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50歳からの推し活が、私を救ってくれたお話。

娘が何に夢中になるのかを観察し、それを応援していく中で、思わぬ副産物を得た。それは「推し活」。

昭和世代の言葉に置き換えると、好きな芸能人の追っかけ、が一番近いだろうか。

テレビをあまり見なかった私は、中学生、高校生の多感な時期に流行っていたドラマや歌などにはかなり疎いのだが、唯一、それに近いのは、高校野球とプロ野球の観戦だ。父がテレビでスポーツ観戦を楽しんでいた影響だと思うが、球場に行かないまでも、特別に応援していた野球選手がいた。中学3年生の夏休みに、高校受験を見据えて学校で受ける模試があったのだが、その日はあろうことか、応援している高校の、甲子園での試合があり放送される日だった。私は迷わず模試を欠席し、家で夢中でその試合の応援をしていた。これが私の最初の推し活だと思う。(後日、先生に叱られたのは言うまでもない)

高校野球は、自分が同じ世代になり、大学生になると、次第に熱が冷めていき、代わりになるターゲットも、特段いない状態がその後ずっと続いた。

娘と一緒に楽しむ時間から私の「推し活」が始まった

母になってから、娘が好きなものを一緒に楽しむ時間が増えた。最初は、「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さん、お姉さんだったり、実写の戦隊ものの登場人物だったり、プリキュアだったが、成長と共に変わった。数年前から娘がYoutubeを見るようになり、私にとって未知の領域の、TVとは違うコンテンツに触れる機会ができた。Youtubeは娘の好みに合ったコンテンツを次々と自動的に提案してくるので、娘もすっかり魅了されて、ハラハラすることも正直あるが、どういうものが好きなのかは、わかりやすくなった。

娘の好むコンテンツになるべく興味を持って一緒に見ていたが、親子でも好みは違うもの。面白いなと感じるものもあれば、どう頑張っても興味がわかないものもあった。ある時、娘が気に入っているコンテンツ提供者のイベントが開催されると知り、娘は行きたいと言っていた。さすがに一人で行かせるわけにもいかず、一緒に行くことになった。

イベント当日。ワクワクする娘に付き添いながら、どんな人たちが集まるのか、コンテンツ提供者はどんな人たちなのか、心配もあった。何しろリアルとアナログメインで生きてきた昭和世代である。娘のお気に入りのコンテンツ提供者は、Youtubeで顔を出していないので、得体が知れない。だからこそ保護者の付き添いは必須だと思った。イベント会場に着き、周りを見ると、私たちと同じような親子連れも散見されたし、大学生、高校生?の友達同士も沢山いた。

そしてイベントが始まった。

意外と楽しめた、新鮮なイベント

娘と一緒にYoutubeは見たことはあっても、全く詳しくはない。だが、せっかく来たのだから楽しもうと思った。

正直なところ、楽しもうとは思っていたが期待はしていなかった。だが、想像以上に、面白く、楽しい時間だった。何が面白いって、Youtubeの、画面の中の人が、一気にリアルになったこと。アニメの声優さんは、通常、姿は見えないし、アニメの役になり切っているが、それと違うのは、役になり切っているのではなく本人そのものであることだった。観客は、Youtubeを見てどんな人達なのかを想像し、イベントで実在する人物であることを体感して、一気に親近感がわくのかもしれない。そしてこれは完全にオバチャン目線だが、若くてかわいいなとも思った。

以前、ミセスコンテストに挑戦した時もそうだったのだが、私の今までの人生で触れてこなかった世界の一部に初めて触れた驚きと喜び、というのが一番適切な表現だろうか。

帰りは、娘より私の方が興奮冷めやらぬ状態だった。思春期女子にドン引きされそうだったから、必死で冷静さを保っていたが。

イベントの翌日から、娘には内緒で、Youtubeでその人たちのコンテンツを視聴するようになった。何とも単純なオバチャンである。そして娘と同じように、Youtubeが提案する面白そうなものに、私もまんまとハマった。

そんな風に、仕事の合間にコンテンツを楽しむようになって、半年ほど経った。娘とほぼ同等レベルに、その提供者について話せるようになっていたが、そこから派生して、別のコンテンツ提供者の投稿も楽しんで視聴していた。一応私は「おとな」なので、好みが違うところもあり、私は私で好きなコンテンツはこれだ、というのが次第にわかってきた。

