21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
「はて?」の反対語が「謙虚」っておかしくない?~第10週「女の知恵は鼻の先?」~
いやー、展開が早い! 次から次へといろんなことが起こる「虎ツバ」。でも昭和20年からの数年は、まさにこういう時代だったんでしょうね。既成概念がどんどん崩れ去る。昨日まで「是」だったことが「非」となる日々。
その中を死に物狂いで生き抜いた人たちの上に、私たちの生活はある。「個人の幸福」を目指せる社会となったことに歓喜した寅子も、職を手にしたとたん、「自分らしさ」より「生き抜くこと」を優先しました。
寅子、一瞬「謙虚」になる
裁判所の事務官として、民法改正の業務に携わるようになった寅子でしたが、紅一点(この言葉も最近使わないですよね、いいことだ!)の寅子はちょっと変わった上司のライアン(頼安=沢村一樹)から意見を求められても、昔のようにズバズバと疑問を口にしません。
「もう失敗できない」
一家の中で、稼ぎ手は自分だけ。職を失いたくない一心で、口から出る言葉は「こちらも正しいけれど、あちらも一理ある」とか「理想は大切だけど、時機を待つべき」とか、当たり障りのない「中庸」にしぼんでいきます。
「君はずいぶん“謙虚”なんだね」
その“謙虚”は誉め言葉? それとも、皮肉?
同級生で同僚の小橋も、
「以前のお前なら、『はて?』『はて?』って口をとがらせてた」と言います。
「まさか寅ちゃんが“謙虚”って言われる日が来るなんて!」と家族も思わず吹き出す始末。
そんなの、寅子だってわかってる。
(これは、「すん」だ……)
自分が軽蔑してきた、女性の在り方。自分が我慢できない、女性の在り方。それが「すん」。
「謙虚」と書いて「すん」と読む。あるいは、
「謙虚」と書いて「オトナ」とも読む。
「いえいえ、私なんて」「とんでもございません」「何もわからないんです」
みたいなのが、謙虚なんでしょうか。
いかなる場合も殿方を持ち上げるのが、「謙虚」なんでしょうか。
「すん」=「謙虚」って、おかしくない?
「謙虚」の反対語は「傲慢」あるいは「横柄」。
寅子の「はて?」は、単に「疑問を持つ」ということであり、他人の意見に無条件に従わず、持論を表現しているだけ。「傲慢」や「横柄」とは異なります。
かつて寅子がお見合いをした東大卒の男(オリラジの藤森慎吾)が
「女の分際で、私に意見をする気か?」と言ってテーブルを叩きましたが、ゴーマンかましてるのは、この男の方ですよね。
“カン違い男”と “思い込み男”、どちらがゴーマン?
今週は「家族の在り方」を民法でいかに定めるか、というところに一つの焦点がありました。これまでの日本の家族の在り方を、アメリカの個人主義に壊されたくない神保教授(木場勝己)と、戦前からの理想実現のチャンスとばかり改革を支持する穂高教授(小林薫)の意見がまっこうから対立します。
神保教授はガチガチの守旧派ですが、寅子の胸をえぐったのは、一見リベラルな穂高教授が放つ言葉でした。「家のために我慢して働くことはない」って、決めつける穂高教授。カン違いも甚だしい!
口では「男女同権」「男女平等」を謳いながらも、彼の頭の中にある「女性像」は、女のリアルからは程遠い。だいたい、寅子が妊娠を機に仕事から一切手を引いてしまったのは、穂高教授の「よかれと思って」が大きく影響しているわけです。
こういう男性、今もいますよね。
「虎に翼」の秀逸なところは、こうした「あたりはソフトだがカン違いしてる」男性の功罪を、丁寧に描いていることです。
謝りにきて、また寅子を怒らせてしまう無自覚カン違い男、穂高教授。それでも、彼は言います。
「桂場くん、私はまた何か問題を起こしたかね……」
何が悪かったか全然気づいてないけど、“やらかしたかな”っていうことはわかるようになってきた穂高教授。こういう態度を、「謙虚」って言うんじゃないでしょうか。
「自分は絶対悪くない」って思っている人は、男性も女性も、「傲慢」です。
80年前から変わらない「女に名字を譲る」ハードル
名字の話になると、がぜん力が入る神保教授。
「私の息子が嫁の名字を名乗るなんてことになったら」「家族がバラバラになる」というのが、男系直系家族にこだわる人の主張です。
(これって1940年代の話だよね? 2024年の話じゃないよね?)
