もっと堂々と美しく、エレガントに
仕事で兼高かおるのことを書くことになって、古い映像など観たり著書を読んだりしました。
「兼高かおる」って知っていますか? 1959年にTBSテレビで最初の海外取材番組を始めた美貌の旅行ジャーナリスト。海外の文化・習慣・風土・自然・人々・動物・食べ物などをテレビを通して紹介し、未知なる世界への扉を開いたパイオニアです。日曜日の朝に放送されていた「兼高かおる世界の旅」は、家族で観る大人気番組となり31年間も続いたのです。
私は小学生の頃、この番組を見ていたのでぼんやりと記憶していますが、私より2〜3歳下の人はもう知らないので、私がギリギリの世代なのだと思います。31年も続いたのだから大人になってからも見ていそうな気がするのに、いつの頃からか見なくなってしまった。
オープニングで「80日間世界一周」の曲をバックにパンナム機が離陸する映像は印象的だったのです。1ドル360円、海外旅行なんか夢のまた夢だった時代、日本人はあのオープニングを見ただけで心がときめいたのです。
先日、当時の映像を見せていただきました。「兼高かおる世界の旅」が人気番組だったのは、海外への憧れと、兼高かおる自身に対する憧れの両方があったと思うのです。彼女は常人では考えられないような冒険をするチャレンジャーだったのですが、話す言葉は「山の手言葉」なのです。砂漠でも秘境でもワンピースを着て、着物での取材も多かった。なにしろ美しくてエレガントな人だったのです。
そんな兼高さんを見ると、私は伯母や墨絵の先生と同じ匂いを感じます。伯母たちは昭和3年生まれの兼高さんよりちょっぴり年上だけど殆ど同世代。あの時代に女学校に通っていた人たちは、生まれた場所や学校が違っても同じような雰囲気があるのです。あれは戦前の教育の賜物なのだと思う。「修身」という道徳教育があった時代の女性たちは、意外にも自立心が強く意志が強く、何より日本語が美しいのです。
伯母や墨絵の先生が存命の頃は、私も美しい日本語を聞く機会がありました。美しい日本語というのは、何も気取った話し方ではないのです。年齢に似合う落ち着きがあって、そこはかとなく漂うエレガンスがあるという感じ。それは、生き方がアグレッシブであることとは決して相反しないのです。そういう人生の先輩が私の周りにも以前はたくさんいたのです。でも、お手本にしたい人生の先輩はみんないなくなってしまった。
私も美しい日本語を話す人間ではないけれど、いい大人が若い子たちみたいな言葉で話すことが好きではありません。私も少しはそんな言葉を使うけど、子供っぽい言葉を多用する人は、自分を「若者」の分類だと思いたい、またはそう見せたいという意識が働いているように見えてしまう。中高生の子供を持っていたりすると、特に家庭ではそうなるかもしれないね。でも本当は、親は子供のお手本にならなくてはいけなくて、子供の側に擦り寄るのは変だと思うの。大人なんだから堂々としていればいいと思うし、大人が示さなくてはならないことってあると思う。
ウナタレ世代は、もっと堂々と、もっと美しく、もっとエレガントであってほしい。そして大人らしい美しい日本語を話してほしい。後に続く若い子たちに「あんな人になりたい」とお手本にされるような人であってほしいと思うのです。
[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ
娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。
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