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21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち

「雨だれ」になりたくなかった女~第14週「女房百日 馬二十日?」~

寅子にとって、第二の夫となる星航一(岡田将生)との馴れ初めから始まった第14週ですが、そんな甘い予感など吹き飛ぶような、大事件が起きてしまいました。

恩師・穂高教授の引退祝賀会において、花束を渡す役を任じられた寅子は、穂高の挨拶を聞くうちに気持ちが高ぶり、その場から去ってしまいます。

謝らない女

桂場から「ガキ!」と叱責されても、穂高教授に「謝ってもダメ、反省してもダメ、じゃあどーすればいいんだ?」と叫ばれても、寅子は絶対に謝りません。

謝らない女って、支持されませんよね。

日本人、悪くなくても「どーもすみません」から始めるのが礼儀だから。

「どーもすみません」と言われて初めて「いえいえ、私の方こそ」で丸くおさまる。それが、コミュニケーション。だから「私、謝りませんから」は、宣戦布告か関係修復不可能宣言にしか聞こえない。

それに、私も第10週のコラムで書きました。

“「自分は絶対悪くない」って思っている人は、男性も女性も、「傲慢」です。”と。

だから、この回は、「寅子に感情移入できない」と感想を述べる人がすごく多かった。

「引退祝賀会でこれはないだろ?」

でも、寅子は言い張ります。「花束ひとつでお茶を濁さない!」と。

なぜ? なぜ寅子はここまでかたくななの?

「20年は待てない」とよねは言った

覚えていますか? 寅子たちがまだ明律の女子部に入ったばかりのとき、女性が弁護士になるための試験を女性が受けられるようになるはずの法改正が、延期と発表されたことがありましたよね。その時、動揺した女子部の生徒を前に、穂高教授は「大丈夫、いつかは」みたいな話をする。

すると、よねがすっくと立って「そりゃ20年後30年後には変わるだろう。でも、私は20年は待てない!」というような発言をしました。

自分たちは、「女性も弁護士になれる社会を作るため」に勉強しているのではない、

つまり、よねは、そして寅子も、「大岩を穿つ雨だれ」なんかには、1ミリも関心がないのです。

今、自分のために、生きている!

自分自身が弁護士になるために、すべてを賭けて勉強しているのだから、

自分が弁護士になれなければ、意味がないのです。

その必死さ、退路を断った厳しさを、すでに安定した地位にあり、「誰かのため」「理想実現のため」に生きている人は、感じることができないのかもしれません。

ただ、一人の人間の一生だけでは実現できないこともありますよね。自分の代だけでは実現できなかったことを、次の世代に託したい、という意味で、穂高教授は「自分も雨だれの一滴だった」と言ったのでしょう。

自分が言うのと人が言うのでは意味が違う

子は親のため、妻は夫のため、雇い人は主人のため、臣民は天皇のため、その身を犠牲にするのが当たり前の世の中、それが戦前の日本でした。

「犠牲」が当たり前の世の中で、みんなは生きていた。代々、たとえば家を守るために、自分が「捨て石」だったり「雨だれ」だったりするのは、男性も女性も同じだったと思います。

「自分のために生きる」って、考えるだけで「わがまま」だった時代です。家のための結婚を強いられ、好きな人と添い遂げようとすると非難された。自分の勉強のためより、家族を養うために働くことが強要された。

「犠牲」は尊い。自分が、「捨て石になろう」「雨だれになる」と思うのは素晴らしいことかもしれません。

でも、「捨て石になれ」「雨だれになれ」と人に強いるのは違う。

以前も書きましたが、新しい憲法によって保証された「個人の幸福の追求」は、寅子に勇気を与えました。もう「わがまま」とは言わせない、と。

寅子は、「雨だれの美学」に反旗を翻したかった。それを「是」とすることで、「雨だれ」を強制される時代に戻してはいけない、と言いたかったのではないでしょうか。

「君もいつかは古くなる」

長い人生を歩んでくれば、どんなに順調に見える人生でもいくつかの野望は叶わず、いくつかは手痛い失敗を喫し、思うような幸せは得られなかったりします。あそこで他人の助言に耳を傾けていれば、もっと慎重に言葉を使えば、人の気持ちに寄り添っていれば……。

尖りまくっていた人でも、晩年は丸くなるものです。

穂高教授だって、寅子くらい尖っていた時があったでしょう。寅子のことを大切に思い、常に励まそうとする理由は、自分の青春時代を重ね合わせているからかもしれません。

「自分は古い人間だ」と自己批判する穂高教授ですが、その裏には「常に社会常識と戦ってきたのに、気がつけば、自分も既成概念に縛られていた」という反省があったのでしょう。

寅子を、自分の「野望」のために引きずり込んでしまったのではないか。

寅子のためではなく、自分のために、女子部を作ったのではないか。

穂高教授には、そういう後ろめたさがあり、だからこそ、寅子に強く出られないのです。

寅子は寅子で、教授には弱音など吐いてほしくなかった。いつまでも自分の前を、自分の理想として走っていてほしかった。

次は、自分が先頭に立たねばならないから。

先頭には、強い風が常に吹いてきます。

「理想の女性」でないから「感情移入できない」

「虎に翼」は、日本最初の女性裁判官を主人公のモデルにしています。ですが、これまでの朝ドラと決定的に違うのは、主人公の寅子が「いい子」じゃないところです。普通主人公は、ドジだったり能天気だったり弱気だったりしても、気持ちは清らかな人が多いですよね。

でも寅子は、我慢しないし、すぐ不機嫌になるし、人のことは罵るし、場の雰囲気は壊すし。

「すん」にはならないぞ!と決めた女性ですから。さらに始末に負えないのは、「それがみんなのためになっている」と思い込んでいるところです。だから謝りもしない。

自分の意見はしっかり言いますが、人の意見、ちゃんと聞いてますか? 誰かの犠牲になることを拒否したけれど、誰かが自分の犠牲になっているかも、なんて、わが身を振り返る時間……なさそうですね。

だからこそ、穂高教授がかけた言葉には重みがあります。

「君もいつかは古くなる。油断せず、常に自分を疑い続け、時代の先を歩み、立派な出がらしになってくれたまえ」

自分の行動に疑問を持つことくらい難しいことはない。

自分が順調な道を歩んでいる時は、なおさらです。

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

「文豪、推敲する~名文で学ぶ文章の極意」(シリーズ「文豪たちの2000字 」より)

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