21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
翔べ、毒親から解き放たれて!~第25週「女の知恵は後へまわる?」&最終週「虎に翼」~
いよいよ最終コーナーを回った「虎に翼」。第25週は、ほとんどのエピソードが「最終週に続く」形で中途半端に終わりました。尊属殺人事件の裁判も、少年法の年齢引き下げ問題も、そして「美佐江」の問題も、「優未」の将来に関する問題も……。これまでは1週間ずつコラムを書いてきましたが、今回は2週まとめて書かせていただきます。
テーマは、「毒親からの解放」。美以子も美佐江も美雪も、そしてよねも、「親」という重石(おもし)に苦しめられた娘でした。
美以子は「私」だ!〜よねにとっての「尊属殺人」〜
よねと轟は父親を殺した美以子の弁護を引き受け、尊属殺人の違憲性を訴え続けていました。「尊属殺人」の規定、つまり同じ殺人であっても、自分に生を与えた親を殺した者は、理由を問わず別格の重罪に処す法律が、刑法200条です。これが「個人の尊重」を謳った憲法14条に抵触するか否か。そこが裁判の争点となっています。
でも、よねにとっては「法律的に違憲か否か」ではなく、「娘の人権を蹂躙した父親と、そんな父親を殺した娘と、どっちの罪が重いか。どっちが裁かれるべきか」を世間に問う裁判、「毒親」の責任を明らかにする裁判でした。
なぜなら、よねにとって美以子の事件は、決して他人事ではなかったから。
戦前の話とはいえ、よねの姉は、親によって遊郭に身売りをされてしまいました。よねもまた、売られそうになったところを逃げ出したのです。そして「女」を捨て、姉を守るために法律を学んだ。だからよねにとって、美以子とは、売られた姉と同じく親によって女性性を蹂躙された人であり、「もしかしたらそうなっていたかもしれない」自分自身でもあったのです。
山田・轟事務所は、元はカフェ「灯台」でした。よねがマスターに「ここに置いてください!」と必死で頭を下げた、まさにその場所が、今は美以子の唯一の居心地の良い場所になっています。それでも、美以子の体の中にはまだ恐怖が残っている。被害の傷跡も、加害の悔恨も、判決が出れば消える、というわけではありません。
同じように、よねの中の怒りもまだ収まっていない。センセーショナルに取り沙汰される美以子の事件も、実は世の中全体を見れば「ありふれた悲劇」の氷山の一角でしかないことを、よねは知っているから。よねの闘いは、これからも続くのでしょう。
明らかになった「美佐江」の苦悩
やはり来た!美佐江! 私は美佐江(片桐凛)の再登場を待っていました。東大に入学して、そのまま彼女が物語からフェイドアウトするはずはないと思っていた。だから、最終週の直前、セーラー服を来た片桐凛さんが顔を出した時、「やはり出た! 美佐江!」と膝を打ちました。でも、美佐江が高校生だったのは、20年も前のこと。亡霊?と思ったら、美佐江ではなく、美佐江の娘・美雪でした。
そして、美佐江はすでに亡くなっていたのです。彼女が遺したノートに書かれていたのは、「特別な自分」であり続けようとしてそうなり得なかった絶望。交通事故で亡くなったとはいえ、その真相は自死に近かったような描かれ方でした。
誤解を恐れずに言ってしまえば、「自分は“特別”だと思っていたのに、上京してみたら全然“特別”じゃなかったと気づいてしまう地方出身の才女」という構図は、よくあるパターンです。多くの才女たちは、その時初めて「自分くらいの人間はどこにでもいる」という現実と向き合うことになる。普通は、それが肥大化した自分のイメージを修正する機会となり、ようやく等身大の自分を認められるようになって、新たな人生を歩み直すのです。でも、美佐江は、「偶像」となった自分のイメージから逃れられなかった。
美佐江は「人を動かしているつもりでいたのに、いつの間にか自分の方が翻弄されている」ことに気づき、「子どもを産めば特別になれるかと思ったが、そうはならなかった」と書き残しています。彼女ほどの才女が、「子どもを産めば特別になれるかと思った」というくだりは、私はにわかに信じられませんでした。でも、もし彼女が望まぬ妊娠をしたならば、自分ほどの人間が「望まぬ」人生を歩むことを受け入れられず、自分の身に起こった事態を正当化するため、「産めば特別になれる」と信じ込もうとしたかもしれません。身も心もズタズタになった美佐江。「産めば」母性が芽生えるかと思ったら、生まれた子どもを無条件に愛することもできなかった。
「愛してあげられなくてごめんね」という言葉には、「愛してあげたかった」という切ない思いがにじみ出ています。そう思うと、美佐江がかわいそうでなりません。
美佐江は何から「スッキリ」したかったのか