まさか自分が・・・

娘と違うコンテンツを楽しむようになってしばらく経って、その提供者のライブが開催されることを知った。その人も、娘の推しと同じで、Youtube上に存在しているだけで、顔は出していない人である。まさか自分が、そういうイベントに行きたくなるとは思わなかった。コンテンツを通じて人柄やキャラクターはわかってきていたが、私一人でライブに行く勇気がなかなか出なかった。それこそ、どんな人が来るかわからない怖さ。行ったら若者ばかりだったら恥ずかしい。日程や金額は許容範囲だった。

どうしよう。行きたいなぁ・・・と思いながら、1か月がたち、2か月が経った。時々チケット販売サイトを覗いていたが、2部構成のうち1部は完売になっていた。それを見て、焦りとも違うが、やっぱり行きたいという気持ちがむくむくと湧いて、行ってみて浮いたとしても、知らない人ばかりだし、何をどう思われようと関係ないや!と急に割り切れて、チケットをポチっと申し込んだ。

割り切ったとはいえ、やっぱり当日行って、浮きたくはないなという気持ちも残っていたので、当日まで、徹底的に自分を磨き上げようと決めた。ここでまさかの、コンテストに出た経験が活きた(それだけかい!というツッコミは置いといて・・・)。

筋トレは継続していたので、あとはヘアケアとスキンケア、当日着ていく服装の吟味。変に浮足立っていると家族に気づかれないように、ひそかに行動した。服装は本当に悩んだ。観客なので、自分がステージに立つわけではないのだが、シンプルで、自分を一番きれいに見せてくれるものを、手持ちから探すだけでなく、購入も視野に入れて探し回った。結局、ライブ前々日にやっと、服装が決まった。

当日は、夫にも娘にもこういうライブに行くということは秘密にして、旧友とごはんを食べに行くと伝えて出かけた。隠すようなやましいことではないのだが、なんとなく恥ずかしかったし、その人どういう人なの?と質問攻めにあうのも嫌だったからだ。秘密にしている後ろめたさも感じつつ、ワクワクした気持ちで会場へ向かった。

来ているお客さんたちの年齢層はかなり幅が広く、アラフィフの私が浮くのではという心配は不要だとすぐに分かって安心した。学生かな?と思う若い人もいたが、明らかにお母さん世代の人たちが、元々知り合いなのか、何人かで集まって楽しそうに並んでいた。一人で来ている人も大勢いて、もし私が浮いていたとすれば、ちょっと派手な原色のコートを着ていたことぐらいだと思う。

一人でのライブ参加は、最初こそ緊張したが、観客はステージしか見ていないから、気兼ねなく、思ったより楽しめた。迷ったけど、行ってよかったと心から思った。知り合いで来ていた人たちは、ライブ後ご飯を食べたりお酒を飲んだりして、ライブに浸るんだろうなぁ、いいなぁ、と思いつつも、一人電車に揺られながら、マスクの中ではニヤニヤしながら帰った。

大人の「推し活」私見

推し活と一言で言っても、どんな風に楽しむかは人それぞれ違う。世代によっても違うだろうし、応援の仕方や距離感なども色々ある。娘の推し活からきっかけをもらって始まった私の推し活だが、推しを応援することで、自分磨きにつながる思わぬ副産物を得た。

誰かを応援することにはエネルギーが要る。そのエネルギーで、自分が枯渇してしまっては元も子もないが、出したものは帰ってくると考えると、見返りを求めず純粋に応援するエネルギーの循環の中に身を置くことは、自分の幸せにつながる気がする。もちろん、推し活というと、ファンサービスだったり、面白いコンテンツ提供だったり、グッズだったり、応援した見返りが何かしら提供されることが多いのだが、仮にその見返りがなくても、お金をガンガンつぎ込まなくても、気持ちだけでも十分楽しい。そして、他人を応援しつつ、自分自身の推しは、自分でありたいなとも思った。なぜなら、どんな時も常に一緒にいるのは、自分自身だから。ねぎらいも、感謝も、叱咤激励も、愛情も、もっと自分に向けて、応援するエネルギーの循環の中に、自分も置きたいと思う。


[この記事を書いた人]いしだえいこ

なぜかおじさまに好かれる特技を持つ1973年生まれ。

長い独身貴族時代を経ての、晩婚、高齢出産後、良くも悪くも、新たな自分の一面を発見し続け、育児と仕事の傍ら、ミセスコンテストに挑戦したり、現在は推し活を楽しんだり人生を謳歌している。

仕事は傾聴をメインに、メンタリング、カウンセリング、コーチング等を組み合わせた個人セッションを提供中。

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