結婚と姓の話、戦後80年になろうというのに、男マインドは1ミリも動いてない!
そのことに、ただただ呆れるばかりです。
実は、私の息子は第一子長男で男の子どもは1人なんですが、結婚して妻の姓を名乗っています。向こうは娘さん2人で、お姉さんはすでに結婚して夫の姓を名乗っていました。
「お母さん、どう思う?」
結婚を直前に控えて相談してきた息子に、私は即答。
「こういうのは、声の大きい方が勝つんだよ」
どちらの方が、切実に自分の姓にしたいか。
「でもね、変えた人間の大変さを、替えなかった人間がリスペクトする気持ちがなければ、これは成立しない話」と伝えました。
どちらかに決めなければならないなら、どちらかがあきらめるしかない。
私自身が結婚で姓を変えた人間なので、「変える」ことを否定はしませんでした。
でも夫は、私とは異なる意見。
「男は1人しかいないのに、なんで?」と、こうです。
名字を変えたことのない人には、変わらないのが当たり前なんですよね、きっと。
彼は、たまたま久しぶりにあった友人にその鬱憤をぶつけました。
「ねえ、どう思う?」
彼の男性友人2人は、自分の立場や気持ちを率直に話してくれました。
友人Aは「●●小路」という、平安時代にはすでにあった名字で、多くの著名人を輩出した家の直系長男です。息子さんはおらず、娘さん2人は夫の姓になっています。
Aは夫に言いました。
「うちは婿養子をとってまで“●●小路”を絶対守らなければならないような商売をしている家じゃないし、別にかまわないと思ったよ。そんなに名字って大事?」
また、友人Bは自分の姓を名乗っていますが、妻の両親と同じ敷地内で暮らしています。
「悪気がないのはわかるけど、俺の家も親にとっては自分の家感覚なんだよ。時々プライバシーがないって思う。入り婿みたいな感覚がある。環境がそうさせるわけで、名字は別でも、そこは変わらないんじゃないかな」
最終的に、夫も名字を変えることを受け入れました。同じ男性として、この2人の経験談は大きく胸に響いたようです。
息子が結婚して早4年。私たちは、素晴らしい家族を親戚に迎えられたことを幸せに思っています。彼らが幸せで、向こうの家族と私たちも素敵な親戚づきあいができる。それが一番です。
「すん」から脱却した寅子も、神保教授に言います。
「私の娘が夫の名字を名乗ったからといって、私たちの家族愛がなくなったとは思いません」
たかが名字、されど名字
とはいえ、たかが名字、されど名字。
先ほど「声が大きい方が勝ち」とは言いましたが、もちろん、これは勝ち負けで決めていい問題ではありません。
第二週のコラムでも触れましたが、姓の問題は結婚の根幹にかかわる大問題です。
それぞれ自分につけられた名前には愛着があり、自分の家族にも愛着があり、「残したい」気持ちもある。たとえば、私は戸籍上の姓は夫の姓にしましたが、ペンネームには旧姓を取り入れています。
民法で「夫婦どちらかの姓を名乗る」ことが決まったことを受け、猪爪家では「もしお母さんの姓だったら」という談義に花が咲きます。
「もしおばあちゃんの名字だったら、直井直道?」
みんなで笑いますが、いえいえ、もし「直井」だったら、「直」の字はつけてなかったと思います。
先ほど、私は結婚して夫の姓になったと言いましたが、そのとき、夫は言いました。
「僕は“なかのまり”という響きがいいんだけどな。ご両親が“なかの”に合う名前をつけてくれたんだし」と。それは夫の両親も同じ思いだったと思います。
だから、私は猪爪直言・はる夫妻が息子に「直」の字をつけたのは、妻のはるを尊重する直言の愛の証だと思うのです。
もちろん、「猪爪家では代々、男子には“直”の字をつける」という家訓があったのかもしれません。私も、この回を観るまではそう思いながら見ていました。でも、直言にとっては、「直井の直」を永遠に残すことだった、そう信じられるような、ステキな夫婦だったと私は思うのです。
「姓を変えなかった方が、姓を変えた人の気持ちを尊重する」やり方は人それぞれですが、皆が気持ちを寄せ合いハッピーになるように、夫婦別姓選択の自由、寅子の時代から100年かからずに解決してほしいです!
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」