
美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに…
わざわざの旅は、憧れへの小さな決意表明
3月のはじまり。電車に揺られて、ひとり都内の写真館を目指していた。東京とはいえ、自分が暮らしているのは多摩地区の西側。子どもの頃から、「都内=最低でも1時間はかかる場所」という感覚が染みついている。つまり、都内とは“わざわざ出て行く場所”なのだ。この日も片道2時間近く。小さな旅のような移動のあいだ、これから起こるちょっと特別な出来事に胸が高鳴っていた。
なぜ、写真館へ?しかも、ひとりで?
それは、“憧れの売れっ子カメラマン”に撮影してもらうためだった。彼は広告写真家として数々の有名企業からオファーを受け、誰もが知る女優やタレントを次々にレンズへ収め、さらには誰もが知る人気女優を家庭にも収めてしまった、名実ともに“売れっ子”のひとりだ。
そんな彼が手がける写真館が、都内のとある場所にある。
「撮った日が、記念日。」というキャッチフレーズのもと、なんでもない日常の一瞬を大切に切り取る、そんな新しいかたちの写真館。数年前、その存在を知って以来、いつか家族みんなで撮ってもらえたら…そんな願いをあたため続けてきた。普段着のままの、いつもの自分たちを、誰かにちゃんと残してもらいたかったのだ。
家族を持って18年。実は、全員(夫・自分+子供4人)そろった“ちゃんとした家族写真”を、これまで一度も撮ったことがなかった。七五三をなんとか形にしたのも三人目まで。末っ子にいたっては、新生児のお宮参りを最後に、写真らしい写真すら残していない。略式どころか略したまま…ごめんね、娘…。
(でもお母さん、自分の七五三の写真も大人になってから一度も見返してないから、大丈夫。きっと、なくても生きていける。)
つまり、一家6人フルキャストの写真が、1枚もないのだ。スマホにあるのは、誰かが“撮り役”になっている写真ばかり。七五三もすっ飛ばして久しい今、家族全員が揃った写真はわざわざそのための機会を作らないと残し難いものとなってしまった。
そんな我が家の“写真事情”を抱えつつも、今回の予約は家族ではなく、ひとりで。というのも、予定していた撮影日に夫の仕事が急に入ってしまったからだ。せっかくの予約を無駄にするのも惜しくて、急きょテーマを「家族写真」から「プロフィール写真」に変更。
最近フリーランスとして活動を始めたこともあり、ちゃんとした写真が欲しかった、という事情もある。

撮られたのは“私の顔”じゃなく、“今の私”だった
さて、前置きがだいぶ長くなったけれど、ここからが今日の本題。ついにやって来た、憧れの写真館。
そして、憧れのカメラマンに直々に撮ってもらった、自分のソロ写真。
……その仕上がりを見て、私は、言葉を失ったのだ。
その日は撮影イベントが開催されていて、前後には他の予約客がずらり。受付から撮影、データの受け取りまでが驚くほどスムーズに流れていく。撮ったばかりの写真をすぐに選んで、スマホにダウンロードできるという効率の良さも、さすが売れっ子カメラマンの現場。
当日は、最寄駅でコンビニに立ち寄り、長旅と風で乱れた髪を整え、ポーチに忍ばせていたアイシャドウをサッと塗り直してから向かった。Googleマップを片手に人混みを抜け、ようやく見えてきた、メディアで何度も見てきたあの写真館。
「ついに来てしまった…」
胸の高鳴りを感じながら扉を開けると、画面越しに見慣れたスタッフさんたちが、あたたかく迎えてくれた。
前の組の撮影を眺めながら待っているうちに、あっという間に自分の番がきた。いざ撮影が始まると、カメラとの距離の近さに驚きつつも、憧れの人を前に気持ちがふわふわとして、気づけばただただ笑っていた。スタッフ総出の“笑わせ部隊”に見事に笑わされながら、撮影はあっけなく終わった。
その後、ジャケットを羽織って帰り支度をしていると、スタッフさんがiPadを持って近付いてきた。
「お疲れさまでした~!ジャーン、こーちーらーです~!」
テンション高く差し出された画面には、撮ったばかりの“私の顔”。
高解像度。高輝度。
画面いっぱいに写し出された、自分自身の顔――
その瞬間、それまでの感動と興奮が、ズザーーッと急降下。
……耳に入るスタッフさんの説明に、うなずくのが精一杯だった。
「うわっ……私って、こんな顔してるんだ……」
その後、賑わう街に戻っても、なんとも言えない感情がずっと頭の中をリフレインしていた。
最近、シミもシワも一気に増えたなとは思っていたけど、ここまでとは。
……いや、そんなに鮮明に写さなくてよくない!?
