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自己犠牲という名の怠慢

パパに会いたい娘

2泊3日で今住んでいる福島県から神奈川県に行く予定ができた。私に似て多動で、イヤイヤ期に拍車がかかる2歳の娘を齢70を超えた母に預け、自由気ままに一人旅というのはさすがに不可能だったので、母娘の二人旅に決めた。

事前に保育園を休むことも含め、娘に伝えねばと思い、『しゅっしゅっぽっぽ(電車)に乗ってママと2人でお泊まりでお出かけするからねー!』と伝えたところ、目をキラキラさせながら『パパに会う?!』と言われてしまった。

未婚シングルマザーの私には旦那はいない。しかし娘にはたった1人のパパがいる。

2歳になり、これまた私に似て口が達者&実は繊細な娘にパパのことをなんて伝えよう?と思っていたが、嘘を言うのもおかしな話だし、『〇〇(娘の名)にはパパがいて、遠くに住んでるの。遠いから、しゅっしゅっぽっぽ乗らないと会えないのね。』と日頃から伝えていた。

加えて、私のスマホを見て、赤ちゃんの頃の写真を見つけては、それが自分だと認識できるようになった結果、0歳の時にパパに抱っこされている写真を見て、それがパパだとわかってしまったようだ。賢い。

最近では私のLINEの履歴画面を見て、パパを見つけると『パパの顔、〇〇ちゃん(自分)みたいねー』なんて言う始末。

そう、自分がパパ似だとも気付いているのだ。

数週間前には保育園での保育参観があり、コロナが明けたせいで(おかげで)、1人の子供に対して参加できる保護者は1名までっていうルールも撤廃されて(これが地味に迷惑w)、お友達はパパママ両方がいるのに、自分にはママだけという現実も体験した。

そんなことが重なり、パパに会いたいという気持ちが溢れていたようだ。

娘、パパと対面

そんなわけで、当時勤務していた会社のオフィスが入っている横浜駅の商業施設のカフェレストランで会うことになった。

子連れに優しい商業施設なので、娘と行くには最適だったが、私は退職したとはいえ、彼は今もバリバリ勤務しているオフィスなので、3人でいるところを見られたら申し訳ないなと思っていた。

しかし、彼の方が『全然構わないよ!会えるの楽しみ!』とのことだったので、お言葉に甘えた。私も吹っ切れたように、彼の中でも色々吹っ切れたのだなと感じ、色々安堵した瞬間だった。

時間に余裕を持たせたのに、久々の横浜で、エレベーターの位置をすっかり忘れていて遠回りしたり、なぜか突然見知らぬおばさまに声をかけられて『あらかわいい。私の娘も妊娠したんだけど、スクリーニング検査受けるって言うの。ねぇ、スクリーニング検査ってなに?』と聞かれる。なぜ、私に聞く?!高齢出産バレたか??

とりあえず丁寧に説明し、高齢で妊娠した私は心配だったけど、その検査はしなかった旨とその理由を伝えた。おばさまからは感謝と共に『あら、あなたそんなに歳いってるの?わからなかったわ。』というなんとも言えないコメントいただき、じゃあなぜ私に聞いた?!一層謎は深まるばかり。

ふと思い出したのは妊娠発覚後、いざこざがあり、横浜駅で人の目も憚らずうずくまって大泣きしたこと。スクリーニング検査について調べたこと。でもなんやかんや妊娠検査薬で陽性の結果を見た瞬間から、私は産むことを決めていたんだよなぁって思い出したり。

そんな出来事に加え、到着後オムツ替えたりしていたら、彼の方が先に到着し、子供用のスプーンとお皿を注文していたりと準備万端だった。

『久しぶり』そんなシンプルな言葉を交わし、娘に目をやると、明らかに照れてる。言葉発さない。ついさっきまで何度も口にしていた『こんにちは、天野⚪︎⚪︎⚪︎です。パパいつもありがとう』(※ここでいう『いつも』というのは養育費のことです。私が教え込んだ。)が言えない。言わない。もじもじ。

