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「助けてください」と言えたとき、人は自立しているらしい

真夏のキャンプは標高、川沿い、林間が決め手

この夏は暑くて暑くて、道志川(山梨県)沿いのキャンプ場に通い詰めていた。

おばキャンがこの夏どハマりした道志の森キャンプ場は、世田谷から約90kmという近さで標高約700m(道志川沿いのキャンプ場は標高約300m〜1000mと高低差がある)の上、森というだけあって木々が日光を遮ってくれるのと、テントのすぐそばを流れる道志川の支流がクーラーの役割を果たしてくれて昼間でも本当に涼しい。

むしろ夜は肌寒いくらい。8月といえども、うっかりTシャツ、上着なし、メッシュのテントに寝具はペラペラのタオルケットで参戦したソロキャン仲間から、夜中に「寒い……涙」とL I NEがきたっけ(笑)。

ちなみに、冬キャンプは装備でなんとかなるが、暑さは本当にどうにもならない。キャンプ場選びは夏の方が慎重にした方がいいかもしれない。昨今はゲリラ豪雨が怖いのと、標高が高くても大人気「ふもとっぱら」のように遮るものがない牧場系キャンプ場は容赦なく直射日光が降り注ぎ、昼間は地獄だ。

↑真夏でも長い時間足をつけていられないほど川の水は冷たい

あなたはどんな花になりたい? その理由から、あなたのこだわりが見えてくるかも。

自然のクーラーに川のせせらぎがBGM。自宅にいるより本当にぐっすり眠れる。それが病みつきになって、この夏4回も行ってしまった。

おばキャンは「はじめまして」のキャンプ場に行くのが好きだ。だから、同じキャンプ場に立て続けに4回も行くなんて珍しいことなのだが、道志の森は全長2キロほどあるため、場所によって全く違う顔を見せてくれる。おばキャンの開拓心をくすぐるのもこのキャンプ場の魅力。

余談だが、おばキャンが提供する自己理解ワークの中に「お花のワーク」というものがある。

・もし自分が花になるとしたらどんな花になりたいか
・その理由は何か

ここから見えてくるのは、自分の「快」だ。快とは、それをしている時に「嬉しい」「楽しい」「幸せ」と感じることである。自分軸とか価値観などと呼ばれることもある。

おばキャンは花になるとしたら「たんぽぽ」になりたい。綿毛になって飛んでいって、また新しい場所で咲けるからだ。知らないキャンプ場に行くのが好きなのも、この「快」を満たしたいからなのだろう。

対照的な二人が教えてくれた、50代から豊かに生きるためのヒント

さて、こんな本を読んだ。

この本によれば、「自立とは、多くの人に依存することだ」という。

いやいや、自立ってできるだけ人に頼らずに生きていくことなんじゃないの・・・? と、プチパニックになった。作者自身も長らく同じように思っていたそうだが、この真理に気づいてから生きるのが楽しくなったらしい。

作者がどのような経緯でこのコペルニクス的大発見に辿り着いたのかは本書を読んでいただきたいが、この8月、おばキャンはとある二人の対照的な生き方に触れたことで「自立とは多くの人に依存することだ」という説を猛烈に支持することになった。

8月中旬、八ヶ岳でキャンプしようと準備していたのに台風到来。泣く泣くキャンセルの連絡を入れたのとほぼ同時に、友人のMちゃんからメッセンジャーが入った。

内容は目を疑うものだった。病気で入院していてドクターから会いたい人に会っておけと言われたというのだ。

キャンプに行けなくなったのはこのためだったのだと悟った。

コロナで会えない期間に、Mちゃんは全身の筋肉が弱まっていく難病に侵されていた。会いに行くと、想像していた100倍、病状は進行していた。自力で発話できるギリギリの段階。おばキャンへのメールも、サポートスタッフさんが代わりに送っていた。おばキャンは狼狽えた。

