21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
弱音を吐ける友達はいますか?~第三週「女三界に家なし?」~
白状します。第三週の最終日、金曜日。私はテレビを見ながら泣けて泣けて仕方がなかった。あとからあとから涙が溢れ、止まらない。
どの場面か? 寅子の友達が、次から次へと「愚痴」を表明するところです。
頑張っている女性たちは、愚痴を言わずに頑張っている。友達とはいえ、他人に自分の弱さを曝け出すのは勇気が要ります。本音で語れる友達、あなたにはいますか?
「兄の嫁」ではなく「親友」と言ってほしかった
とりわけ寅子の女学校の親友・花江(森田望智)の涙には、やられてしまいました。女学校では、同級生とはいえ寅子より、花江の方がずっと「自分の生き方」に迷いがなかった。好きな人を見つけ、その人と結婚し、思い通りの人生のはずだったのに、いつのまにか寅子の方が生き生きしている。自分は一体何をしてるんだろう。こんなはずじゃなかった。そんな気持ちのところに、寅子が法律を学ぶ仲間を家に連れてきます。
「女中さん」と間違えられた花江のことを、寅子は「兄の嫁」と紹介したことが、さらに花江の心を追い詰める。(もう、親友じゃないんだ。友達じゃなくて、「嫁」なんだ!)
専業主婦にしかわからない感覚かもしれませんが、結婚すると、対外的にも名前で呼ばれることが少なくなります。
「○○さんの奥さん」「○○ちゃんのお母さん」ニックネームも「○くんママ」みたいな呼び方になっていく。
誰かの妻でも、誰かの母でもない、結婚する前からずっと続く「私」という人間は、なくなってしまったかのよう。
「寅ちゃんには、私の気持ちなんかわからない!」と花江は言います。この状態、かなりヤバイです。恨み節。ということは、自己肯定感、限りなくゼロに近い。
「でも私には○○がある!」という反論で自分を奮い立たせることができない状態にまで追い込まれているのです。ついこの前まで、花江は思っていた。(寅子より自分の方が、一歩進んでいる)と。自分の方が、先に「オトナ」になった気でいたはずなのに。
同じ家に、「嫁」と「娘」がいて、同い年で、「娘」は女学校の時の同じように、ご飯を食べて、学校へ行って、帰ってきて、ご飯を食べて、勉強して、寝て。「嫁」は、食べた食卓を片付けて、ご飯を作って、洗濯して、掃除して、「娘」が友達を連れてきたら、お茶を出して。きっと自分の友達は、おいそれと呼ぶことなどできなくて。実家にも気楽に立ち寄ることもできなくて。ちょっとどこかに息抜きに外出することだって、何か口実を付けなければできなくて。
(いいなあ、寅ちゃんは、自由で……)
同じ家にいなくたって、同年代の友達が、肩を並べて学んでいた友達が、社会で活躍しているのに、自分は家で掃除して洗濯して、だけの生活だったら、そう感じる人は多いと思います。
社内恋愛で結婚した人が、どんどん出世してイキイキ仕事をしている夫を横目で見ながら(結婚前は、私の方が活躍していたのに……)などと感じることもあるでしょう。
それって「自己責任」ですか?
そんな花江に、よねは厳しい。「自分で選んだ道だろうが!」自分で選んだ道だから、寅子もよねも、他の級友たちも頑張っている。
花江だって自分で決めた結婚なのだから、少しくらい辛くたって弱音を吐くな、と。でもね。弱音、吐いたっていいですよね。
とりあえず「辛い!」「無理!」って言うことで、まず自分を赦してあげましょう。全てが自己責任なんて、そんな苦しいことありません。大体、自分が一番わかってる。自分で選んだ道なんだから。
想定外のことだって起こる。たとえば、恋人同士の時は優しかったのに、結婚した途端にモラハラ夫になったりした時に、「自分でこの人を選んだのだから」と我慢しちゃっていいと思います?
