
発酵系オバサン連盟、ここに爆誕
フネさん、まさかの同級生
サザエさんのフネさん、設定年齢53歳。……え、ウソでしょ? うちらと同い年じゃん。 今どきならTikTokで「53歳フネ、踊ってみた」でバズってるはず。昭和のフネ像は、着物・静寂・家事完璧。 でも今の53歳は?
・推し活に全力
・アラフィフで起業
・50歳でミセスコンテスト出場
・マッチングアプリで新しい恋に挑戦
・夜は副業Zoomで壁打ち
つまり、“オバサン”という概念、もはやバージョン23.0くらいに進化中。
歳を重ねることは、そんなに悪なの?
かつて日本では、女が歳を重ねるということは「静かに消えていくこと」とセットだった。
「はいはい、ワタシなんてもうね〜」と、自ら舞台袖へ退場するのが“良き女”だった。でも、それ、令和の私たちに合ってる? フネさん53歳なら、私たちは日々、こんな感じよ?
・ぬか漬け混ぜながらSlackで会議
・反抗期の娘とバトりながら会社の資料に赤入れ
・炊飯器の蒸気浴びつつ、メルカリに出品
そう、“静かに消える暇など、ないのだ。”
じゃ、なぜ、こんなにも我が日本は「若さ」への執着が強いのか。
それは、資本主義のツヤツヤした罠?
「若返れば幸せになれる」と思わせれば、化粧品もサプリも整形も売れる。シミひとつで「終わってる」なんて脅してくるけど、それ、マーケティングです。 (……いや、実際、買っちゃってるけどね)
そこに加えて、日本特有の“ロリコン文化”も根深い。 少女=清らか、成熟=邪悪という謎の二元論が、女を“若さ”に閉じ込める。
でも、タレ子的にはこう言いたい。
「若さ」とは、完成してないことの尊さ。そして「歳を重ねる」とは、 若さを失うことではなく、“注ぎ足してきた時間にこそ味が出てくる”ということ。
歳を重ねることは、発酵と似てる
とはいえ、 「経年変化は美」みたいなフランス的価値観とも少し違う。日本には、日本の“味の出し方”がある。味噌、醤油、ぬか漬け、黒酢……手間も時間もかかるけど、その分だけ深い旨味になる。 出雲大社のように、時を重ね循環する思想。 和服や所作の中に宿る「渋み」や「さび」の美学。つまり、日本の女性たちもまた「発酵文化」の担い手。 時間をかけて、深く、しみじみ美味しくなる存在。
それなのに、なぜか日本の女性には「熟成する権利」が与えられなかった。
・・・え?おかしくない? そろそろ、それも終わりにしませんか。
“若さ”とは心の姿勢
「若さ」とは心の持ちよう、なのだと思う。
誰かの話に目を輝かせて聞く好奇心だったり、失敗しても「ま、いっか」と笑える柔らかさ 、新しいことにワクワクできる柔軟性。
そんな“若さ”を、私は年齢ではなく“姿勢”だと思ってる。

揺れる電車と、揺れる心。
この前、46歳で特別養子縁組制度を使って“お母さん”になった女性にインタビューをした。 「この子が、本当に可愛いの」と目を細めて話すその姿に、 血の繋がりではなく“育むことで生まれる家族”の形を感じて、胸がじんわり温かくなった。
その帰りの電車。すぐ後ろの席から赤ちゃんの泣き声。 若いお母さんがミルクをあげていて、「微笑ましいなあ」と思っていたら、次の瞬間。
「静かにしないと首をしめるよ」 「うるさくすると置いていくよ」
言葉を失った。 でも、見過ごす、と言う選択肢はなぜかなかった。この人も、何かの渦の中で精一杯なんだと思った。でね、大根役者のような笑顔で話しかけた。 「赤ちゃん、可愛いですね。何ヶ月ですか?」
お母さんは驚いた顔で「すみません、うるさくして……」
「全然。赤ちゃんは泣くのが仕事ですから」
そう返したら、赤ちゃんがニコッとこっちを見た。 思わず「ママのことが大好きなんですね」と声が出た。 お母さんの表情がふっと和らいでいく。
抱っこさせてもらい、聞けば、26歳のシングルマザー。 籍を入れる前にパートナーを亡くし、ご両親とも絶縁状態。 職も見つかっていない。私にできたのは、ほんのひと言。何かの役に立ったなんて分からないし、単なる自己満足だったかも。 でも、誰かが“そばにいる”だけで、世界の見え方は変わるかもしれない。そう信じたい。
お節介は、世界を救う。
世の中ギスギスしてる。 だからこそ、今こそ“継ぎ足してきた女たち”の出番なんじゃないか。小さなお節介 、さりげない声かけ 、見て見ぬふりをしない勇気、スーパーヒーローじゃなくてもいい。
通勤電車の片隅にいる「心の中のおかん」が、今日も小さな奇跡を起こしているかもしれない。
継ぎ足してきた女たち=あえて言うが、“オバサン”には、目利き力がある。たくさん失敗してきたから。 共感力もある。たくさん泣いてきたから。 許す力も持っている。長い時間を歩いてきたから。 頑張る力は底なし。守る人がいるから。
そんな「心の中のおかん」が育っている。
それこそが、“オバサン”の正体なのかもしれないし、その存在、案外、世の中から求められているんだと思う。
発酵系オバサン連盟、ここに爆誕
私たちは、熟成の極み。 若くはない。でも、しみじみ“味”がある。 人生の出汁を持ち寄って、笑える仲間がいる。
そして、願う。 娘の世代が自分の年齢になる頃には、 「歳を重ねること」=熟成のタレのように“いいこと”という価値観が当たり前になるように。
まるで、文明開化の鐘の音のように。
そのために、今日も私たちは“味”を育てながら生きていく。


[この記事を書いた人]ウナギタレ子(Taleko)
1972年生まれ。加齢応援マガジンUNATALE(ウナタレ )の編集部員にして哲学的お節介人。A面よりB面、タモリ倶楽部のの隣にいたいタイプ。
「まぁ、ええやん」と笑いながらも人生の奥行きを見つめるのが得意技。若造りはしないけど、美意識は忘れない。
SNS映えより、心の温度を1℃アップ。
今日も読者の足元に、そっと灯りを。
加齢応援マガジンUNATALE https://unatale.com/