キャンプをキャンセルしたおかげでぽっかり空いたお盆ウイーク。またMちゃんに会いにきたい。だけど、彼女と同じ素質タイプの人は自分の弱っている姿を人に見せたくないと考える人が多い。帰り際、また会いに来てもいいかと尋ねると首を縦に振ってくれたが、自分が顔を出したところでMちゃんの役に立つのだろうかと落ち込んだ。

帰宅後、Mちゃんから1本の動画が送られてきた。そこには、「体が痛いから面会に来たらマッサージしてください」というメッセージとともに、スタッフさんによるマッサージのやり方が収録されていた。

彼女のためにできることがあるなんて本当に嬉しかった。正直言うと、Mちゃんに会いに行く心理的なハードルがグッと下がった。

その後、周りの友人たちにも同じように連絡していることを知る。もし私一人だったら、お節介焼きのおばキャンはこの件を背負い過ぎてしまったかもしれない。でも、大事な友人たちに同じように頼っていることを知り、勝手に心が軽くなった。

一方、おばキャンには約20年前に乳がんで亡くした友人がおり、彼女の忘形見である娘からおばあちゃん(亡くなった友人の実母、以下おばさんと呼ぶ)が入院しているとの連絡があった。

おばさん夫婦は長野県は諏訪湖の辺りに住んでおり、大学時代はしょっちゅう遊びに行っていた。おばキャンにとって諏訪は第二の故郷だ。

おばさんは脳梗塞から認知症も発症、病院から介護施設へと転院するというので、娘とともに会いに行くことにした。が、本当の目的はおじさんの状況を確認することだった。

一人娘を乳がんで亡くしてから、親戚付き合いをしなくなった。数年前に自身がゴルフ場で倒れてからは友だちともあまり会わなくなった。想像通り、おばさんが入院したことで孤立が極まっていた。

一人で住むには大きすぎる家。孫から連絡のない日は誰とも会話をしない。今年の夏は暑く、外に出るのも億劫、食べ物は通販や宅食を利用しているので不自由していないが、それがますます出不精に拍車をかけていて、足腰がだいぶ弱まっていた。

健やかに生きるためには、より良い人間関係、良質な睡眠、軽い運動の3つが必要だと言われている。おじさんは今さら親戚や友人に連絡を取りづらいだろうから、家事代行サービスを使うとか、家の目の前にできたスポーツクラブに入会するとか、今は若い人に部屋を貸すことで老人と若者をつなげる取り組みなどもある。いや、そんな対処療法ではだめだ。おじさんは事業をされていたこともあってお金には不自由していないので、ラグジュアリーでサポート体制がしっかりしている有料老人ホームに入居する方がいいのかもしれない。しかし、どんな話をしても生返事を繰り返すだけだった。

この二つのケースに同時期に遭遇し、「自立とは多くの人に依存することだ」という理論が少し腹落ちした気がした。

何かに依存しなければ生きていけないのが人間だ。依存先は人だけではない。お金や家も依存先となる。自立=依存しない、という立場を取ると、自ずと依存先が絞られてくる。依存先が限られるとそれを失わないように必死になる。執着するようになる。すると自分の本心を捻じ曲げたり我慢し始める。それは依存先から支配されているってことだ。

Mちゃんはたくさんの依存先があり、おじさんは依存先が少ない。その違いは本人だけでなく、依存されている側の負担の大きさにもつながるのだと二人が教えてくれた。

と、この原稿を書いていたら、ソロキャン仲間からLINEが入った。

台風が近づく中キャンプを強行。台風のルートは確認して大丈夫と判断していたものの、念のため隣のグルキャン中の男性陣に「何かあったら助けてください」と、ご挨拶したら、「いつでも声かけて」との頼もしい言葉と共によかったらどうぞと鰻の差し入れをもらったそう。

「助けて」と言える方が、何やら人生は楽しそうだ。

[この記事を書いた人]おばキャン(Oba-kyan)

おばキャン

毎月1〜2度のソロキャンを楽しむアラフィー。離婚を機に、仕事仲間(女子)と中学生の息子と職住融合生活。起業して19年目。働く女性のハッピーキャリア&ナチュ婚を支援する学校を主宰している。
ソロキャン活動はtwitterで発信中。@obachan_camp

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