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人的ストレスを徹底的に排除した世界

ひとり暮らし歴15年

27歳まで実家暮らしだった。

「いつまでいるんだ、早く出ていけ(=自立しろ)」

母親にずっと言われていたけれど、「ひとり暮らしなんて無駄にお金かかってコスパ悪くない?」という考えだったので、聞き流して居座り続けた。
実家が埼玉なので、都内に出るのにさほど不便ではない、というのもある。

付き合っていた彼氏と「結婚前提の同棲」をすることになり、ようやく家を出る。
その後、2度の同棲を経験し、なのに結婚には至らず、初めてのひとり暮らしは35歳。

ひとり暮らしを始めてすぐに気づいた。

これは・・・やばいんじゃないか?

なんなんだ、この快適さは。聞いてないよ。最高じゃん。
こんなのもう、誰とも生活できないじゃん。

そして現在に至るまで、ひとり暮らしを続けてきた。

母の性質から考える人との距離感

うちの母はこんな人。

・死ぬほど寂しがり屋
・絶対に誰かの世話になりたくない(自分の子供含む)
・人にどう思われるかを気にしすぎるゆえに、嫌われたくなくて遠ざける
・自分の意に沿う人間とだけ関わりたい
・人の家にズカズカ入ってくる田舎の人たちが嫌い
・人的ストレスを感じることはとことん避けたい

血を引いている娘としては、わからないこともない。
どころか、共感できることばかり。だからこそ恐怖を感じる。

上の性質を備えた母は、パートをやめて10年経ったいま、ヒマと孤独を持て余し、立派なアルコール性認知症(初期)となった。

やーだー
こわーいー

自分の中の違和感と向き合う

たった1泊の実家ステイで、どっと疲れた。
200%、母への気疲れだ。
ひとり暮らしの家に帰ってきて、ベッドに転がり自分に問う。

「本当にこの生活を手放していいの?」

正直、いまも迷っている。迷ったときは直感に従う。

「快適すぎるひとり暮らしは、一旦手放すべきだ」

27歳まで過ごした実家とは、かなり様相が変わってしまった実家へ戻る。
凄まじくストレスフルな日々であることは、容易に想像できる。
母のメンタルはすでにジェットコースターで、ご機嫌で従順なメッセージと、酔って意味不明なスタンプ連打&「めんどくさい!」と挑戦的に言い放つメッセージが日替わりで送られてくる。

うんざりだ。死ぬほどうんざりだ。
ああ、めんどくさい。まじめんどくさい。

「認知症の家族との同居はやめたほうがいい」

訪問介護サービスを運営する友人からの助言。

わかってる。そうなのかもしれない。でもね。

ずいぶん長いこと、自分に違和感を抱いていた。

コレクティブハウスとか、地縁とか、コミュニティとか、そういう「人とのつながり系」が大好物なくせに、自分の実家から目を背けているってどうなんだろう。
あまりに説得力なさすぎじゃないか?
ダサすぎやしないか?
ダサいのは嫌だ。

プロデューサーとしての手腕

「だれかの居場所を作りたい」
「だれかの居場所を作ることが私のミッション」

ちゃんちゃらおかしい。
まずは、てめえの実家をなんとかしろよ。
自分で自分にツッコむ。

長らく実家と距離を置いていたのは、私と母の価値観が大きく異なるからだ。
聖蹟桜ヶ丘のコレクティブハウスを見学しに行き、そこに住まう人たちの様子を見て感動して泣き出す私と、家族以外の他者とのコミュニケーションを嫌う母とでは、どうしたって会話が成立しない。
お互いがお互いの正しいと思う価値観を押し付け合うのは不毛で不幸。
ずっとそう思ってきた。

でも久しぶりに実家に帰ったら、他者を排除し続けた結果、孤独に苛まれている母親がいた。

ほーらみろ、言わんこっちゃない。
勝ち誇りたい気持ちも無くはないが、そんなことしたってなにも解決しない。

やるべきことは、ひとつひとつ丁寧に対応していくこと。
母に向き合い、解決策を見つけていく。

悪い共同体と良い共同体

わたしがコレクティブハウスの住民を見て泣き出す原体験は、小学4年生まで暮らした文化住宅での暮らし。

小さな借家が十数軒建ち並び、歳の近い子供がたくさんいて、毎日一緒に走り回っていた。
ダンボール滑りも宝探しもドロケイもした。
カブトムシもクワガタも採れるような場所だった。
ジブリみたいな原風景。

母が弟を出産するとき、私は隣の家に預けられ、隣の家のおじさんが入院したときは、母が隣の家の3人の子供の面倒を見ていた。

あの「良い共同体」を作り上げていた大人たちの中に、ウチの母がいる。
あの共同体の中で、日々、他人の温かさに触れ、親以外の大人に見守られながら幼少期を過ごせたことをありがたく思っているんだよ。まずは、母に感謝を伝えなくては。

効率良いことが最も賢い生き方だと信じ、めんどくさい人たちを遠ざけて、心地よい空間を作り上げたら「あれ?結構寂しいかも?」に陥ったのは私も同じ。
母のことは言えない。血は争えない。
それらを取り戻すべく、人間臭い人間界に戻ります。

社会学者の宮台さんが言っていた。

「選択肢が2つある。悪い共同体を良い共同体にする、または別の場所に良い共同体をつくる。そうではなく、悪い共同体にうんざりして、ひとりぼっちで孤独になる。どちらがよいか。」

いま実家は老老介護状態で、大袈裟に言うと、明日、血の海になっている可能性もゼロではないくらい「最悪の共同体」だ。
これを良い共同体に変えられるのかどうか。
もしくは、別の場所に良い共同体を作れるかどうか。
私の「共同体運営プロデューサー」としての手腕が問われる。

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