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それでも父から愛されていたから

父にとって母は2度目の結婚相手でした。最初の奥さんの鈴子さんは自殺したの。どういう事情だったのか聞いたことはないけど、伯母夫婦は鈴子さんのことを知っていたらしく、母が父と結婚するのを猛反対したらしい。

それでも反対を押し切って結婚し、私と妹が生まれたのですが、その頃経営していた出版社が倒産。父は債権者から身を隠すために、あろうことか若い女の人を連れて消えてしまった。おい、こっちは債権者が「社長はいるか!」って怒鳴り込んで来て怖かったんだぞ。

父は8人兄弟の末っ子でした。上には2人の姉と5人の兄。姉2人には特に溺愛されていたらしく、父の葬儀のときにその伯母たちが「ボクちゃん!」と呼びながら号泣するのを見て、小学5年生の私はドン引きしました。それくらい甘やかされて育ったんだと思う。

祖父は博多の警察署長だったらしいけど、兄たちは揃って医者になり、父もそれに倣って医大に行きました。でもインターンの時に自分は医者に向いていないと言ってやめちゃった。そして京都の大学に入り直し、自分の出版社を立ち上げたのです。

アレルギーの専門書ばかりを扱っていたのは自分がアレルギー体質だったから。当時は今ほどアレルギーが一般的でなく需要が少なかったのでしょうね。今だったらアレルギー関係の本はもっと売れていたと思うけど、そうはいかなかった。倒産したのは時代が追いついていなかったからかもしれないね。

父が最初の奥さんの鈴子さんと一緒にいた時期がどれくらいだったのか知らないけど、数年だったのだろうと想像できます。母と一緒にいたのは5、6年かな。母と離婚した後結婚した3人目の奥さんともやはり5、6年。本人が肝硬変で亡くなったのでね。どの奥さんとも同じくらいの短期間。父はつくづく女性を幸せにできないダメ男だったんだわ。

父の兄姉はほぼ全員肝硬変か肝臓がんで亡くなっているので遺伝的要素もあると思うけど、お酒も好きだったみたい。女を幸せにできないダメ男が肝臓を悪くして40代前半で死ぬなんて、この前読んだウナタレコラムニスト渋谷ゆう子さんの著書『名曲の裏側』に出てくる作曲家たちみたいだわ。

そんな父なんだけど、私は父を愛しているんです。どんな人物だったのかは今となってはよくわからないけど、少なくとも離婚後何年にもわたって毎月子どもに会いに来る父親だったことは間違いなくて、私にも愛された記憶があります。

それだけで十分なんだよね。生きていたらもっと面白かったと思うけどね。

やまざきゆりこ


[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ

娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。

墨絵&日本画 梨水
http://risui-sumie.sakura.ne.jp/wp/

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