図鑑かよ!! (若干、怒。)
しかも笑いすぎて、目が無いし。
さっき塗り直したアイシャドウ、どこ行った!?
えぇーーー!やだやだやだぁー!
こんな写真、プロフィールに使えるわけないじゃん(泣)
樹木希林のCMが、やっと沁みた夜。
あれからひと月以上。
スマホのカメラロールにそっと保存されたその写真も、今では見慣れてきた。プロが撮ったら少しはマジックかかるかな、なんて。期待してたかもしれない。でもあの光、あの距離、そしてあの解像度。そりゃ、リアルすぎるのも当然だ。改めて、“写真とは真(マコト)を写すもの”という言葉の意味を思い知ることになった。
ふと、子どもの頃テレビで見たフジフィルムのCMがよぎる。樹木希林と岸本加世子のあの名セリフ。子どもの頃は、なんとなく大人にしかわからない面白いことを言ってるCMだと思っていたけど、今観ると、じわりと心に染みて、笑ってしまう。あの言葉の本当の意味を、自分もすっかりわかる年齢になったんだなと感じる。時を超えた名シーンに、そっと背中を撫でられた気がした。
40代最後の年を迎えた今。鏡を見るたびに落ち込む日もあるけれど、それでも時間は巻き戻せない。今が、この先の人生で一番若い瞬間なんだ。ならば、いいシワを刻んでいこう。そんな気持ちで2025年を過ごしたい。
ちなみに、撮影のあとはカメラマンと直接話せるイベントにも参加していた。どうせひとりで行くのなら、ぜんぶ味わって帰ろうと思っていたのだ。再び写真館に戻り、思い切って気持ちを伝えてみた。
「夢が叶って本当に嬉しかったけど、写真を見てすごくショックでした」
すると、彼はあっけらかんとこう言った。
「よかったじゃないですか~。自分で気づけたってことなんですから。今日ここに来なかったら、この先もそのまま生きていくところだったかもしれないですよ?」
一瞬、心の傷に塩を塗り込まれたような気がした。女優さんばかり見ている人からそんなふうに言われたら、そりゃ、乙女心もちょっと痛む。でも、あの言葉はきっと、そんなに重い意味ではなかったのかもしれない。受け取り方ひとつで、言葉の意味も変わるんだと、少し時間が経ってから思えた。
写ったのは、“顔”より深い、わたしの今
あの日、自分が本当に気づいたのは、“顔のアラ”ではない。もっとケアをしなきゃ…という話でも、なかった。
(いやまぁもうちょっと年相応なお肌の手入れもしなくちゃなぁと反省はしたけれど。)
年を重ねることでしか見えてこない、人生の味わい深さ。今の自分だからこそ、感じ取れる喜びやおかしみや、ちょっとした切なさ。それに気づけたことが、きっと一番の収穫だった。
とはいえ…やっぱりプロフィール写真くらいは、ちょっとキレイに撮られたい。せめて「それなり」でいいから、自分が納得できる一枚を。そう願ってしまうのは、きっと年齢を問わず、世の女性たちみんな同じなんじゃないだろうか。


[この記事を書いた人]Umako(馬子)
1975年東京生まれ多摩地区育ち/射手座/1男3女+2フレブルの母/デザイン〜撮影〜飲食界隈をフラついた後に妊娠・結婚・出産/子育てという名の冬眠期を経て覚醒/現在は再びデザイン〜撮影界隈を徘徊中/日々のルーティンは朝の珈琲と晩のBEER/夢はリノベした昭和の団地でミニマリストな暮らし/