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21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち

「通名」と「事実婚」を考える~第21週「貞女は二夫に見えず?」〜

第10週、第18週を語るコラムでも取り上げた「結婚と姓の問題」。航一との再婚を目前に、寅子はまた悩み始めます。思い悩む寅子の夢に、さまざまな姓を持つ寅子が出てくるシーンは面白かったですね! 優三との結婚の時に佐田の姓を選んだ寅子/星の姓を選んで航一と再婚し、未来に生きる寅子/優三と結婚する前の、猪爪寅子。

独身寅子が訴える「じゃあ、猪爪の姓を名乗っていた時の私は、姓とともになくなってしまったってこと?」と訴えるのは、もっともだと思いました。

みーんな思ってる。あなたの本来の姓は「猪爪」でしょ。それを「佐田」姓に変えたとき、あなたは全然悩まなかった。じゃ、なぜ今、そんなに悩むの?

「佐田姓」と生きてきた、時間と重み

寅子にとって、「佐田寅子」という名前は、法曹界のプロとして社会に出てから、ずっと名乗ってきたビジネスネームでした。前回、「寅子も友情結婚だったじゃないか!」みたいな話をしましたが、実際は、友情結婚というより、独身女性であることを理由に仕事がまわってこなかった時に、「社会的地位を得るため」の便宜的結婚でした。寅子にとって、「佐田」姓は、「私、既婚者です!一人前です!」「そして法律のプロですよ!」という公的アイコンとして必要だったのです。

そういう意味でいうと、「星」姓も捨てたものではありません。「星家は法曹界の名門だから、星寅子になれば、さらにステイタスが上がる」という考え方も、出世魚のように、名前を踏み台に大きくなる、という考え方としては「あり」かもしれません。

でも、寅子には、どうもそういう気持ちはないようです。「佐田」は、ビジネスネームであると同時に、つらい戦争の時期を優三とともに、あるいは、優三の帰還を待ち望みながら生きた証でもありました。大体、結婚しても自分の実家で親兄弟とともに暮らし、夫も独身時代から同じ屋根の下にいた書生なのですから、姓は佐田になっても自分自身が断絶した気持ちはなかったのでしょう。

再婚を視野に入れた時、寅子は初めて、自分が法曹界では「佐田」姓を使うことにこだわっているけれど、戸籍上「星」姓になることに、それほど拒否感はないと気づきます。そして桂場に「検察官として“佐田”姓を名乗り続けたい」と申し出ます。が、桂場は言下に拒否。判決文に署名するという裁判官ならではの業務は、法律上完璧である必要があるという理由に、当時の寅子は反論できませんでした。

「松任谷由実」と「益田宏美」のゆくえ

寅子の望んだ「通称使用」は、現在では社会的に広く認められるようになりました。特に、職業に関しての不都合で旧姓を使いたい、という人は多いと思います。たとえば研究者の場合、名前が変わってしまうと、過去の論文との紐づけができなくなる場合もあるようです。自分のキャリアを統一できなくなることへの不安は、相当なものではないでしょうか。

その意味での「通称使用」を考える時、私はいつも「荒井由実」と「岩崎宏美」のことを思い起こします。

1971年、17歳で音楽活動を始めた荒井由実は、73年「ひこうき雲」の大ヒットでスターダムにのしあがります。そして人気絶頂の1976年、音楽プロデューサーの松任谷正隆と結婚、芸名を「松任谷由実」に変えました。

それより前の時代、ほとんどの歌手や俳優は本名とは異なる「芸名」を名乗っていましたから、結婚を機に芸名を変えることなどありません。美空ひばりも江利チエミも、結婚して離婚して、戸籍上は姓が変わったことでしょう。でも、歌手としてはずっと美空ひばりであり、江利チエミであり続けました。あいみょんやaikoが、戸籍上の名前ではないのと同じです。彼女たちは大物スタート結婚し、そして離婚しましたが、芸名はずっと変えませんでした。

