私の結婚と離婚
経験則から言うと、正しい方向に向かっているときは何もかもがスムーズに運ぶけど、最初から障害があるときは、頑張って何とかしようと思っても結局上手くいかない。
東京オリンピックがまさにそのいい例。
エンブレムの盗作疑惑から始まり、国立競技場の設計見直し、有力選手の病気や怪我、最後にはコロナのパンデミックというボデイーブローをくらって、もうヨレヨレ。
それでも無理やり強行したけど、終わった後には贈収賄事件のおまけまでついてきました。
始めよければ終わりよしというけど、何でも始まりが大事な気がします。
例えば恋愛や結婚もそうです。私の場合、元夫とは13歳からの長い長い付き合いでしたが、実は結婚する時にゴタゴタがあったのです。11年も付き合って婚約した後に「好きな人ができたから結婚できない」と言われたのよ。結局はすったもんだの挙句にできちゃった結婚したんだけどね。
今の私なら彼に執着することはなかったと思う。
でも若い私には他の世界が想像できなかったのです。何しろ夫とは中学2年の時からの付き合いで、同じ土地、同じ友だち、同じ文化という感じで環境をすべて共有していたから。 あの頃の私には、世界は1つしかなかったので、私にとって彼と別れるということは、自分の世界のすべてを失うことを意味していました。それが恐ろしかったのです。
当時私が守りたかったたった1つの世界は、彼の大学の友だちを中心とした20人くらいのグループでした。何しろ楽しい連中で、学生時代はみんなで踊りに行ったり、テニスやサーフィンやスキーに行ったり、山の別荘に遊びに行ったり、パーティーをしたりと、いつも一緒だったのよ。元夫と別れたらその素敵な友だちすべてを失うと思った。
結婚してからは、元々長い付き合いだし2人の娘も儲けてそれなりに幸せに暮らしたけど、私の心の奥底には彼の裏切りに対する恨みが氷の塊みたいになって棲みついていたんだよね。それは普段は隠れているんだけど、何かの折に顔を出して胸にチクリと刺さるのよ。
その氷の塊のせいで私は彼に優しくできなくなっていたのです。
いえ、普段はそんなこと考えてないし、普通に暮らしてるのよ。でも子育てワンオペの不満もあって「優しくしてあげたい」という気持ちを持ることが出来なくなっていた。
20年くらい経って気づくと、氷の塊はなくなっていました。同時に、彼に対する興味も愛情もすっかりなくなっていて、多分その頃から彼にもほかの女性がいたんだと思う。なので離婚に至ったのは当然の結果というか、お互い様だったんだけど、おかげで恨みつらみもなく円満離婚しました。
それでも彼は「運命の人だったと」思っています。
何しろ、中学2年の始業式に体育館に貼り出されたクラス分けの紙に名前を見た瞬間、「あ、私この人と結婚するんだ」ってわかっちゃったからさ。
それまで名前を知ってる程度で何の興味もなかった人なのに。まあ、運命には賞味期限があるのだということもわかったし、始まりから終わりまで40年以上あったわけだから、1つの物語が完結したという感じね。
そんな感じだったので離婚後も友だちみたいに付き合えると思ってたのに、再婚した彼はそうもいかないようでして。
例の「私が失いたくなかった世界」の集まりにも、私が行くと彼が来られないような感じになって、私は声をかけてもらえなくなりました。元々彼の大学の友だちだから仕方ないんだけどね。
でも、今の私にはいくつもの世界があって、そこに執着する理由がありません。
またみんなでワイワイやりたい気持ちはあるけど、多分私の方が元夫より友だちが多いと思うから、そっちの世界は譲ります。20代の頃に失いかけた世界を40年も保っていたんだから良しとしよう。
[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ
娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。
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