21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
総括:「虎に翼」は朝ドラジンクス「最終週はつまらない」を越えられたか
朝ドラの最終週は大抵「つまらない」ものです。すべての伏線を回収するため、あるいは回収しきれないため、あるいは、突然何十年も経ってしまうため、丁寧にドラマを作り上げ15分で提供することなど困難を極めるから。
何十年と朝ドラを観てきたウォッチャーとしては、「これでいいのか?」的な、「びっくりするほどヘンだった」最終回は覚えていますが、ほとんどの最終回は印象が薄く、どんな終わり方だったか覚えていない作品の方が多いです。
その中で、「虎に翼」は、最終月(9月)に入ってからも、「あと半年続くのではないか?」と思うほど内容が盛り沢山でしたし、終盤も、ドラマスタート時から柱であった「憲法14条」「憲法13条」や「法とは何か」、「桂場と寅子の対立」などをしっかり見据えて構成されていたと思います。
けれど、盛り込み過ぎたために、最終回が近くにつれ、一つ一つの重要な話題があっさりと片付けられてしまうことが多くなり、「話がどんどん薄くなる」感じは否めませんでした。
序盤、社会現象になるほどの人気を得た「虎に翼」が、終盤「トーンダウンした」「つまらなくなった」と感じられたのは、どこに原因があったのでしょう。
終盤の寅子は「スン」だった
私が最も残念に思ったのは、ドラマの最終盤に入り、寅子が常識人に「成り下がり」、非常に「スン」としているように見えたことです。結構「守り」に入っていたよね。それは、「寅子の正義」と「世間の正義」が徐々に一致してきたからなのかもしれません。
裁判官としての仕事ぶりにそうした点があったのは、ある程度仕方がないかとも思います。
逆に組織の中で苦悩するのは桂場で、それに反発するも結局引き下がる寅子が、子供染みて見えた部分もありました。
しかし問題が多かったのは、家庭内の寅子の描き方だったと思います。
女性の更年期を取り上げながら、汗をかくばかりであまりイライラしないし、百合さんの認知症がひどくなっても、21世紀から介護ハンドブック持ってきました?っていう冷静さで、お手伝いさんを雇って自分は涼しい顔をしていた。
「令和の常識」をもってすれば、これでもいいのかもしれませんが、寅子は昭和の人です。それなのに、昭和の常識を、随分上の方から傍観して、穏やかに暮らしていたように感じました。当時の働く女性は、それも管理職は、あの頃もっともっと特別だったし、過酷だったし、家族の中でも外でも叩かれて、それでもいろいろな軋轢を一つずつ押し除けて、生きていたはずです。
「ご近所」がまったく存在しないホームドラマ
新潟編の時も言いましたが、「虎に翼」では、主人公が「世間」と出会うはずの「ご近所」を、ほとんど描いていません。特に終盤、寅子は裁判所と自宅の他は、花江の家と、梅子・道男が営む甘味と寿司のお店「笹竹」しか行っていません。
そこで、自分の家族と親戚と、職場の人間と同窓生にしか会っていないのです。
1970年代、すでに「戦後」は遠かったけれど、それでも東京は、まだまだ「三丁目の夕日」の延長上にありました。つまり、「ご近所」抜きで生活はできなかった。
私は昭和33年に生まれで、1970年代は中学生や高校生でした。
昭和6年生まれの私の母は、「隣に住んでいるだけの関係なのに、なんで付き合わなくちゃいけないないの? 付き合う友達は、自分で選ぶ」と豪語する女性でしたが、それでも近所付き合いはゼロではありません。ゴミの集積所は誰かの家の前でしたし、回覧板はまだ手渡しだったし、留守宅に荷物が届いたら、郵便屋さんは当然のように隣の家に預けて帰った。うちでも預かりました。それが昭和です。
テレビドラマでは、姑に虐められる嫁や、慣れない土地に来た人間が村八分にされる場面が、よく登場しました。すでにそれは「当たり前」ではなかったかもしれないけれど、そういう家族や土地柄に苦しんでいた人は、まだいた。80年代に大ヒットしたN H Kの朝ドラ「おしん」ですら、出産間近のおしんが姑や小姑に痛めつけられたりして、戦後はスーパーの社長になったものの、今度はお嫁さんたちの無理解に苦しむ話だったんですから。
核家族化は進んでいましたが、結婚式には親戚一同を呼び、仲人は誰にするか、正客は誰にするか、どのテーブルに誰を座らせるか、同居はするのかしないのか、進歩的な考えを持っていたカップルであっても、親や親戚に祝福されるために、譲れるところと譲れないところを真剣に考えて一歩ずつ前に前進していたのです。
たとえば、優未のことでも朋一やのどかのことでも、寅子や航一がどう考えるかの前に、「ご近所」がどう考えるかがありました。
たとえば……。
「妄想!“虎に翼”ご近所劇場」
ここからは、私の妄想、ウラ脚本です。
