
実家のばぁちゃんになりたい
誰もいない実家で思ったこと
東京から約3時間、山形新幹線を降りてローカル線に乗り換えて約40分。そこからはとりあえず平日はバスがあるものの本数は少なく、タクシーに乗れば20分ほどかかる、そんな場所に私の実家がある。実家には母が1人で住んでいたのだが、一昨年の夏に亡くなり、その後独り身の兄が戻って暮らし始めたのだが数か月もしないうちに去年急死。立て続けに住む人を失った実家は完全な空き家になってしまった。
母の命日と兄の新盆のお墓参りに帰った去年の夏、「ただいま」と言っても返事もなくシンと静まり返った実家の玄関に入った時に、「あぁ、本当に誰もいなくなってしまったんだな。」と猛烈に寂しかった。
誰も住まなくてもなぜかホコリはたまる。残された衣類も食器もそのままになっている。窓を開けて空気を入れ替えても家の中がなんとなくくすんでいるのだ。誰もいないのにうっすら汚れている家の中を片づけて掃除して、次の日はお墓に行ってお墓の掃除をしてお参りして、なんてやっているとあっという間に数日が過ぎ、ゆっくりする間もなく山形を離れる日がやってきてしまう。住む人がいなくなるってことはこう言うことか、とただでさえシンとした家の中で心の中までシンとしてしまった。

自分の人生を生きなおす
嫁いで以来自分のことは二の次、ずっと主婦として母として家族のために動いてきてやっと子育てに終わりが見えてきた頃、この先自分がやりたいことって何だろう?と考えたことがある。それは母が生きてるうちに時々実家に戻って、年老いた母の世話を焼きながら若いときに聞けなかった地元の伝統や食文化を教えてもらうこと。
若いころは、それこそ10代のころなんか何もない田舎がつまらなくて嫌いだった。都会に出ていくことばかり考えていた。実際高校を卒業して上京、横浜に住んでいたし東京にもすぐに行ける環境が楽しかった。結婚してからは湘南と呼ばれる海のそばに居を構えて、子育てと仕事に追われる毎日を過ごしてきた。でも子育ても一段落ついて、田舎を離れて40年近くたって、「実家のある山のふもとの町の美しい自然とゆっくりした時間軸の中で暮らしたい」そんな気持ちがむくむくと湧き上がってきたのだ。下の娘が高校を卒業したら・・・と思っていたのにそれが現実になる前に、一足先に母は逝ってしまった。
「自分の生まれ育った場所がこんなにも素晴らしいことに今頃やっと気づいたし、山形で採れる野菜や果物の美味しさも、もっと人に言いたいし知ってもらいたいのに、故郷のこと何も知らない。自分が生まれ育った町のこと、伝統や暮らしや食べ物のこと、母から聞いておかなきゃならないことはたくさんあったのに。」という後悔。
なぜあの時に動き出しておかなかったんだろう、と言う後悔。しょうがなかったんだよ、動き出すのはきっと今じゃなかったんだよ、という言い訳。自分が我慢すればと動き出せないことを誰かのせいにして生きてきた今までの人生。でもこの先の自分の人生、後悔と言い訳だけであきらめたくないのだ。これから人生の折り返し地点なら、第2の人生と言うなら、この先もっとわがままに自分のしたいように生きてもいいじゃないか。

「実家のばぁちゃん」になる
物がたくさんあって便利な世の中が、必ずしも幸せじゃないと気づいてしまった人はこの世の中に意外とたくさんいるんじゃないだろうか?そんな同じ思いを持った人が集まってこれる場所を実家に作る。実家に帰ってきたような居心地を感じられる場所を作る、これが私の今年かなえたい夢だ。
タイパとかコスパとか、効率重視でいかに手間暇かけずに日々をこなすかが大事な世界から真逆のところへ。歩いて2~3分のところに必ずコンビニのある場所から、交通手段も少なく日々の買い物も不便な場所へ。何もないからこそ、自分で何とかしようと考えて、知恵と知識と伝統とを集めて、そこから何かを生み出していけるのではないだろうか。
いや生み出していきたいのだ。そんな暮らしがしたいのだ。お金はかけずともゆっくりと時間をかけることで成り立つ暮らし。昔は1年が大きなサイクルだった。米も野菜も時間と手間暇をかけて手に入れるものだった。すべてを昔に戻すわけではないけれど。家の前の畑を耕し、野菜を作ったり、地元で採れたもので味噌や醤油を作ったり、好きなものを大切に使ったり、手仕事で何かを生み出したり、そしてそれを誰かに伝えていく、そんな暮らしが出来る環境を今やっと手に入れることができる。
実家に帰ってきたら、ちょっと現実から遠ざかって、1日中ゴロゴロ寝ててもいいし、好きな本を読んでもいいし、好きな映画を観てもいいし、散歩してもいいし、何もせずにボーっとしてたっていいのだ。
私は実家のばぁちゃんになって「寝でばりいねでちょっと手伝え」と山形弁で文句を言いながら、畑で野菜を収穫したり、散歩がてら街まで買い物に行ったり、一緒に晩ご飯作ったり、漬物着けたり、味噌仕込んだり、温泉行ったり、たまには一緒に晩酌したり。
日常の延長、でも非日常を味わえる場所。何もしないをしに行く場所。何もない不便なところだからこそ、そんな風に過ごせる場所。小さな町にも伝統があって郷土料理があって特産品があって、そんな中で日々の暮らしがあって、それを誰かに受け継いでいく場所。旅の目的が観光だけじゃなくなってきている今、美しい自然に囲まれた小さな町に、そんな想いを繋いでいける場所があっても良いのではないかと思うのだ。
母から教わりそびれたことを一から地域の人たちに教えてもらって、今度は自分がそれを時々訪れる誰かに伝えていく。自分の人生を生きなおす。そしてその先でみんなの「実家のばぁちゃん」に私はなりたいのだ。

[この記事を書いた人]sachi
片づけアドバイザー 今年還暦を迎えたタイミングで4人目の子育てと母の介護から卒業。 やっと戻ってきた自分の時間に、好きなことやりたいことを模索する日々。 好奇心の赴くままに行動する日常をお届けします。