だから明日は歌舞伎に行こう2
物語のヒロインって、どうしてみんな若くてきれいなんだろ? ウナタレ世代は、もう主人公になれないのかな……。いやいや、歌舞伎はもっと奥深い!
実は、年輪を重ね「人生酸いも甘いも知っている」女しか、センター張れないんですよ。
「お局様」「バツイチ」「できの悪い子の母親」「不倫された妻」
歌舞伎はみんな“わたし”の物語
歌舞伎に登場する女性といえば、お姫様とか花魁とか、若く美しく華やかな女性を想像しますよね。たしかにそういう役は必ずといっていいほど出てきます。でも、彼らの人生は、それほど深く描かれていないことが多い。
それよりは、「お局様」「バツイチ」「できの悪い子の母親」「不倫された妻」など、“若さ”や“セイシュン”以後の世代の女性たちの、等身大の悩みが赤裸々に綴られているんです。
たとえば「豊志賀(とよしが)の死」というお芝居があります。
豊志賀は39歳、独身。江戸時代、39歳で独身は、かなり目立つ。
富本節という唄のお師匠さんで、それなりにいる素人弟子の中には、熟女の魅力目当ての人もいたでしょう。
だからこそ、新吉という若い弟子と恋仲になってからは、稽古に通う弟子がどんどん減っていってしまいます。豊志賀のプライドは傷つきますが、愛には代えられない。
「いいの、私は新吉さえいれば、幸せ!」
年上女の愛って、重いですか?
昔は「歳の差婚」っていうと、男性が年上のことが多かったけれど、最近は女性が年上のカップルが目立ってきました。それだけ素敵なカップルが増えたということだと思います。
そんなに年の差があるなんてわからないくらい、奥様が若々しいことが多いですよね。
でも、多くの場合、女性が若い男性と恋に落ちると、幸せな中にも
「今は大丈夫だけれど、あと10年経っても、彼は私を愛してくれるかしら」
という不安に陥りやすいのではないでしょうか。豊志賀も、そんな漠然とした不安を抱えていました。
新吉と初めて出会ったとき、彼女は誰が見ても美しく、キャリア十分。若い弟子の新吉に比べ、社会的ステータスも財力も、すべて豊志賀のほうが上でした。
しかし5年もすれば新吉も成長する。若い娘の新弟子の面倒を見る彼を見ていると、豊志賀は不安でたまらない。
「いつか私を捨てて、あの娘のほうに行ってしまわないか……」
「若さ」の意味が、「未熟さ」というマイナスから「もはや自分には手に入らない輝き」に変わったのです。さらに豊志賀は病気になり、働けなくなって収入も激減。
そして容姿も目に見えて衰えていきます。プラスのカードをすべて持っていたはずの自分が、今や人の世話にならないと生きていけないところまで落ちてしまった。
「自分にはもう、愛される資格がないんじゃないか?」ネガティブな考えが浮かんできます。
「捨てられたくない!」その思いが、彼女をどんどん追い詰めていくのでした。
「失敗する女」に寄り添うまなざし、そして最後につけられる落とし前
「病気になっても、容貌が衰えても、すがりついても、わがまま言っても、新吉は最後まで豊志賀を愛し抜き、添い遂げてハッピーエンド」なんて、歌舞伎は甘くありません!
新吉は豊志賀を捨てて若い娘と出奔しようとするし、豊志賀は病気で孤独に死ぬし、その上、新吉を思いきれずに幽霊になって彼を追い続けるんですよ!
でもね。それは彼に「いいよ、もう私のことは。あんたは自由におなり」の一言をいいたいがためなんです!
ウナタレ世代の幸せは、「自分を認める」ところから始まる、と私は思います。
豊志賀も、「いつまでも美魔女じゃいられないけど、私は唄のお師匠さんとしては最高」って自信があれば、「新吉、あたしについておいで!その娘より、あたしのほうが100年経ってもいい女だよ」って笑顔で生きていられたんじゃないかしら。
ないものねだりじゃなくて、あるものの価値を知る。
そしてたくさんのものを自分のものにしていることに気づく。それが、ウナタレの幸せです。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」