だから、歌手としての名前が本名であったとしても、結婚を機に歌手名まで変えることは、当時ちょっとした驚きをもって報道されたように記憶しています。

でも当時の一般常識からいくと、結婚したら「女性が姓を変える」のもまた「当然」でしたから、芸名が本名であった場合、違和感はあっても祝福ムードが先に現れたのは確かです。音楽業界の中での結婚であったことも大きく、松任谷正隆が夫になることで、荒井由実はさらに飛躍するのでは?という期待を口にする向きもありました。

つまり、荒井由実が「芸名」に「夫の姓」を選んだ理由には、「虎に翼」に出てきた「法曹界にいるのなら、星姓もそれなりにオイシイ」に似た、「音楽業界にいるなら松任谷姓も悪くない」的な側面も確かにあったのです。ただ、(これは私の個人的感触ですが)彼女自身はどちらかといえば、「名前が変わっても自分は変わらない」「結婚して、新たな側面が生まれ、それは自分にとってプラス」という気持ちが大きかったのではないでしょうか。そして実際に、新しい姓を名乗る「松任谷由実」と昔の「荒井由実」をうまく融合させ、「Yumin」ブランドを損なうことなく成長させて「アイデンティティ」を進化できた成功モデルと言えましょう。

一方、歌手の岩崎宏美は1975年、16歳でデビュー。「ロマンス」がヒット、1982年、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」でその地位を不動のものとします。1988年、彼女も結婚を機に夫の姓を名乗り、芸名も「益田宏美」に変えました。そこには、荒井由実が松任谷由実になった、という先例も、少なからず影響していたかもしれません。

ただ、山口百恵が人気絶頂にありながら結婚を機に引退したのも1980年です。「結婚」「夫の姓」「キャリアの断絶」は、当時の若い女性の生き方にとって、一つのロールモデル、それも「幸せな」ロールモデルとして、大きな影響を及ぼしていました。

岩崎宏美が結婚し芸名も変えることに関しての当時の発言を思い返すと、「好きな人と結婚できた」ことをお披露目したい幸せな気持ちの一方で、「それでも歌が好きだから、私は仕事を続けます」という思いの融合が「益田宏美」という芸名だったように思えてくるのです。

ただ、松任谷由実は今も松任谷由実ですが、益田宏美は岩崎宏美に戻っています。なぜなら、益田宏美は「離婚」したから。彼女は離婚が成立した1995年以降、芸名を岩崎宏美に戻しました。

彼女はやがてミュージカル共演で知り合った今拓哉と再婚しますが、正式な結婚までにも長い時間をかけており、さらに婚姻届提出後も、岩崎宏美のまま活動を続けました。歌手としての彼女を体現する名前は「岩崎宏美」なのだ、と思い知った、ということでしょうか。(その後、彼女は今拓哉とも離婚しています)

前夫の姓をビジネスネームにするという選択

離婚理由はともかくも、「益田宏美」という名は芸名である以前に、実生活を体現する実名とのつながりの方が強かった、ということになりますね。離婚によって、彼女は「益田」という家からも、姓からも、遠ざかりました。

「いや、それは当たり前。前夫の名前なんか、捨て去りたいでしょ!」という人もいるでしょうが、現在、離婚女性の中で、離婚してもそのまま結婚したときの姓を「通名」として使う人がかなりの割合で存在します。

理由は「面倒くさいから」。

結婚して名前が変わった煩わしさを、離婚してまた味わうのは嫌だし、「え? 離婚したの?」と皆に知られるのも嫌。何より、また「キャリア」が断絶されてしまう。それなら「アイコン」は一つでいい。

戸籍はどうあれ、ビジネスネームは統一したい。そういう思いは、結婚によって「名前を変えた」経験を持つものでなければわからないことかもしれません。一種の芸名と思えば、自分が納得すれば、前夫の姓であろうと「T A K U R O」や「あいみょん」と同じ、と思えませんか?

「姓」へのこだわりと、「事実婚」という選択

寅子の場合は死別ではありますが、星航一と再婚すれば、「佐田」姓は「前夫の姓」です。生まれた家の「猪爪」姓をビジネスネームにするのであればまだしも、これ、航一さん的にはどうなんでしょう。出会った時から「佐田寅子」だから、あまり気にならないのかな? 

