「気が済む」って大事なこと
私の周りにはウナタレ世代の素敵な女友だちがたくさんいます。
みんな仕事を持っていて、自分らしく生きている人ばかり。殆どの人は結婚していて、経済的にも安定している優雅なマダムたち。
でね、考えてみるとそんな友だちと私の間にはかなりの経済格差があると思うのです。
私は57歳で離婚しているので自力で生きているんだけど、離婚するときにお金をもらったわけではないし、今は大した収入ではないから、世帯の年収ベースでいったら数倍、下手すれば10倍の差があると思う。
よく経済格差のある友だち同士は付き合うのが難しいって言われるでしょ。実際そういう面もあるのかもしれないけど、不思議と何の不自由も感じないんですよね。
自分でも不思議なんだけど、変な負い目もなければ差も感じずに普通にお付き合いできるの。
元夫は高給取りだったので、結婚しているときの世帯年収は今の8倍くらいでした。でも、8分の1になっても全然気分が変わらないのよねえ。
老後の不安(既に老後とも言えますが。笑)もなければ不自由も感じていないんです。クルマは乗り潰して手放したけど。
私は働くのが大好きですが、ムキになってガツガツ働くタイプではないのです。暮らしていけるだけの収入があればオーケーという感じなので、意外と欲がない。
苦しくなるほど働こうとは思わないし、そういう働き方をしたこともありません。自分のペースを守ることが何より大事だから。
でも好きなことを諦めたこともなくて、「私は神様に養われているから〜」なんて言いながら、行きたい所へは行って、やりたいことはやりながらここまで来ました。
いやホント、考えれば考えるほど運のいい人生だと思うわ。
若い頃には収集癖も手伝って、古伊万里やその他のアンティークやオールドバービーや着物などに凝りまくっていたこともありますが、あの時もモノ自体に執着があるわけではなく、気になるものをとことん知り尽くしたいという知的好奇心によるものだったので、十分に理解したと思った途端にモノは必要なくなりました。
この変な癖のために私の上を通り過ぎて行ったモノの数は膨大。
ですが、今は殆ど手放していて、頭の中の引き出しに仕舞われているのみです。引き出しは十分に埋まってるから、もう欲しいものはない。
いえ、洋服などはその都度欲しいから物欲がなくなったわけではないのですが、どちらかというと断捨離が必要となる年齢なので、気持ちは縮小傾向にあります。
でも、だからって自分が小さくなったわけではないのよ。
目に写るものが美しくないと気持ち悪いので、ひとり暮らしの家の中には、これまでに買い集めたステキなモノたちがあります。
洋服も着物も器も必要な分は持っていて、好きな調度品に囲まれてご機嫌で暮らしています。
つまりね、もう気が済んでいるのです。欲しいものを我慢しなかったし、気になることは経験したから、心が十分満足しているんですね。
やりたいことを我慢していたら思いが残ると思うけど、経験すれば気が済む。そういうことなのだと思います。
それに本当に大切なものはお金とは関係のないところにあって、それはちゃんと持っているからなのかもしれません。
[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ
娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。
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