21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
賢い女がズルい女になる時~第19週 「悪女の賢者ぶり?」〜
今週のタイトルは「悪女の賢者ぶり?」です。「悪女」って、オトコを騙す女とか、オトコを手玉にとる女を指すことが多いです。
あなたが「悪女」と思う女性って、どんなタイプの女性ですか?恋人がいるとわかっている男性に、人前でも堂々とモーションかける女?それとも、「え〜? それな〜に〜? こ〜わ〜い〜!」とかいいつつ、イノセントな空気をふりまいてカマトトぶりながら、明らかに故意に男にすり寄っていく女? これ、悪女の典型かも!
ただ、これらのタイプは目に見えてわかりやすいので、お友達になりたくない!となったら距離をおきやすいですよね。他人から見てもイヤなヤツなので、「ああいうタイプは苦手なの」と公言したりスルーしたりしても、仲間から共感してもらえます。
やっかいなのは、「ズルい女」の方です。
ズルい女は見抜きにくい
ズルい女にも種類があります。自分の味方のようなふりをして秘密や弱みを聞き出し、それに尾ひれをつけて他人に言いふらすような女。正論を振りかざしながら、裏では言っていることと正反対に動いてすましている女。あるいは責任逃れのために、自分で決めるべき重大事を人に決めさせるよううまく立ち回る女。
どれもやっかいです。なぜなら、正しい人に見えるから。優しい人に見えるから。でも、人はいつか気づく。
「あの人は、ズルい」
ズルい人に傷つけられた人は、そのことを一生忘れません。
今週のタイトルにある「悪女」とは、おそらく森口美佐江(片岡凜)のことを指しているのだと思います。優等生で穏やかな笑みを浮かべ、しかし裏では自分の信奉者を将棋の駒のように動かしている。
でも私は、実は寅子の方に、たくさんの「ズルさ」を感じてしまいました。これって、私だけ?
ズルさ(1)自分だって友情結婚しておきながら……
寅子はいつからこんなに賢(さか)しくなってしまったんでしょう。三条支部の小野と高瀬が「友情結婚」すると知ったとき、寅子が即座に「もう少し考えた方がいい」と言った時には仰天しました。
「あなたが優三さんという出来過ぎた夫を持てたのは、友情結婚したからじゃなかったんかい?」……ってツッコミ入れた人、多かったのでは?
寅子は、社会の常識に対し、常に「はて?」と言い続けてきた人です。社会の常識と少し外れたことをしようとする人には、まずはその意気込みだけにでも寄り添ってもらいたかったな。
別に、反対してもいいんですよ。でも、言い方があると思います。まずは祝福してあげなきゃ。それぞれ色々あった二人が、「結婚したい」と思った人と出会えたことに、とにかく乾杯でしょ。
そして、反対するなら、「なぜ慎重に考えるべき」なのか、説明してあげなよ! 経験者でしょ。だから反対したんでしょ?
確かに、寅子は優三の死を、まだ受け入れられずにいます。だから優三のことを言葉にできない。娘の優未に対してさえ、お父さんの話ができないくらいです。だから、優三のことを全然知らない人に向かって話せないのも、仕方のないことかもしれません。でも、小野知子は自分がかつて婚約破棄したことまで相談に来たし、高瀬も死んだ兄と比べられて苦しかったことを吐露している。向こうが腹を割って話しているのに、寅子はプライベートなことを何も話ししていません。それは、ズルくないですか?
寅子は最終的に、手のひら返しで彼らの「友情結婚」を祝福します。その時も、自分の経験は一つも語りませんでした。これでは単に「結婚すると報告した上司が、最初は難色を示されたが、最後は祝福してくれた」だけの話じゃないですか。なぜ反対されたかもわからない。なぜ賛成に変わったのかもわからない。もし二人が、このあと結婚生活につまずいたり、予想だにしなかったことが起こったときなどに、経験者としてのアドバイスがあったかなかったかでは、全く違うと思います。
せめて「実は私も友情結婚みたいなものだったのよ」の一言があったら、具体的なアドバイスがなかったとしても、きっと心を開いて相談しやすいですよね。
ズルさ(2)その「無防備」さは何のため?