でも泣かないだけ成長。去年は人見知りで泣いて手に負えなかったから。

ただただ恥ずかしがってるだけというのは誰が見ても明白なので、とりあえず放っておく。最初に発したのは『パンケーキ食べる』だったので、パパとシェアして食べることにした。パパはどのパンケーキがいいのか一生懸命話しかけてる。いちごのパンケーキに決まった。

期間限定?の父と娘の時間

パンケーキが届くと、娘は目を輝かせ、やれ『いちご食べる』だの『クリームもちょうだい』だの言い始め、パパから『そのせっかちなの誰に似たんだ?!』と問われる始末。

…もちろん私。

なかなかパパと話さないけど、場には馴染んでワクワクしている娘。私たちはお互いの近況を話しながらも話題は娘の顔について。

『いやぁ、女の子なのにオレに似てまじ申し訳ない』とのこと。個人的にはそんなに似てるか?と思いつつ、前段の通り、娘もパパと自分が似ていると認識しているので、本人たちがそう思っているならそうなのかと思うのと同時に、似てくれて良かったと思う自分もいる。やっぱり自分に似てると思えば、愛情湧くだろうし、彼が娘の存在を覚え続けていてくれるんじゃないかなと思って。こんなふうに思うのは私のエゴかもしれないけれど。

そう遠くない将来、彼は私ではない最愛の人と結婚し、温かい家庭を築くだろう。彼が選んだどんなに『出来た』奥さんだとしても、自分の夫と隠し子を会わせたいと思うかな。会ってほしくないと思うのが一般的だろう。

また詳細は別の回で書くのだが、彼と調停をしていた時に、調停員の方に私が唯一お願いしたことは、養育費の金額云々ではなく、将来的に彼が家庭を持ち、奥さんが会って欲しくないと言ったとしても、娘が会いたいと言えば会い続けてほしい。ということ。だけどその時に調停員から言われたのは、『その時は再度、面会希望を調停で申し立ててください。ごめんなさいね、彼に新しい家庭ができたら、そちらも同じくらい大切で、もし相手方が会わせたくないと言えばそちらが優先されるの。悪いと思わないでね。』ということ。

悲しいけれど、そりゃそうだよな、と妙に納得したのだ。じゃあ、今のうち。娘が会いたい時に会えるのは期間限定だ。娘の記憶に残るのかわからないけれど、いつか終わりがくるであろう貴重な父娘の面会なのだ。娘よ、照れてもじもじしている場合ではないのだよ。

そんなわけで、父娘でパンケーキを完食した後、娘が持ち前の多動で店内を歩き回ったり、ソファで寝転んでみたり、普段の調子が出てきていた。

私にベッタリだったのに、徐々にパパに構ってもらいたくて、注目引きの行動をし始めた。ダメもとで『ママ、トイレに行くけど、ここにパパと二人でいる?』って聞くと目を輝かせ『うん!!』とのこと。少し心配なので走ってトイレに向かう私をよそに、娘は嬉しそう。

トイレから戻ると、すっかり仲良くなっていた。パパに近づいてみたり、わざと離れてみたり。いわゆる『女子』の顔をしている。母は初めて見たよ、あなたの女の一部を。

楽しすぎて、水をこぼして、着替えをしたり、抱っこされて、照れてみたり、見つめ合ったり。おっちょこちょいで落ち着きがなくて、素直に最初から甘えられないあたり、私じゃん。将来大変だそ、拗らせるなよ、と一抹の不安を感じながらも、とにかく誰がみても『うれしいたのしい大好き』状態の娘をただただ微笑ましく見つめていた。

外は真っ暗になっていて、バイバイの時間が近づいていた。

もしまた会える日があるなら、更に可愛くなった娘を会わせたい

2時間近く一緒にいただろうか、楽しい時間はあっという間だった。私が記憶している昔の彼であれば、金曜の夕方から夜のこの時間帯は予定が埋まっているような人だった。今回も都内で先約があったようなのだが、私が用件を言わずに『この日のこの時間空いてる?』って聞いた直後に予定を調整してくれた優しい人なのだ。

娘の妊娠がわかってから今日に至るまで、私は彼の優しい部分を忘れていたことに気がついた。妊娠したことを伝えたあの日から、彼の嫌な部分にばかり目を向けて生きてこないと、自分の精神がおかしくなりそうだったからだ。そんな自分を守るための最大の武器が、人として彼を嫌いになることだった。約3年間、私は彼を否定し続けたのだ。

