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自分の女性性を否定して生きていたことに気づいた時の話

両親の離婚。そして、母の女の顔。

私の両親は私が5歳の時に離婚しました。母は29歳で2人の子どもを抱えるシングルマザーになったのです。同居していた祖母が私たちの面倒を見て母は働きに出たのですが、まだまだ若く美しかった母は仕事関係のある医師と恋愛関係になりました。

その人は毎日のようにうちに出入りしていて、私と妹は彼を「先生」と呼んでそれなりに懐いていましたが、しばらく後になって彼が妻帯者だと知りました。

私が小学校3年生くらいの時だったと思う。妹は先生を嫌悪して「もう来ないで」と反発していましたが、私は頑張って働いてくれる母のことを思うと無下に否定できず、このことに口を挟むのはやめようと決めました。

子どもって色々わかっているのよね。母たちの関係は先生が亡くなるまで何十年も続き、うちの親戚とも身内同然のお付き合いしていました。私はそれを当たり前のように受け止めていました。

「女らしさ」が嫌いな大人になった私。

さて、母の「女の部分」に目を瞑ることでどうなったかというと、自分の女性性を否定することになったのですね。

それはずっと後になって気づいたことだけど、私は「女らしさ」が嫌いな大人に成長しました。自分のことを1人でできない甘ったれも嫌いだった。

30代後半で髪をショートカットにしてからは、「私を女としてみないでね」という意思表示の如くどんどん短くなっていって、もうこれ以上短くできないというほどのベリーショートにしていました。基本的に男の人は嫌いだったよね。ちゃんと恋愛も結婚もしたけど。

私が自分の女性性を否定していたのだと気づいたのは、2009年に母が76歳で亡くなった後のことです。

ちょうど同時期に仲の良かった友だちがお母さんを亡くして、2人でしっとりと食事をしていた時のこと。私と違って女らしいタイプの彼女は、一人娘だったこともあってお母さんとは一卵性親子のように仲が良かったのですが、彼女がいつまでも立ち直れず嘆いている姿を見ていたら、なんだかムズムズと嫌悪感が湧いてきたのです。

そしてその嫌悪感の理由に突然気づいた。私は母が嫌いだった­——。いえ、母は好きだったけど、母の女の部分がとても嫌いだった。先生のことも嫌いだった­­

何十年もの間押し込めていた感情に気づき、自分で作った呪縛から解放された瞬間、何かの蓋が開いたように私の女性性がスコーンと解放されました。

「あれ、私って女だったんだわ」って感じ。当時既に元夫と別居していたので、そこからは自分の中の女を取り戻すかのように恋愛をしました。51歳の時のことです。髪も伸ばしてボブにしました。

新しい誰かと付き合うなら、元夫と同じような激務の日本人のサラリーマンは絶対にイヤ。ということで、「フランス人しか愛せない女」になっちゃったのよ。

ライター:やまざきゆりこ

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