21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
世を揺るがす疑獄事件の解決の糸口は、「主婦の日記」だった ~第五週「朝雨は女の腕まくり?」~
第五週の「虎に翼」は、銀行に勤める父・直言(なおこと)が「共亜事件」の容疑者になる話。昭和9年(1934年)に実際に起こった政財界をめぐる大疑獄事件「帝人事件」がモデルだと言われています。
ゴールデンウイーク中の放送ということもあり、「5月3日の憲法記念日に戦前の法廷シーンを放送するところに意味を感じる」という感想も出ていたようですが、これまでの軽妙なトーンから離れたため、「あれ? この朝ドラ、女性の話じゃなくて社会問題の話?」と戸惑った人もいるのではないでしょうか。
でも、ちゃんと寅子とはるの話として成立しています。
まずは寅子。正義感にあふれ、正しいことをぶれずに追求し、「人と寄り添い、人を救う、そんな弁護士になりたい」と法律家を目指す寅子でしたが、厳しい取り調べを受けた直言の憔悴を目の当たりにして、「裁かれる者」の辛さを知ることとなります。
そして最後は、母親のはる! 解決の糸口は、はるの日記なのです。しかし、その決着までには、200日あまりのつらい日々がありました。
「お上(かみ)が間違うはずはない」は、今も同じ
直言の逮捕は、寅子にとって青天の霹靂でした。「お父さんが、捕まった?? なぜ??」大概の人間は、「悪いことをしなければ、つかまらない」と思っています。
寅子も「自分は正直に生きてきた」「悪いことは一つもやっていない」「自分の家族にも、やましいことは一つもない」と思っていたのですから。
でも、世間はそれをどう見たか?
「銀行のお偉方が汚職に手を染めた」
「いい人だと思っていたのに、裏であんな悪いことをしていた」
「だからぜいたくな生活ができたんだろう」
「火のないところに煙は立たず。警察に目を付けられるということは、日ごろから行いに問題があったはず」と。
寅子が初めて直面する、「理不尽すぎる世間」です。戦前は、今と違って“容疑者”が、ほぼ“犯人”として扱われる時代。
「まだ犯人と決まったわけではない」「憶測で判断してはいけない」とくぎを刺される現代でさえ、一度捕まれば、“容疑者”の段階でも、名前や住所、職場や学校など、ありとあらゆる情報がニュースで流され、実家突撃でインタビューを取ったりします。
法律そのものが異なる戦前の日本において、「お上(かみ)が間違うはずはない」という世間の目は、非常に厳しいものだったと想像できます。所属するコミュニティによっては、“容疑者”段階でクビになったり、家族でさえも村八分になったりする可能性も大きかったことでしょう。
寅子には仲間がいた
そんな中で、優三(仲野大賀)の態度は立派でしたね。警察が直言を拘束しに家にやってきた時、法律を志す人間として、警察に最大の敬意を払い、寅子たちにどうふるまうべきかを優しく伝えるとともに、土足で踏み込もうとした警察の人間を、礼を尽くしつつも厳しく制する。こうした冷静な人がそばにいてくれると、本当に助かります。当事者は、もう何がなんだかわからないんですから。
梅子も、猪爪家の力になろうと、弁護士の夫に頭を下げて、直言の弁護をしてくれるように頼みますが、これは拒否されます。当局が総力を挙げて多数の著名人を逮捕した事件に勝ち目がないことは、普通に弁護士をやっている人間ならわかりますから、関わりを避けるのは当然といえば当然。
でも、梅子に限らず明律で出会った仲間たちは、皆離れることなく、寅子たちの味方になってくれました。親身になってくれる人たちがいるって、本当にありがたいですね。
けれど、あからさまに署名運動をしたりする寅子を見ながら、「大丈夫か~?」と思ったのは、私だけではなかったと思います。
「正しい」を信じて生きることが難しい時代に突入
新聞記者の竹中次郎(高橋努)は、一見女性の活躍をハナで笑っているような人物に見えますが、そうした言論弾圧の風潮を敏感に察知し、寅子が「出過ぎたクギ」として目をつけられないよう、やんわり気勢を制して守っていましたね。
