21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
「香子、「香淑」の人生を取り戻す ~第24週「女三人あれば身代が潰れる?」~
「虎に翼」も最終盤!……なのに、大きな事件が次々と! 原爆裁判が一段落したら、今度は尊属殺人事件! その上、安保闘争で東大の安田講堂に学生がたてこもった事件はあるは、公務員の集団争議権の有無はあるは、少年裁判における年齢の引き下げ問題はあるは、司法の独立に対する行政からの介入はあるは、そこに航一の娘・のどか(尾碕真花)の結婚や、寅子の娘・優未(川床明日香)の進路問題も絡み、ここまでたくさんの風呂敷を広げちゃって、「虎に翼」本当に、あと3週で仕舞にかかれるのでしょうか?
盛り沢山のエピソードの中から、今回は「香淑(ヒャンスク)」の話を取り上げます。
娘に自分の出自を知らせていなかった香淑
明律大学の同窓生である仲間(寅子・よね・涼子・梅子・香淑)の中で、ずっと気がかりだったのが香淑の生き方でした。戦後の日本で生きるため、汐見(平埜生成)との結婚を機に「香子」と名乗り、「香淑」を知る全ての人との関係を断ち、隠れるようにして生きてきたのです。
その決断は、私もわからないではありません。戦中、兄の潤哲は日本の特高に逮捕されたし、ヒャンちゃん自身もきっと怖い思いをしただろう、苦労しただろう。だから、ヒャンちゃんが世間に向けて「隠したい」と考えるのはわかるんです。
でも、自分の娘である薫(池田朱那)にも、何も告げていなかったことには正直驚きました。なんの疑いもなく、日本に生まれたから当然日本人であると思っていた薫にとって、それが青天の霹靂であったことは想像に難くありません。
「なんでそんな大事なことを黙っていたの?」
「自分の生まれた国が、自分の血が、恥ずかしいって思っていたってこと?」
「そうじゃない」と香淑。
「お前が傷つかないように」と汐見。
両親のそうした言葉に、思春期真っ只中の薫が納得いかないのは当然です。それはおそらく、いきなり「私たちはあなたの本当の親ではない」と言われたくらいの衝撃だったと思います。
いくら「お前を思って」と言われたって、「なるほど」とは思えません。
自分の出自を知る権利
とりわけ、薫は正義感の強い女性です。学生運動にも参加していた。社会が特定の人々を差別していることにも憤りを感じていたことでしょう。だからこそ、
「安全な場所に、加害者側に立って今までずっと見て見ぬふりをしてきたってことじゃない」という叫びは痛烈です。
理不尽に差別されているなら、なぜ立ち上がらなかったのか。
自分たちだけが差別されなければ、それでいいのか?
娘を「偽りの出自」で包んで何も知らせず、それで一体どんな人間に育ってほしいと思っていたのか?
もし自分が「被害者側」だと知っていたら、もっと違う行動をしていたかもしれない。
自分の出自を知った薫は、恋人にそのことを告げます。
そして、振られる。「結婚までは考えられない」と。出自ゆえに!
薫は身をもって、「差別」を受けるのです。
父親の「お前が傷つかないように」という思いがどこにあるのか、初めてわかります。
でも。
もし向こうから自分の出自を告げられたら?
いますよねー、結婚前に興信所とかを使って調べる人たち。
もし薫が知らず、他人から知らされたら、薫はどんな思いをしたでしょうか。
さらに、もし結婚後にわかったら、それこそどうするつもりだったんだろう?
「ああ、よかった。結婚する前にわかって」
そう、そんな男だとわかったら、こっちから願い下げだ!
そう言える薫は、本当に強い女性ですね。
向こうが知る前に、自分から言える状況で、本当によかった。
……ていうか、汐見との結婚の戸籍は、どういう形で書かれているの?
きっとどこかでわかってしまうことを、2人はいつまで隠そうとしていたの?
