私の自己肯定感が高い理由
自分は、、、◯◯さんは、、、
自己肯定感が高いだの低いだの、最近よくそんな会話を耳にする。
わたし?
わたしは高いです。もっのすごく高いです。
え、なんで?なんでなんだっけ?
己のどこに自信があるのか?
わたしの場合、人より秀でているところはたくさんあるのだけれど(ツッコミ無用)明らかに世の中の人より頭ひとつどころか、ふたつみっつ飛び抜けているなと思うのが、他者に対するホスピタリティの高さ。
「わたしより親切な人って、あんまり見かけないな」
日頃、そう思って生きているので、そりゃ高いわ、自己肯定感。
「さとちゃんって、人に好かれるよねー」
当たり前じゃん。だっていい人だもん。わざわざ言う必要もないわ。
わかりやすい例を出すと。
駅で白杖をついた視覚障害者らしき人を見かけたら、気づかれないのをいいことに、ピッタリ背後を歩く。そして、少しでも困った素振りを見せようものなら、待ってましたとばかりに声をかける。
「腕をお貸ししましょうか?」
「行きたいところまでご案内しましょうか?」
以前、パピーウォーカーになりたくて、盲導犬訓練所に講習を受けに行ったときに、そうやって声をかければいいと教わりました。視覚障害のある講師の方に。
私はしょっちゅう声をかけるけど、世の中の人が声をかけているところをあまり見たことがない。
白杖をついている人
盲導犬を連れている人
ベビーカーを抱えて駅の階段を降りようとしているママさん
彼らが困り出す前にレーダーが反応し、すぐに声をかけに行く。
いつだったか地方の駅で、電車が遅延していることに気づかず、電車が停車して待っているものだと思いこんでいる白杖をついたおじさんが、ホームから転落しそうになる直前で腕を掴んだこともあります。
電車、停まってないですー!
生まれつきとか幼少の頃から見えない人は、白杖の使い方も外出そのものにも慣れているけれど、後天性の人、大人になってから見えなくなった人は、かなり動きが怪しいんですって。
これもパピーウォーカー講習で習いました。
思えば子供の頃からいい人だった
いま、祖母の介護をしていて、まったく苦痛に感じない自分に驚く。
あれ?おかしいな?
人の面倒を見るのなんて、絶対に苦手だと思っていたのに。
たぶんわたしは、わたし独自の判断基準で「サポートが必要な人認定」「優しく接するべき認定」をした相手には、とことん優しいし、絶対に嫌な顔をしない性分らしい。
実家にいるせいか、子供の頃の記憶がやたら蘇る。
小学生の頃。
10人兄弟で家が貧しく、お風呂に入れずに毎日異臭を漂わせている男子。
身体が弱くて、気も弱くて、給食後の吐瀉物をこっそり机の中に隠してしまった女子。
少し知的障害があり、授業中に雄叫びをあげる男子。
学年が上がるクラス替えのたびに、なにかしらの問題を抱える子が必ずいた。
そして思えばどの子も、わたしの隣の席に座っていた。
学期ごとに席替えをしてもしても、わたしの隣にいた。
団塊ジュニア世代&埼玉のベッドタウンなので、公立の小中学校はすべてマンモス校。男女合わせて1クラス45人以上。
45人もいるのに、なんど席替えをしてもわたしだけ彼らの隣になるっていうのはそういうことだ。わたし以外に「露骨に嫌な顔をしない子供」がいなかったということ。
そして、大人になったいまも、たいして状況は変わらない。
わたし以外に親切な人が見当たらない。
自己肯定感の低い人へ
勇気を出して、他者におもいっきり親切にしてみるのはどうだろう。
慣れていないと、どんなふうに声をかけていいか迷うかもしれないけれど、めいあいへるぷゆー?的なことを日本語で言えばいいんです。それだけです。
己の自己肯定感が低い理由を分析するよりも、そっちのほうがいい。
ちなみにわたしは、見知らぬ人に親切にしたあと、「わたしってばめっちゃいい人!何もできずに見ているだけだった人たちもそう思ったに違いない(フフン)」と鼻を鳴らし、得意げな顔で歩いてます。自己肯定感のメーターが爆上がりする音が聞こえます。どんな音だよ。
わたしからは以上です。
[この記事を書いた人]さとちゃん(SATO-CHAN)
1973年早生まれ ウェブまわり仕事のフリーランス、ブロガー
オーシャンビューな部屋で猫とふたり暮らし
性格→意地悪
茅ヶ崎カーストについて赤裸々に書きすぎて炎上したブログはこちら
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