3年前、賛否両論の中、私は産むことと、20年間住み慣れた都会を離れる決断をした。

今回彼と娘と3人で会った店は、当時、子供をどうするかで彼ともランチをしたし、大きなお腹で一人で何度もランチをした。悔しくて悲しくてパスタはいつも涙でしょっぱくて、幸せそうな家族連れやカップルを見ては、なんて自分は不幸なんだろうと憂いていた。そんな辛い記憶しかない店だったことをすっかり忘れていて、どちらかというと幸福感で溢れていた。

娘はパパとバイバイする際も泣くこともなく、タイミングは誤ったが、ちゃんと練習通りのセリフを言うこともでき、はなまるをあげたいくらいだった。

娘と二人になり、駅に向かうとすぐに彼から大量のLINEが届いた。何かと思えば、今日の御礼と私がトイレに行っていた際に撮影していた娘とのツーショットの写真たちだった。『え?いつの間に?』という感じで驚いたのと、彼が撮影した娘の写真がめちゃくちゃ可愛くて、『え?こんなに私の娘、可愛い顔できるの?』と信じられなかった。彼なりに短い時間で愛情を注ぎ、優しい人だということも娘に伝わったんだなと感じられるような、そんな尊い一枚だった。

娘に『パパどうだった?』と聞くと『パパかっこいい、優しい。また遊びたい!』と即答した。そうかそうかよかった。どんな形でも、期間限定でも、この瞬間、娘が幸せならいい。色々あったけど、娘はパパママどちらからも愛されているのだ。

もしまた会える日があるなら、今日よりも更に可愛くなった娘を会わせたい。

本当の優しさとは

彼に言われたことがある。私が娘を出産後に彼に送ったLINEは『産ませてくれてありがとう』というものだったのだが、『それを見て色々あったけど、本当に良かったと思ったし、憎しみみたいなものが消えた』と。養育費とは別で、彼はお誕生日にはプレゼントも送ってくれる。色々あったけど、いつだって行動で示してくれている。

私は、自分の人生を優先させる彼が憎かった。妊娠を伝えた時、『子供ができたからといって自分たちの人生を諦めるのは違うと思う』と言われた言葉をずっと根に持っていた。それは『自己犠牲こそが美徳』と思っていた私の歪んだ考えからくるものだった。

では実際、『相手のためなら自分のことは後回しにすべき、犠牲にすべき』と考え、邁進した私はどうだっただろうか?結果、誰にも優しくできていない。最も愛する娘にさえ、自己犠牲からくるストレスや焦りから何度怒鳴り、何度手を上げそうになったか。そう、私は人に優しくないのだ。だって自分に優しくないから。今の私が彼の立場だったら、娘に会う時間を作るだろうか?何度問うても、NOだ。『今の』私はそんな人間なのだ。

自己犠牲ってとても楽。周りから評価されるし、自分の本音に向き合わなくて済むから。そうやって私は生きてきた。自分の本音中の本音にアプローチせず、自分のしたいことをしたいと言わずに。そしてどこかで爆発する。後悔する。自分を憎む。人を憎む。環境を憎む。つまるところ、楽して生きるという『怠慢』の成れの果て。それに気付かされたのだ。

気付いただけでは何も変わらないので、今の私は自分の欲望のまま生きる特訓をしている。これがとても難しい。自分の嫌な部分にも向き合うし、何かを捨てることも必要なので、これまでの固定概念の中で生きていると選択を見誤る。

今後はそんな私の変化も綴っていこうと思いますが、表題の結論に行き着きつくまで、だいぶ長文でしたね。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。またお会いしましょう!


[この記事を書いた人]あまのっち

1981年生まれ。39歳6ヶ月のときに、未婚で娘を出産。以後、地元福島県に戻り、未婚シングルマザーとしてイヤイヤ期の子育て真っ只中。寝食忘れ、営業と人材育成を愛する仕事人間から、人生オールライフで楽しむ史上最高の自分になるため、仕事以外の楽しみを模索中。

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