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「朝ドラ」が教えてくれる、「好き」を仕事にする夢と痛み(2)

~10年越し、2回目の「あまちゃん」編~

「好き」を仕事にしようとするとき、必ずぶち当たるのが「アマチュア」と「プロ」の意識の差。

「趣味に毛の生えた」くらいの気持ちでやると、ケガをする。でも、「プロ」に徹しすぎると、「楽しさ」がなくなる。なんでだろう? どうすればいいんだろう?

10年ぶりに再放送されている「あまちゃん」は、自分の10年の歩みを振り返る機会を与えてくれた。

「あまちゃん」は、「なりたい自分」を夢見て失敗した「敗者」たちを描く物語

朝ドラ「あまちゃん」のストーリーは、東京ではハッピーになれなかった女子高校生が、母親の故郷・東北の袖が浜で自分らしさを発揮、海女(あま)になろうとする話・・・と一括りにされることが多い。

だから、この物語を最初から最後まで見ていない人の中には、「東京では引きこもりで適応能力がなかった女子高生も、自然豊かな田舎には生きる道があった! みんな優しいし、田舎サイコー!」・・・みたいなハッピーコミカルドラマだと思っている人もいるだろう。

ところがどっこい、この作品、そんな単純な、なまやさしい話ではない。

過疎問題を抱える地方の話であり、東京でいじめにあって自己肯定感が低い女の子の話でもあり、田舎から都会に憧れアイドルになりたい人の話でもある。

そこに「子どもに出ていかれた親」「故郷を捨てたが一旗あげられなかった子ども」など、親と子の関係も入ってくるし、好かれていないのにずっとその女性を待っている片思い男、逆に、なんで妻から離婚届を突きつけられるのかさっぱり理由がかわからないモラハラ男も出てくる。

そういう人々に共通なのは、「思い描く理想の自分になれていない」ということだ。

「こんなはずじゃなかった」

その痛みをずっと胸に抱えて、人は生きている。自分は負け犬だ。そう思って頭を垂れている。ようやく光が見えてきたところに、大震災がやってきて何もかもぶち壊す!

今だから刺さる、「負け組」すぎた春子の人生

「あまちゃん」では、東京育ちで海女になりたいアキ(能年玲奈)と、田舎から東京に憧れアイドルになりたいユイ(橋本愛)の青春が、対照的に描かれている。対照的であるからこそ、視聴者は「どちらか」に感情移入できるのだ。

しかし、2度目となる今回、私はアキの母親、小泉今日子が演じている天野春子の人生に釘付けだ。

春子は「強権的な母親」に反抗した「スケバン」だった。全てを捨てて東京へ行ったが、夢やぶれ、結婚するもうまくいかず、故郷にも帰れず、悶々とした40代を過ごしていた。

24年ぶりに帰郷したのも、自らの意志ではない。昔の自分を知る故郷の人々に合わせる顔もなかったのに、結果的にそこで生活せざるをえなくなったのだ。

ただ、彼女が「昔の春子」でなかったのは、そこで「開き直れた」ところだろう。

彼女は、娘アキの青春を守ろうとして必死になる。その中で、かつての自分は言葉にできなかったこと、母親に面と向かって言えなかったあんなこと・こんなことをはっきり口にして、かつての自分をがんじがらめにしていた「既成概念」と真っ向から立ち向かう。

失敗の中で得た「自分」が、春子を強くしている。

娘のために立ち向かう力を得たと同時に、昔の自分が言えなかったことを言い、自分に素直になって人生を生き直している。

だから、クドカン=宮藤官九郎の書いた脚本はすごい、と思う。

この物語は、ある意味で人生の「負け」が決まってしまっている彼らの「負け」を「そうだね、負けちゃってるね」と敢えて肯定しつつ、「でも、やるだけやったじゃん、だからこそ今の君がいる。

今の君は輝いてるよ、誰にも負けないオンリーワンの人生だ!」とすべての人々の「素晴らしさ」を愛情深く描いているのだ!

そして、この描き方は、能や歌舞伎にも通じる。

主人公だけが生き残ることがハッピーエンドのサクセスストーリーではなく、すべての敗者を主人公に据えてその人生を丁寧に追うのは、日本の芸能のキモである。

プロになりきれない「あまちゃん」にハッとする

東京育ちで海女になりたいアキと、田舎から東京に憧れアイドルになりたいユイは、「周りと違っている孤独」を知っていることと、「なりたい自分」を持っているところが共通点で、生い立ちや性格は全く違うが親友になっていく。

ありとあらゆる部分が対照的に描かれている中、今回とりわけハッとしたのが「意識の差」だ。

ユイが高校生ながら、「アイドルになる」という目標から逆算して今の人生を生きている。

対してアキは、まだまだ自分探しの真っ最中だ。ようやく見つけた「潜る」という夢中になれるものさえできればよく、それを「職業」としては捉えていない。潜れることだけが重要で、訪れた観光客に笑顔を振りまいたり、写真撮影に応じたりすることに積極的になれないでいる。

そんなアキに、半世紀以上潜ってきた「プロの海女」である祖母ナツ(宮本信子)が諭す場面がある。

「海女は究極のサービス業だ」

「お客が喜んでくれることをするのは当然」

「ウニだと思うな、500円玉を取ると思え」

「それができなければ、『海女さん』でなくて『アマちゃん』だ」

自分の「好き」を職業にするとき、「自分がやりたいこと」と「お客様が求めるもの」は、必ずぶつかる2つのベクトルだ。ナツが高校生のアキに、敢えてそれを突きつけるのは、「本当に海女になる気があるのか?」を問うているからだろう。

そして、きっとクドカンは、多くの演劇人に問うているのだと思う。

「お前、なんのために演劇やってるんだ?」

「エンタメは究極のサービス業だぜ」

「お客が喜んでくれることを考えろ!独りよがりの舞台やってどうする?」

アキは「自分なんか、騒がれる資格も価値もない」と自分に自信を持てない。

ユイは言う。

「そんなアキちゃんに会いに、遠くからみんなは来ているんだよ」

プロ根性で人生設計の通り生きようとするユイは、アイドルになれるのか?

目の前に現れた「やりたいこと」に振り回されながら、全力投球するアキに、自分の道は現れるのか?

私は「あまちゃん」の顛末を知っている。知っているけど2回目も見る。

きっと、今後も1回目とは違う感動をもらうだろうから!

「あまちゃん」が教えてくれる「プロ意識」より大切なこと

私たちが「何者かになりたい」と思ったとき、そのために必要なものは何なのだろう?

準備も覚悟も揃ったとしても、成功できるとは限らないのが現実である。

運に左右されることもしばしばだ。「あまちゃん」はその究極を描いている。

だからこそ、私は思うのだ。

「好き」じゃないと!

「やりたいことへの情熱」が、その中心にないと!

それは自分自身が仕事をやってきて痛感することでもある。

うまくいかなかった時、乗り越える力は「好き」にある。私はそう確信している。

どんな状況にあっても「好き」はゼロにはならない。

そして「あまちゃん」同様、

人生は「結末」ではなく、その「過程」にこそ魅力がある。

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

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