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80代でミニスカートを履く国で、年齢を気にしなくなった話

夏のブエノスアイレスで驚いた光景

もうすぐ1月も終わり。
南半球のアルゼンチンは、夏の真っ只中。

私がこの国に来て驚いたことのひとつに、おばあちゃんたちの「夏のミニスカート」があります。

暑くなると、太ももがあらわに見えるミニスカートで涼しそうに歩くおばあちゃんたちの姿が、普通にそこにあるブエノスアイレスの街。

おばあちゃんたちがミニスカートを履く理由はとてもシンプルで、
「涼しいから」
それ以外に、深い意味はない。

けれど日本から来たばかりの10年前の私は、その光景に強い違和感を覚えました。

なぜなら私の中には、
「おばあちゃんとは、地味な服を着て、体のラインを隠し、肌を見せない存在」
というイメージを強く持っていたから。

さらに驚いたのは、そのミニスカート姿に対して、誰も何も言わないこと。
褒める人も、咎める人もいない。
視線も、評価もない。

「そこに理由を探す必要がない」と言わんばかりの空気。
暑いから着ている。
それだけのこと。

でもある時、80代のおばあちゃんたちめがけて
「chicas!(女子たち!)」と軽やかに声をかける男性の声を聞いたとき、年齢の境界線がゆるむとともに、気がつきました。

私が感じた違和感の正体は、おばあちゃんたちの服装ではなく、年齢に合わせて振る舞うべきだ、という自分の中の思い込みだったのだと。

身体は、誰かに評価されるものじゃない

久しぶりに日本人と会うと、
「太った?」「痩せた?」
そんな言葉をかけられることがあります。
悪気がないことも、挨拶代わりだということも分かっています。

けれどこの街での暮らしを経た今、
その言葉に少しだけ距離を感じる。

アルゼンチンでは、私の身体について誰かが評価することは、ほとんどないから。

体型を気にしない文化ではない。
ただそれは、自分が気にすることであって、
他人が口を出すことではない。
その感覚が、とてもはっきりしているからではないだろうか。

だから、他人の身体のラインに興味を持たない。
興味を持たないから、評価もしない。
たとえ、どんなに足が太い人がミニスカートを履いていても、それを話題にする人はいない。

良いとも、悪いとも言わない。
そもそも、比べないのです。

年齢も同様。
「その年齢だから、着られない服」という考え方が、あまり存在しないように感じる。

身体も、年齢も、その人のもの。
どう扱うかを決めるのも、その人自身。

その線引きがあるからこそ、人は安心して、自分の身体でそこに立っていられるのだと思います。

気にしてしまう、という日本の優しさ

日本では、他人の年齢や身体に触れる言葉の奥に、相手を気遣う優しさがあります。
「痩せた?」の裏には、

「最近どう?」
「無理してない?」

そんな心配が隠れていることもあります。

場に合わせた服装や、節度ある振る舞い。
空気を乱さないようにする気遣い。
そこには、日本らしい協調性と美しさの美学があります。

だから私たちは、誰かに何かを言われる前に、
自分を整える力を身につけていく。

・年齢に相応しい服
・体型に合った装い
・目立ちすぎない振る舞い

それは日本の社会の中で生きていくための、とても繊細で高度なスキル。

ただ、そのスキルを磨きすぎた故に

「本当は着たい服」や
「本当はやってみたいこと」を
年齢を理由にそっと引き出しの奥にしまってしまう。

誰に言われたわけでもないのに、自分の中にいる“他人の目”に、先回りして気を使ってしまう。

そんな経験、心当たりがある方も多いのではないでしょうか。

タンゴの中で学んだ、相手を尊重すること

タンゴを踊るとき、そんな「優しさの先回り」を、
一度そっと脇に置くことが求められます。

相手を尊重するというのは、
先回りして整えてあげることではなく、
相手の選択を受け入れて、良しも悪しも評価しないこと。

年齢も、身体も、ただその人の一部として、そこにある。

評価しない。
比べない。
決めつけない。

相手を尊重するって意外と難しいものです。

自分の許容が大きくないと
丸呑みできないことってたくさんあるから。

年齢から自由になって、自分の感覚に戻ってみる

80代でミニスカートを履くおばあちゃんたちが教えてくれたのは、若さの話ではなく、
「そのままの自分でいていい」という安心感だったのかもしれません。

おばあちゃんたちは、何かを主張しているわけでも、若さを誇示しているわけでもありません。ただ、自分の身体で、自分の感覚を素直に生きている。

暑いから、涼しい服を着る。
それ以上でも、それ以下でもない。

そのシンプルな姿を見ているうちに、
「年齢だから」というよりも先に、
「私は今、どんな自分でありたいか」
という問いを自分自身にするようになりました。

年齢を重ねることは、何かを手放すことではなく、
本当は、余計なものを背負わなくてよくなることなのかもしれない。

そう思えたとき、
自分の身体も、選択も、少しだけ信じられるようになった気がしました。

それではみなさま。

¡Abrazo grande!(あなたに大きな抱擁を。)


[この記事を書いた人]AKANE

タンゴライフアドバイザー・タンゴダンサー・講師

1980年生まれ。日本での会社勤めを経て、35歳で南米アルゼンチン・ブエノスアイレスへタンゴ留学。本場のタンゴから“身体と心のコミュニケーション”の豊かさに魅せられる。

タンゴを通じて「抱擁・リード・呼吸・間(ま)・非言語のやりとり」の哲学に触れ、それを「パートナーとの関係性」「日常の愛情表現」「夫婦の時間」「男女のコミュニケーション」の視点で読み解けないか日々妄想中。

ウナタレでは、アルゼンチンタンゴの抱擁・会話・距離感を通じて学んだ、自分と大切な人との関係を見つめ直す“気づきの時間”をお届けしたいと思っています。

私の好きなブエノスアイレス
https://akanetanguera.com/

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