せめて本人には、ちゃんと言っておいてほしい。娘の力を信じてほしいと思いました。
兄は香淑の人生をどう思ったのか
自分の出自を知り、同時に母の苦悩の道のりも知った薫は、多岐川の力を借りて、長いこと断絶していた香淑の兄・潤哲(ユン・ソンモ)を呼び寄せました。
汐見は「お兄さん…本当に…」といって頭を下げ、
香淑は「あの時のこと、私も圭さんも兄さんも、みんな悪くて、悪くない」と言うと、兄に抱きつきました。
その時点では無表情だった潤哲も、皆で食卓を囲む頃には打ち解けていましたね。でも、心の中はどうだったんだろう。
戦前、裕福だった崔一家。自らも日本にいた潤哲は、女性も法律を学んだ方がいい、という進歩的な気持ちから、妹の香淑を日本に留学させました。しかし自分は戦争の足音とともに特高に目をつけられ、帰国を余儀なくされます。朝鮮にいながらもそこは「日本の植民地」だった時代を、潤哲は生き抜いたのです。
日本の敗戦を機に、朝鮮半島は「創氏改名」などの「日本人化」政策からようやく解放されました。「崔」を「さい」と読まねば糾弾されることもなくなりました。
そんな時に、香淑は逆に「ヒャンスク」を捨て、「こうしゅく」さえも捨て、日本人と結婚した。韓国では、結婚しても女性の姓は変わりません。それなのに、自ら「崔(チェ)」の姓を捨て「汐見香子(きょうこ)」になってしまった妹に、潤哲は何も言うことはなかったのでしょうか。父親は、母親は、今どうしているのでしょう。そして娘・香淑の決断をどう思っていたのでしょうか。
「私も圭さんも兄さんも、みんな悪くて、悪くない」
香淑の言葉には、四半世紀たってようやく、時代に翻弄された時代を穏やかな気持ちで顧みられるようになった重みが感じられます。
でも、潤哲の気持ちは、言葉として伝えられていません。
太平洋戦争終結とともに日本からの独立解放を味わったのは、ほんのつかの間のことでした。朝鮮半島は板門店の北緯38度線で南北それぞれが米ソの管理下におかれてしまいます。過激な共産党勢力排除の中で国政は安定せず、いわゆる朝鮮戦争に突入。朝鮮の人々は1950年代に入っても、まだ戦争の只中にいて、多くの血を流しました。1953年に休戦協定・軍事境界線が確定したものの、その後も不正選挙やクーデター、戒厳令などが続きます。
動乱、戦乱、そして圧政。真っ直ぐに祖国を思い、命をかけて動いていた潤哲の青春は、実りの時期を迎えたと言えるのでしょうか。
潤哲が日本を再訪する少しまえの1965年、日本と韓国の間にようやく日韓基本条約が結ばれました。いわゆる「日韓併合」を正式に無効とし、これまでに朝鮮半島に日本が残したインフラの放棄や経済支援と引き換えに、両国間があらゆる「請求権」を放棄、国交を樹立させたのです。
だから、確かに潤哲が日本を再訪するチャンスとしては、今が最適だったかもしれません。
司法試験に合格していた香淑
ところで、香淑はいつの間にか弁護士資格を取っていました。(当初のシナリオでは、そのあたりの経緯も描かれていたそうです)
薫が学生運動の取り締まりによって逮捕されたことをきっかけに、香淑は薫の弁護を自分がやりたいと申し出ます。結局、薫は不起訴になったので弁護は不要となりましたが。汐見も裁判所を辞し、香淑とともに、よねと轟が携わる原爆被害者を救済するための活動に協力することになります。
最初は家から一歩も出ないような生活をしていた香淑が、少しずつ自分を解放していき、念願だった弁護士にもなり、そして娘にも本当のことを言って、そのあたりから、「香淑として」の自分の半生を取り戻したくなったのかもしれません。同居する恩人の多岐川(滝藤賢一)の病床を見舞う同窓生の小橋や稲垣とも堂々と再会。「香淑」としての人生と「香子」としての人生が、ようやく一筋の道として繋がってきました。
国を越え、民族を越え、互いに信頼し愛情を持った人々が、心穏やかに同じ食事を囲める幸せ。この光景が今後も永遠にも続くことこそ、香淑たちにとっても私たちにとっても、最良のことだと私は信じたいです。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」