時代設定は、昭和9年。
鬼より怖いといわれた「憲兵」や、思想犯を執拗に追いかける「特高(とっこう)=特別高等警察」など、当局の目が生活のあちこちに光っています。一度目をつけられた人とかかわることは、それだけで自らの身の危険となるような時代が、もう始まっていました。
ドラマの中で、「共亜事件」は時の斎藤実内閣を倒すために仕組まれたものだった、と語られますが、それはモデルとなった史実の「帝人事件」でも同じ。そして、帝人事件をきっかけに総辞職に追い込まれた第30代内閣総理大臣の斎藤実は、昭和11年、かの「二・二六事件」で暗殺、命を落とします。当時の現職総理である第31代の岡田啓介首相も襲撃されました。九死に一生を得たのは、義弟が命がけで身代わりとなったおかげです。
2年前の昭和7年にも、同じようなテロ事件「五・一五事件」があり、犬養毅第29代総理大臣が暗殺されました。未遂も含め、三代続けての総理大臣暗殺は、尋常ではありません。民主的な内閣制議会制度が機能不全に陥っていた証拠です。
このように、「多様な意見」や「信念を通すこと」が暴力によって封殺されることが頻発していた時期に、帝人事件の容疑者が全員無罪になったことは、きっと戦前の法曹界でも、裁判が裁判として機能した特筆すべき裁判だったのではないでしょうか。
はるの日記の威力
ドラマの中で、直言の「無罪」認定に大きく影響したのが、妻はる(石田ゆり子)が長年つけていた「日記・家計簿」の存在です。それは「猪爪家」という一つの共同経営体にとって、綿密なる帳簿であり、業務日誌でした。それが呉服屋の帳簿や大臣邸の訪問客日誌という「男社会の公的な記録」と付け合わせた時、寸分たがわぬ正確性があったことで、事実が浮かび上がってきたのです。
バカにできないよね、日記。
離婚するときも、DVでも浮気でもなんでも、訴訟を起こすときは、それまでの記録を残しておくと非常に有利と言われています。カレンダーにメモ書きだったとしても、ブログでもなんでも、書き残しておくのは大切ですね。
とにかく、はるさんはすごい! もし世が世なら、はるさんはものすごく有能な総務部長か、マネージャー、秘書などになっていたのではないでしょうか。
ただ、その時は「主婦」という道しか選択肢がなかった。「頭のいい女は、ばかなふりして生きていく」しか、幸せになる道がなかった。
はるがもっとも欲しかったもの
でも、はるの一番の関心は、直言が罪を犯したか犯していないかではありませんでした。彼女の心を苦しめていたのは、直言が、はるに心を打ち明けなかったことです。
日に日に様子がおかしくなっていく直言を見ながら、「女じゃないか?」などと軽口をいう人(「俺にはわかる」が口癖のあの人)がいる。
当時の夫婦としては民主的な、なんでも本音で相談しあってきた夫婦だっただけに、急に本心を隠し背を向ける夫の姿は衝撃でした。
だから、直言が無罪を勝ち取って家に戻ってきても、はるの心はまだ固まったままです。それが解いたのは、直言の「今まで、本当に悪かった」の一言。そして、映画の切符でした。
「あの時からやり直したい」
逮捕前に、「仕事だ」といって映画に行く約束を反故にした、あの日に戻りたい、と。すると、はるは直言に抱き着き、はじけたようにワァワァと泣きます。
「私には、何も言ってくれないんだから!」
200日以上ずっと耐えて、見せまいとしていた、はるの本当の姿。このシーンに、私は今週一番じーんと来ました。はるは、直言の本心を知りたかった。それも、弁護士や寅子よりも先に打ち明けてもらって、一緒に立ち向かいたかったのでしょう。
「経営」にもっとも重要なものは、業務日誌でも帳簿でもなく、信頼です。家庭の共同経営者である夫と妻が、互いを信頼しあうこと。それが、はるにとっての「幸せ」なのです。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
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