でも、道男が「寅子」と呼び捨てにするだけで嫉妬しちゃうような男ですよ。でも姓に対しては淡白で、「僕は姓に執着はないので、佐田姓になる」など言い出し、継母の百合(余貴美子)から猛反発をくらっていましたね。

最終的に、寅子と航一は「夫婦・のようなもの」になることを決め、婚姻届は出さず、事実婚を選択します。これによって、寅子は佐田姓のままビジネスキャリアを続行、同時に航一の「妻・のようなもの」になることとなりました。

寅子と浩一は、もう熟年から老境に入ろうという年齢です。21世紀の現在では、日本でもこういうカップルが敢えて事実婚を選ぶことは増えてきました。成長した子どもとの関係や相続のことを考えると、逆に事実婚の方が周囲からスムーズに受け入れられる可能性が高いかもしれません。

でも、たった紙一枚のことであっても、法律に守られた正式な夫婦は、「の・ようなもの」の夫婦に比べ、様々な局面でアドバンテージがあるのです。

私の知り合いで、それまで事実婚であったカップルが、コロナ禍の時期に正式に結婚しました。それまでは、国際結婚であることや、子どもの心情なども考えて敢えて事実婚を選んでいたのですが、コロナ禍では正式な家族でないと病院で面会ができなくなったからです。

「正式な婚姻」を強く望む人たちのために

最も大切に思う人と、正式に家族と認められないことが、いかに不都合か。先ほどの病院の面会規制など、どちらかが命の危険に瀕した時、そばにいることが許されるのは家族だけであることが多いのです。最もそばにいなくてはならない時に、排除される辛さ、苦しさ。

相続の問題もそうです。長年一緒に暮らした家や丹精した庭は、正式な夫婦であればほとんどが、税制の優遇によって配偶者は住み続けられますが、事実婚の場合、遺言を書いても遺留分を請求されれば支払わねばなりません。手元に現金がある人はいいですが、そうでない場合、結局家を売らねばならないことも多いのです。

寅子や航一には家があり、職があり、地位があり、財産があり、理解ある家族がいて誰に憚ることなく事実婚を宣言できる。でも、同性同士であれ異性同士であれ、世の中にはできれば正式に結婚したいのにそうできない「内縁」関係のカップルがたくさんいる。寅子は轟と遠藤の前で、「敢えて結婚する意味はあるのか?」のような発言をしてしまった自分の軽率さに気づき、二人に謝ります。二人は寅子を責めません。でも、私はこの場面、もっと掘り下げてほしかった。

寅子の「心躍る」結婚式で、明律大学の仲間たちが「結婚裁判」を執り行い、寅子と航一の事実婚を暖かく認めます。「この判決は法的な力を持たないが」と前置きして「僕たちは認める」と。でも私は、彼らには轟と遠藤の結婚式をこそやって欲しかった。明律の仲間でできなくても、せめて寅子と航一と、よねと梅子とでやって欲しかった。

新憲法が成立して以来、敢えて「事実婚」を選ぶカップルにとって、それは平等な婚姻を実践するための闘争でありました。子どもの姓をどうするかを考えて、敢えて結婚と離婚を繰り返すカップルもいます。

もし寅子の通名使用が認められていたら、二人は結婚し、佐田寅子は星寅子になったでしょう。でも、戸籍名にこだわる人には、今週の結論に満足できたでしょうか。

法律家の2人は「紙切れ一枚」をどう考えたのか

寅子も航一も、法律によって国民の生活を守る仕事をしています。婚姻届を出すなら、法律に則り、姓は一つに決めねばなりません。この矛盾に、二人は法律家としてもっと真剣に悩むべきだった。

寅子が「戸籍の姓はどうなってもいい」というスタンスだったために、「婚姻の平等」と「事実婚」を巡る先輩たちの苦労や、今も正式な婚姻を求めて闘っているL G B T Qの人々の胸の内が、人々にちゃんと伝わらずにこの問題が処理されてしまったように思います。

もちろん、昭和30年代の話です。L G B T Qなどという言葉もありません。

でも、L G B T Qの人がいなかったわけではないし、「内縁の妻」の立場の人は、今よりずっと苦しい思いをしていた。そういう事実にも、目を向けて欲しかったと思います。

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

「文豪、推敲する~名文で学ぶ文章の極意」(シリーズ「文豪たちの2000字 」より)

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