること
リードもフォローも、どちらも欠かせない役割。
パートナーとの関係も、同じです。
本来、関係は「持ちつ持たれつ」で成り立つもの。
どちらかの犠牲の上に成り立つ関係は、
豊かさや優雅さを映すことはないでしょう。
もし「私ばっかり頑張っている」と感じたときは、
一度立ち止まってみませんか。
それは、ふたりの役割分担に偏りが生まれているサインなのかもしれません。

タンゴ的・役割分担を見直すヒント
タンゴの視点から、
ふたりのコミュニケーションを整えるヒントをいくつか。
1)先回りしない
「こうしてほしいだろうから、私がやっておこう」
その優しさが、相手の“出番”を奪ってしまうこともあります。
頼まれていないことは、あえてやらない。
2)ゆだねてみる
「私がやるしかない」と思ったときこそ、
相手がすでに担ってくれている役割を見直してみる。
見えていなかった支えが、意外とあるものです。
3)言葉で可視化する
「察してほしい」は、すれ違いのもと。
やってほしいこと、助けてほしいことは、
短く、具体的に言葉にして伝える。
案外、「なーんだ、そんなに頑張らなくてもよかったじゃん」ということも、起こるのです。
タンゴが教えてくれたこと
私たち日本人は、「察する文化」の中で生きてきました。
相手の気持ちを先回りし、自分が引き受け、責任を背負って頑張る。
それはとても日本人らしく、美しい文化です。
けれど、そのやり方は、パートナーとの関係においては、
時に負担やすれ違いを生んでしまいます。
我が家の主人はアルゼンチン人。
「察するって何?」という文化の中で育ってきた人。
一緒に暮らしはじめた頃は、喧嘩もたくさんしました。
けれど今は、はっきりと伝えます。
関係は、頑張ることで深まるのではありません。
分担が整ったとき、自然と呼吸が合い、
関係はスムーズに動きはじめるのです。
「私ばっかり頑張っている」と感じたら、
それは、ふたりの関係を見直すチャンス。
踊りも、人生も、ひとりで頑張るのをやめ、
相手の心地よさに意識を向けはじめたとき、
ようやく、なめらかに、美しく動き出します。
それではみなさま。
¡Abrazo grande!(あなたに大きな抱擁を。)

[この記事を書いた人]AKANE
タンゴライフアドバイザー・タンゴダンサー・講師
1980年生まれ。日本での会社勤めを経て、35歳で南米アルゼンチン・ブエノスアイレスへタンゴ留学。本場のタンゴから“身体と心のコミュニケーション”の豊かさに魅せられる。
タンゴを通じて「抱擁・リード・呼吸・間(ま)・非言語のやりとり」の哲学に触れ、それを「パートナーとの関係性」「日常の愛情表現」「夫婦の時間」「男女のコミュニケーション」の視点で読み解けないか日々妄想中。
ウナタレでは、アルゼンチンタンゴの抱擁・会話・距離感を通じて学んだ、自分と大切な人との関係を見つめ直す“気づきの時間”をお届けしたいと思っています。
私の好きなブエノスアイレス
https://akanetanguera.com/