
運のいい人、悪い人
「運も実力のうち」なんて言葉があるように、成功者と呼ばれる人にその秘訣を尋ねると、実際結構な割合で「運」と答えるそうだ。もちろん、実力があっての運なのだろうけど、運って一体なんだろう。
私の妹は霊能力があるためか、子供の頃からくじ運が良かった。商店街の福引や雑誌の懸賞でもよく当てる。高校生になるとボーイフレンドとテレビのクイズ番組に出て100万円相当の商品を獲得したり、たった1枚買った宝くじで3万円が当たったり。そもそもテレビ番組に応募して参加できたこと自体運がいい。その後も何度も馬券を当てたりと大当たりの人生である。
一方私はといえば、子供の頃は雑誌の懸賞ハガキを毎月出しても1度も当たったことがないし、福引でガラガラを回しても白いのしか出ない。従ってもらえるのはティッシュばかり。宝くじは毎年ジャンボを買っていたけど、末当の300円ばかりなのでいい加減買うのをやめた。神様は私に宝くじを当てさせる気がないらしい。きっと私の分の運まで妹が持っていったに違いない。ずっとそう思っていた。
ところが、40歳前後からこっち私も意外と運がいいことに気づき、今ではめっちゃ強運の持ち主だと思っている。だって仕事に困ったことはないし、それどころかあり得ない状況で発展したり、面白い人たちに出会って新しい展開が生まれたり、もうすぐ68歳になるというのに社員に近い状態でライターの仕事をしていて定年もない。仕事に関しては本当に運がいいと思う。あんまり運がいいから「神様に養われている」と豪語しているのだが、所謂くじ運は相変わらず悪い。そう考えてみると、くじ運と仕事運は違うことがわかる。占いでいえばト術と命術の違いのようなものかもしれない。

この前ある人が言っていたのだが、運を引き寄せるには自信と精神的な自立が必要らしい。その人は元々自信のない引きこもりだったのだけど、引きこもりながら本をたくさん読んで、ある自己啓発本の通りに自己暗示をかけてそのゾーンに入って行ったら、運が向こうから来るようになったという。そうなのよ、運って向こうから来るのよね。それは私も実感していること。私は元々自己肯定感の塊で精神的にも自立しているのだけど、ある時から運を掴むのが上手くなった。それが40歳前後だったのだ。鼻が効くようになったとも言えるけど、多分幸運の女神の前髪を掴むのが上手くなったのだ。何かが来るのがわかる。
画業についても、最初に日本画に触れた瞬間に確信的な手応えがあって、「何かが来る」という予感がした。最高にツイていたのは銀座の真ん中で個展デビューをさせてもらったこと。色んなタイミングが重なってスポンサーのオファーを受けることができ、華々しくデビューすることができたのは幸運としか言いようがない。何といっても本来画廊代36万円かかるところを無料で開催できたのだから。銀座の画廊は絵描きの憧れだけど、画廊代が負担でなかなか個展をできないのだ。今、いいところまで来ているという体感があるんだけど、今一歩届かないのがもどかしいのよね。足りないのは出会い。なので「どこかに気の合うギャラリストがいないかしら」と思いながら待っている。
仕事運と重なるかもしれないけど、私にはもう1つ良い人と出会う運もある。仕事においてもプライベートにおいても。ここ最近はそれだけで生きているようなものだ。運は自分で掴むものという人もいるけど、私の実感としては、運は人が運んでくるもので待っていると向こうから来る。それを見逃さないことが大切なのだ。だから出会いはとっても大切ということになる。私、全然お金が貯まらないんだけど、仕事運と人の運があるから大丈夫なの。それだけあれば生きていけると思わない? 代わりに家庭運はゼロだけどね。

[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ
娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。

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