航一はずっと寅子に「好きだ」というサインを送り続けていました。結構ダイレクトに言葉にもしています。グイグイ攻めてくる航一を、寅子は拒まない。職場だけじゃなく、家にもやってくる航一を、寅子は誰もいない自分の家に招じ入れるんですよ。
この無防備さが、何ともズルい。
前も言いましたけど、「小せぇ町」ですから。お隣りの奥様、優未が出かけるのちゃんと確認してますから。
「じゃあ」とか言いながら、別れを惜しんで戸口で二人たたずんでいたりしたらもう、ウワサ決定じゃないですか。
そもそも昭和20年代、「紅一点」的に女性が男性社会で働くときに、彼女たちが最も注意したのは、昇進にあたって「色目を使った」と言われないことだったと思います。それは、昭和の時代だけでなく、平成の時代にだって相当に気を遣った人が多いと思う。
好きでもない男とウワサを立てられないように注意し、意中の人との恋愛がウワサにならないように、そのためにも心を砕いていたと想像します。
それなのに、寅子は新潟市の本庁に行くと、いつも航一と二人連れ立ってライトハウスで昼食をとり、残業もあっけらかんと二人でして、そのことについて何の“防衛ライン”も敷いていません。この状態で、誰一人、寅子の地位や昇進を妬んだり嫉んだりしてあることないこと噂を立てて失脚させようとしている人間がいない、というのは、現実味に欠ける、と、私はずっと感じています。
繰り返しますが、昭和20年代ですよ。子どもがいる未亡人ですよ。男と歩いているだけでヒンシュクものだった時代です。それも、東京でなくて新潟です。
もし寅子が意識的に、「それがどうした? 見てください! ウワサしてください!」と胸を張っているなら、それはそれで見識だと思うのです。そうした社会の目に見えない鎖に抗うのが、寅子の「はて?」なわけですから。
でも、そういうことを示すセリフや場面は、今のところないですよね。逆に、「え? フツーに職場の友人ですが、何か?」のスタンスで天然に生きている。そこがズルいと私は思うんです。少なくとも、現代の女性の悩み苦しみとこの時代をリンクさせている「虎に翼」の主人公である限りは。
ズルさ(3)「この気持ちは何なんでしょう?」……って、恋だろが!
航一の気持ちを知りながらも、なかなか答えを出せずにいた寅子に、今週、ようやく決着がつきました。
それにしてもアナタ、雨に降り込められた二人が職場の廊下で長キッスって、昭和のメロドラマのシチュエーションを敢えてなぞったということでしょうか。
戦後まもない映画のキスシーンといえば、背の低い女性が背伸びしてキスするのが定番でしたが、今回は、背の高い航一がしゃがんで顔の位置を調整していましたね。
でも私が気になったのは、そんなところではありません!
「私は優三さんを今も愛している。でも、今ドキドキしてしまうのは航一さん、一緒にいたいのは航一さん。航一さんに会いたくなってしまう、強烈なコレは、何なんでしょうか」
恋だよ、恋!
いやー、カマトトだよね。いや、カマトトぶってるよね。そして、自分で自分の気持ちを認めるのを避けてるよね。自分の気持ちを「恋」という字を使わずに吐露して、その上で、航一に「それは恋ですよ」と言わせようとしている。
「ああ、そうなんだ、これが恋なんですね! 今アナタが言ってくれたからわかりました!」ですか? わかってたでしょ! カマトトすぎるでしょ!
“言わせる”という行為自体、すごくズルい。私はそう思うのです。寅子は航一にもっと言わせる。
「優三さんの代わりになる気はない」
「永遠の愛など誓う必要はない」
「だらしがない愛だったとしても、今のドキドキする気持ちを大切にしてバチは当たらない」
彼女は「私はこれからも優三さんだけを愛していきたい」けど「アナタにドキドキしちゃう」
「でも、それっていけないことですよね」「私がなりたい自分じゃない」とだけ言って、あとは航一に、それに見合った形を提示してもらっているのです。
策士です。
すごくないですか?
