もしも・・・じゃない方を生きる。
西田敏行さんが亡くなった。
親族とか、仕事でお世話になったとか、縁もゆかりもないけれど、なんだかとても大切な人を無くしたような、寂しい気分がここ数日続いている。
幼い頃、我が家はお正月に家族で「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」を観に行き、初笑いをするという能天気な恒例行事があった。
西田敏行さん演じる“浜ちゃん”は、一年の始まりに、腹の底から笑わせてくれる愉快なオジサンだったことは、たしかだ。
きっと多くの日本人にとって、そういう存在だったはずだ。
ニュースで追悼番組が報道され、キャスターや出演者が涙ながらに偲ぶ姿を観ていると、役者としても人としても愛された役者さんだったのだろうなと思う。
しかし私が、西田敏行さんを強烈に認識したのは「釣りバカ日誌」よりも、もっと前である。
まだ小学校に上がる前の幼い頃、歌番組で哀愁のあるメロディとともに「もしもピアノが弾けたなら」を聴いた時だった。
4歳とか5歳だったが、なんとも切ない歌詞と優しい歌声に、胸がぎゅっとなったことを覚えている。今知ったが、歌詞は、鬼才、阿久悠だったのか。
もしも、ピアノが弾けたなら
思いの全てを歌にして
君に伝えることだろう
まだ人生始まったばかりの幼い私は、「もしも・・・」という感覚があることを、そのメロディと歌詞から強烈に知った。
人生は「もしも〜だったら」という、たまらない感情があるのかと。
笑っているのに泣いているようにも見える西田敏行さんの表情と歌声とともに、「もしもピアノが弾けたなら」というフレーズは、とっても深く、切ないけれど憎めない不思議な感覚の気がした。
これも今知ったが、歌詞に出てくるピアノは「少しばかり器用なサービス精神」というメタファーで、時代からこぼれた不器用な男性の応援歌、だったらしい。
その後、私はたくさんの「もしも・・・だったら」という感情を味わってきた。
良いことも、悪いことも。
小さなことから、大きなことまで。
もしも、お金持ちのお嬢様に生まれていたら
もしも、安室ちゃんみたいなスタイルだったら
もしも、あの時あの進路を選んでいたら
もしも、この人と結婚してなかったら(夫婦喧嘩で必ず思うやつ)。
もしも、もしも、もしも・・・
腹が立ったり、悔しかったり、後悔してしまう時、自分を認めてあげられない時に、スーッとよぎる「もしも・・・」の風。
人生に「if」は無いとわかっていても、「もしも」を考えてしまうのが、人間の性なのではないのだろうか。
同時に浮かぶ「もしも、この人生じゃなかったら」。
出会ってきた数々の愛すべき人達、我が子、幸せな思い出、それらとも出会えていないんだと強く感じる。
紛うことない我が人生で、塩っぱい悔しさや悲しさ、後悔があったからこそ偶然にも得られた喜びがあることも、知った。
人間万事塞翁が馬という言葉は、若い頃よりも、今やっとわかるような気がしている。
もしもピアノが弾けたなら
今週末、5歳の娘がピアノ教室の体験レッスンに行くらしい。
夫がいつのまにか勝手に体験レッスンとやらを申し込んでいた。
夫はずっと娘にピアノを習わせたいと言っていたのだが、昨日ボソッと「お父さんも一緒に習えますかと、聞いてみようかと思って…」と白状した。
子供の頃、「男の子がピアノなんて習うもんじゃない」と親に言われてから、ピアノへの心残りがずっとあったらしい。
彼もまた「もしも、じゃない方の人生」を生き、味わってきたのだろう。
だからこそ、今こうして娘と一緒にピアノを習いに行く機会を得られた。
それもまた良いじゃない。まんざらでもなさそうだ。
こっちの人生も、味わい深い。
西田敏行さん、沢山の笑いと涙をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
[この記事を書いた人]ウナギタレ子・タレ美(Taleko/Talemi)
加齢応援マガジンUNATALE編集部
姉のタレ子1972年生まれ、妹タレ美1973年生まれの更年期姉妹。
夜な夜な子供部屋で聴いていた「オールナイトニッポン」が今の姉妹の人格形成に影響を与えている。「A面」よりも「B面」、「ゴールデン番組」よりも「タモリ倶楽部」を愛する、根っからの「裏面好き」。SNSには露呈しないウナタレ世代のリアルな叫びを届けたいと日夜、奔走している。
ポリシーは「Your nudge, no tale」(ウナギノタレ)=「理屈こねてないで動こうぜ」