時には弱音を吐かなくちゃ! 助けを求めなくちゃ! 自分の選択が間違っていたかもしれない、と口に出してみなければ!ポジティブな人ほど間違いを認めにくく、真面目な人ほど助けを求めにくい。自分では知らないうちにストレスを抱え込んでいるはず。頑張りすぎると、鬱になったり、体に不調をきたしたり、どんどん不幸が寄ってくるような気がします。
私、40代の頃、今思えば更年期だったのかもしれず、毎夜ベッドに入ると胸がドキドキして不安になって、眠れなかったりしました。
体もだるかった。いつも、気がつくとため息をついていた。理由はわからない。なぜこんなにため息が出るのかもわからない。無意識に、ため息が出てくるのです。
すると夫が「こっちまで辛気臭くなる」と、ため息をすごく嫌がったので、人に迷惑かけているんだ、と意識して、できるだけため息をつかないようにした時もありました。
でもね、後から知ったんだけど、「ため息」って、いわゆる深呼吸なわけですよ。「ため息」は、無意識に、私に深呼吸させてくれていた。理由はどうあれ、とにかくしんどい私に酸素を供給してくれる、大切な体の機能だったんです。
最近、私はまた「疲れたー」を連発するようになりました。夫はまたまた「“疲れた”ってあんまり言わない方がいいよ」と言います。「言うと、ますます疲れるよ。言葉は言霊(ことだま)だから」って。
でも、今の私は前とは違う。「ため息」の意味を知ってしまったから。今度はちゃんと言えました。
「ため息はついた方がいいんだって。だからきっと、『疲れた』も言った方がいいはず」「疲れた」くらい、言わせてくれ!科学的にどうだかは知りません!でも、本音を体の奥に溜め込んで、いいことなんかあるはずない! これ、女のカン!
弱音を吐かずに追い詰められる人がいる
女であれ男であれ、弱音を吐けるって本当に大切なことだと思う。「私って、ダメな人間です」って表明することは、自分を生きやすくするんですよ。
世の中には、弱音を吐けずに追い詰められて、自ら命を絶ってしまう人がいます。誰にも相談できずに。相談したとしても、どんなに困っているか、そこまでは言えなかったりして。
お金がないにしろ、人に裏切られたにしろ、試験に落ちたにしろ、
「もうダメだ、思うように生きられない。こんなはずじゃなかった、どうすりゃいいんだ?」と、全てを表に出すことができたら、学校に行けなくても、仕事を失っても、家を追い出されても、それでも生きていかれるような気がする。
もしかしたら、誰かが助けてくれるかもしれない。だから、溜め込まないで。自分一人で悩まないで、と私は言いたい!昔からの友達が気安いのは、思い出したら顔から火が出るような、恥かきエピソードを、お互いに知っているからではないでしょうか。恥かいて、笑われて、ヒンシュク買って、それでもずっと友達でいてくれる。
だから「恥の上塗り」なんか気にならない。最初からダメ人間の私を知っているのだから、そんな人たちの前でカッコつけても仕方がないでしょ!
寅子は、これまでも自分の気持ちをストレートに言う人間でしたが、わかってもらえないことの方が多かったですよね。それを自然体で受け入れてくれる友達がいれば、千人力。一緒に悩んでくれ、共感してくれたら、さらに心が楽になり、笑顔が増えることでしょう。
一見恵まれているように見えた桜川令嬢でさえ、本当はとても苦しかったことがわかりました。よねも、自分の辛い過去を言えて、それを受け入れてもらえて、きっと救われたと思います。
多少意見が違っても、「本音」を聞いてくれる人がいたら、愚痴を言って、本音で怒ったり泣いたりして、そして、笑って。それだけで、随分楽になる。ため息をついて、「疲れた」って言って、「許さん!」とか「大嫌い!」とか叫んで。
そうしたら、凝り固まっていた心も体も、少しほぐれてくるのではないかしら。そうなれば、人間は少し元気を取り戻し、笑顔で次のハードルに向かっていけるのだと思います。
寅子は言います。
「あなたたちの状況を解決することはできない。でも、ありのままを受け入れることはできる。そういう存在、そういう弁護士に、私はなりたい」
寅ちゃんはすごいね。私は、本音や愚痴をぶちまけたり、聞いてもらったりする方ばかり考えているけれど、彼女はその「愚痴」を受け入れる方としてこの問題を考えている。
でも、私は花江たちの弱音を聞くだけで、こんなに泣いてしまった。フィクションなのに。テレビドラマなのに。絵空事なのに。それでも、涙のあとには胸が熱くなって、自分もまた、解放された気持ちになったのは事実です。どんな人の「愚痴」も受け入れられるほどの「いい人」には、そうそうなれません。でも、親しい人との間では、プライドも何もかも捨てて、愚痴や弱音を互いに聞き合えたらいいな、と思うのでした。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」