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おばあちゃんについた嘘

「『おばあちゃんのご飯が一番美味しい』って子供に言わせるの。そうするとおばあちゃん、機嫌がいいから」
アルバイト先のマダムは、よく嫁・姑のあれこれをハタチの私に聞かせてくれました。当時は「渡る世間は鬼ばかり」の赤木春恵と泉ピン子とか、みのもんたのお悩み相談とか、嫁・姑の話題が身近にあった気がします。そして今、元気なシニアが増えたからかそれぞれが気ままに暮らしたいからか…1990年代に40%だった三世帯同居は、2018年には10%まで減少したそう。この30年で嫁・姑の関係はどう変わったのでしょうか?私の周りには嫁・姑の愚痴を言う人がほとんどいないのだけれど、ウナタレ世代の皆さんは、どんなふうに嫁・姑の関係を築いていますか?

私の義母(以下「おばあちゃん」という)はすごく優しい人。嫁の私にきつい言葉を放ったことも、冷たい態度をとったことも一切ありません。遊びに行っても「いいから座ってて。」と笑ってお茶やお菓子を出してくれる。優しいというよりも心配性なあまり周囲に気を使いすぎてしまうという表現の方が近いかもしれない。妊娠を報告した時も、なかなか子供を授からなかった私達夫婦をものすごく心配していたそうで「毎日仏壇にお祈りしていたんだよ」とすごく喜んで言っていました。ちょっと「怖っ」とは思ったけれど、家族思いのおばあちゃんでした。

そんな彼女が入院したとの連絡が届いたのは年末。一日おきの人工透析、さらに肺がんを患っていたので一緒にいられる時間は長くはないと覚悟はしていましたが、入院の知らせは「その日」が確実に近づいていることを示していました。孫の顔を見せて元気付けてあげたいけれど、主人と子供と三人ではお見舞いに行けなかった。なぜなら入院の少し前、私たち夫婦は離婚に向け別居していたのだから。

別居の原因は子供と元夫の関係悪化。私も子供も、おばあちゃんに対する思いは離婚前と全く変わらずにいたので、夫抜きの二人だけで何度もお見舞いに行きました。この時、義父からお願いされていたのは「離婚については、おばあちゃんには絶対に言わないで」ということ。

無理もないよね。自分のことより先に、人の心配をするおばあちゃんだもんね。子供とも「おばあちゃんが離婚を知ったら、ショックで心臓が止まりかねないね」と話し、彼女の前では家族円満のフリを演じようと決めそれを実行しました。お見舞いに行く度に「今日はパパは釣りに行っている」とか「パパは風邪をひいたから、一緒には来れなかった」とそれっぽい嘘をついていたのだけれど、おばあちゃんも薄々離婚に気付いていたのかもしれない。入院からひと月経つ頃にはほとんど声も出せなくなり、蚊の鳴くような小さな声で「Mちゃん、今どこに住んでいるの?」と私に尋ねてきました。一瞬ギクリとしましたが、あまりに小さな声だったし聞き間違いかも…と思い、「今日はお買い物して帰るね」なんてどうでもいい話ではぐらかし、握手をして別れました。

亡くなった知らせを聞いたのは、その二日後。私も子供も葬儀には出席しませんでした。非常識な嫁かもしれない。ですが、誰に何と言われてもいいやと思っていました。もう離婚してるし。とにかく今は元夫と子供を会わせる訳にはいかない。それほどまでに二人の関係は危険だったし、それにおばあちゃんは私が葬儀に出席しないことを責めるような人ではないのだから。

戸籍の上では家族ではない、友達ともちょっと違う「元嫁・元姑」という関係の私とおばあちゃん。私達をどんな言葉で表現したら一番しっくりくるかと考えたけれど、どんな肩書きもフィットしないのかもしれないし、そもそも肩書きなんて不要なのかもしれない。嫁・姑という立場を超え、同じ時代を生きて喜怒哀楽を共有したひとりの女性であり、先輩でした。

おばあちゃん、ありがとう。

きっと今頃、私達の生活を柱の影からそっと覗いて、心配しながらもエールを送ってくれているに違いない。


[この記事を書いた人]Omochi

51歳、介護と仕事に明け暮れながら、中学生の息子と「お餅のようにやわらかく、粘り強く」生きています。着物と朝ドラが、ちょっとした癒し。離婚も不登校も、たくさんの“予定外”と共に生きてきました。だからこそ、少しでも心が軽くなるような言葉を誰かと分かち合えたらうれしいです。

最近の悩みは、お腹まわりのお肉が親友のように定着してきたこと。いい付き合い方、誰か知りませんか?

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