前の夫には「寅ちゃんが好きになった人なら、(結局は)誰でもいいから一緒になって」と遺言してもらい、
今の恋人には「前の夫を愛していてもいい。今だけの気持ちでもいい。だらしのない恋だっていいじゃないですか」と全てを受け入れてもらう。
サイコーです。
そもそも、「告白」はリスクを伴います。告白する、ということは振られる率50%。告白される方は、リスク0%で「ごめんなさい」か「お願いします」かを自分で選べる。
寅子は「条件付きでお願いします」を、見事勝ち取ったわけですね。
その上、寅子も航一も、一緒に東京栄転ですよ。
多くの職場結婚組が、「夫婦のどちらかは辞めてもらう」と言われ、おおかた女性の方がキャリアを諦めなければならなかったり、まるで意地悪のように職場を遠距離に異動させられたりしたのに、寅子は本当に幸運です。
あ、私、やっかんでます?
ドラマの中にやっかむ人がいなかったので、その代わりにちょっとイケズを言ってみました。
ズルさ(4)美佐江を絶望させた、あの「目」
「美佐江問題」は、三条市に赴任して以来、ずっと尾を引いていました。大地主の娘で優等生の森口美佐江(片桐凛)は、道徳的な善悪の倫理観が欠如し、法曹界を目指しながらも「なぜそれが悪いことと定義されるのかわからない」とうそぶく高校生。現代で言えばサイコパスのような人間なのかもしれません。彼女が「特別」と認めた少年少女が様々な犯罪を犯していく時、その糸を引いているのが優等生の美佐江であるのではないか?と、寅子は薄々勘付きますが、証拠をつかむことができません。
寅子は裁判官として、また家庭裁判所立ち上げからの職員として、少年少女の更生には全力を尽くしてきました。しっかりと背景を調査し、本心を聞き出せば、絶対に更生させることができる。寅子はそう信じています。容疑者を安易に犯罪者扱いしない、国籍や職業などで差別しない、そういう平等意識や働きぶりが、佐田寅子という裁判官の公正さを職場にも知人にも周知されていったと思います。
美佐江が寅子を尊敬し、「私の“特別”になってください」と言うほどであったのも、そんな寅子を「普通の裁判官とは違う」と感じたからでしょう。何かにつけて寅子を訪れるのも、「佐田先生だったらわかってくれるのではないか? 答えをもらえるのでは?」と期待したからに違いありません。
寅子もそれに応えようと必死です。
でも、彼女の試みは、一瞬で崩れてしまった。
小学生の優未が職場にやってきて美佐江と鉢合わせした時、寅子はとっさに優未の体を引き寄せ、しっかと抱きしめます。その時、寅子が美佐江を見る眼差しは、それまで彼女が犯罪者や容疑者を見るときの目とは、明らかに違いました。
あれは、子どもを犯罪者から遠ざけ体を張って守ろうとする「親」の目です。
寅子は法廷という場を通じ、あるいはその準備としての聞き取りを通じて、多くの犯罪者と顔を突き合わせてきたはずです。一般の人であれば、「犯罪者に顔を知られる」ことは、感覚的にとても恐ろしいことですが、寅子にそういう思いはこれまでなかった。でも、自分ではなく子どもの顔が知られてしまった時、寅子は裁判官ではなく、一人の親として、美佐江の前に立ちはだかってしまったのです。子を守るためだけに。寅子は美佐江を「犯罪者への恐怖の目」で見てしまった。
これまで積み上げてきた美佐江との全ての交渉をなし崩しにするほど、冷たい目。
(結局は、佐田先生も同じなんだ)
美佐江の中で、「佐田先生」の幻影は、一瞬で消え失せてしまったのです。
美佐江は帰宅すると、親に「犯罪者扱いされた」と吐露します。それは自己弁護でもウソでもありません。これまで自分の味方だと思っていた寅子、言いにくいことをいい、たしなめてくれるとしても、最終的には自分のことを考えてくれる人だと思っていた寅子が、自分を「犯罪者」として危険視した、という衝撃だったのです。
あの目が美佐江の心をいかに撃ち抜いたか、寅子は理解していたでしょうか。
寅子は「正義」の人です。「理想」の人です。
そして、ただ理論を振りかざすだけでなく、体当たりで「溝を埋める」努力をする人でした。
そういう人でも、本音が顔に出てしまうことがある。
それが本音だったとしたら、寅子の「正義」はどこにあるのでしょうか。
これからの寅子が、容疑者とどのように対峙していくのか。
単に「ズルい女」ではなく、自分のズルさを知っている女であってほしい。私はそう願っています。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
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