星家のご近所さんの奥様方数人が、ある朝ゴミ出しの日に、道端でおしゃべりしているところをご想像ください。
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「あ〜ら奥様、星さんの息子さん、裁判所をお辞めになったそうですわよ!」
「左遷されたんですって!」
「何か不祥事でも?」
「離婚もなさったそうよ」
「もしかして不倫? 職場で不倫かしら!」
「そうかもしれませんことよ、だって岐阜で家具職人になるっておかしくございません?」
「優秀だったのに。司法試験、首席で合格でしょ? お祖父様は最高裁判所長だし、お父様も……やっぱり、再婚がいけなかったのかしらね」
「あら、再婚じゃないわよ、内縁の妻!」
「あんなに格式のあるお家なのに、正式に結婚もしてないの?」
「ひどい女に引っかかったものね。自分も裁判官なんでしょ? それなのに結婚しないって、どういうこと?」
「じゃ、父親も息子も、二代続けて裁判所で恋愛して、父は内縁、息子はバレて離婚?」
「人は見かけによらないわねー、二人とも真面目そうなのに」
「牛耳られてるわね、航一さん。尻の下に敷かれているのよ。何もかも、奥さんの言いなり」
「高慢チキだし。この前回覧板持って行って、丁寧に説明してあげたら『はて?』とか言っちゃって!」
「『はて?』?? なにそれ? 私たちみたいな専業主婦をバカにしてるわけ?」
「あんな人が裁判するなんて。私、裁判官が女性だなんて、考えられない!」
「少なくとも、あの人に裁かれるのだけはゴメンだわ。世の中のことなんてちっともわかってないわよ、きっと」
「そういえば、娘さんも、結婚式挙げてないわよね」
「だって、お父さんとお母さんが結婚式やってないんだから、娘にやらせるわけないじゃない」
「かわいそうに〜。一生に一度の晴れ姿なのに。いくらでもお金あるでしょ、あの家」
「お相手、無職の男らしいわよ」ヒッピーみたいな!」
「嫌だわ、クスリとかやってないでしょうね」
「違うところで住んでてよかったわー」
「そりゃ、家は出るわよ。あんな人にお父さんを取られちゃって」
「お父さんだけじゃなくて、家も取られたのね」
「きっと財産、全部持ってかれるわよ。本当にかわいそう」
「自分たちだけでは、式はあげられないわね。お金ないもの」
「ウェディングドレスで写真を撮ったって言ってたけど、きっとせめてもの抵抗なんだわ」
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まあ、妄想ですが、「昭和のご近所」は、このくらいの「情報」はネットがなくても持っていまして、そこに「あることないこと」を加えられ、本人たちの知らないところで噂話は広がっていくのでした。
「昭和のリアル」と「令和のリアル」のシンクロこそ「虎に翼」の醍醐味
こういうレベルの「ご近所」と、寅子はどう付き合っていたのでしょうか。
どっぷり浸かっていたとは思えませんが、それでも真っ向から拒否していたのか、作り笑いでいなしていたのか、無視していたか。その分優未が付き合っていたのでしょうか。
心ない噂をする人がいる一方で、助けてくれる人はいたのでしょうか。
百合さんが認知症になって、徘徊もしたならば、ご近所の人たちにどんなふうに協力してもらったのでしょう。昼間来てくれるヘルパーさんと家族だけで全てをやりくりしていたら、もっと修羅場になっていたはずです。
「虎に翼」は、「昭和のリアル」と「令和のリアル」に大きなギャップがありつつも深いところでシンクロしているところが醍醐味だったと思うのです。
だから、「昭和のリアル」が薄まると、「ギャップ」も小さくなってしまう。そこが「トーンダウン」に感じられたように思います。
「あの頃」の寅子に戻って
情報によると、オンエアされた終盤は、シナリオに書いてあったことがかなり端折られて作られたそうです。たとえば、ヒャンスクはどのようにして弁護士になったのか、とか。今、「虎に翼」のシナリオが電子書籍として手に入る(全巻としても、1週ごととしても)ようなので、関心のある方は、こちらを読んで比較するのもいいですね。
でも私は、できれば終盤は、もう一度ドラマ化してほしいと思っています。あまりに駆け足だった。一つ一つのエピソードに、寅子はもっと「はて?」と疑問を呈し、もっと叫んでほしかった。
彼女のセリフに「一周まわって、また法律を学び始めた頃の私に戻っている」というものがありました。
ほんとですか?
それなら、あの頃の、「知ってた? 結婚はワナ! 誰か教えてくれた?」と叫んでいた頃の寅子に戻って、もう一度大暴れしてほしいです。
そして、轟と遠藤の結婚式を、みんなでやってください!
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」