美佐江の父は、新潟県三条市内の名士です。美佐江自身の優秀さは、家のブランド力や財力によってさらに磨かれていきました。でも逆に、家のブランドから外れることは許されなかった。優等生で、美人。美しく賢いことには「さすが森口家のお嬢さん」という冠がついてまわったのです。高校生の美佐江が犯罪を犯し続けた理由は、「すっきりしたかった」でした。他人に命令して行なった犯行は、他人に罪を犯させて自分は高みの見物、という形でしたが、もしかしたら本当は自分自身を汚し傷つけたかったけれど、そこまで「家」から逸脱することができなかっただけなのかもしれません。
「森口家」ブランドに対するギリギリの反抗。もし、彼女が等身大の自分の魅力・才能・価値に気づいてくれていたら……。上京を機に、本当の意味で「森口家」という囲い込みから解放されていたかもしれない。
そう思うと、美佐江を永遠に失ってしまったことを知った寅子の「あと一歩だったのに」という悔恨の深さが身に染みます。
「不機嫌な青少年」のシンボルとして
寅子にとって、美佐江のことは「蓋をしてきた過去」でした。20年前、裁判官として最初の赴任地であった新潟で、まだ未熟だった自分が背負い切れず、中途半端に接してしまった苦い思い出。それが偶然、彼女の娘と出会うことになった。……筋立てではそういうことになってはいますが、私は、美雪とは、「美佐江の娘」というマスクをつけた一種のシンボル、「裁判官として寄り添うべき青少年」を肉体化したものだと解釈しています。
寅子は戦後、多岐川や頼安とともに家庭裁判所の草創期を支え、常に「罰でなく、愛で少年たちを更生させる」という高い理想を掲げてきました。
しかし一方で、美佐江のように、「理解不能」で手にあまるケースもあるのです。
「なぜ人を殺してはいけないの?」「なぜ自分の体を売ってはいけないの?」
一見賢そうで、なんでもわかっているような顔でそんな疑問を口にして、納得がいかなければ「いけない」と言われていることでもやってしまうぞ、と薄笑いを浮かべる青少年。彼らに「やってはいけないこと」をどうやって教えていったらいいのか。どう接すれば、彼らはわかってくれるのか。
そういうケースは、裁判官をやっていれば、何度も、何度でも押し寄せてくる。そして「食べるため」でないこうした犯罪は、年々増えていく。美雪はそうした、「恵まれているはずなのに不機嫌な犯罪者」の象徴だったのではないかと思います。
「美佐江」という過去、「美雪」という現在
寅子は、美佐江への関わり方を「失敗した」と言い切りました。そして「ごめんなさい」と謝りました。なかなか自分の非を認めない寅子にとって、本当に苦しい過去だったのでしょう。もし、美佐江が生きていてくれていたら、美佐江に謝りたかったでしょうね。人は間違える。失敗する。挽回するためには、本気で反省し、今を精一杯生きるしかない。
だからこそ、寅子は「美佐江」という既知の個人ではなく、目の前の「美雪」のために全力を尽くします。3歳で母の美佐江を亡くした美雪にとって、母親が残したノートはバイブル。それにすがり、その記述をなぞって生きることで母を感じようとする美雪に、寅子は「お母さんの生き方を背負うな」と諭します。
「お母さんを、好きでもいい、嫌いでもいい! あなたは、あなたの人生を生きて!」
それは、美雪にかける言葉であり、美佐江にかける言葉でもあり、他の誰か、家や親の敷いたレールから逸脱できずに「スッキリ」しないすべての人に対して叫ぶ言葉だったように思います。
寅子、子育てに「失敗」する?
美以子のように、最低な父親を持った子どもは不幸です。でも美佐江の親は、美佐江を溺愛していた。ところが、その愛し方では彼女を本当の意味で幸せにすることができなかった。よねの親も、娘を売り飛ばしたのだからひどい親とも言えるけれど、当時は、貧困のために娘を売る家は決して少なくない時代でした。
それに比べると、寅子は裕福な家で愛情いっぱいに育ち、のびのびと自分の才能を伸ばすことができた果報者です。しかし、自分が家庭を持ってみれば、仕事に没頭するあまり、優未にはちゃんと手をかけてあげられなかったことを、心のどこかで後悔しています。
考えてみると、「虎に翼」では優未だけでなく、寅子世代の子どもたちを「エリート一家の完全なる成功コース」から敢えてドロップアウトさせる方向で描いています。
日本初の女性裁判官となった寅子の娘・優未は、寄生虫の研究という昭和の時代にはニッチすぎて認められにくい分野に没頭して大学院の修士課程を修了しながら、「お前にこの先のポストはない」という熾烈な競争を嫌って博士課程は中退、麻雀屋さん(昔は“ジャン荘”で通じましたが、今は無理かな?)でアルバイトしながら家事手伝いに勤しんでいます。今でいう高学歴フリーター、でしょうか。
寅子は「いいのよ、自分で決めた道を行きなさい」と言いつつ、その顔に「どうしてこうなっちゃったのかしら」と書いてある。そこは秀逸でしたね。
優三の写真に向かって「(親業は)向いてないのよね……」と呟くところを優未に見咎められ、逆に「お母さんは子育て失敗してない。ちゃんと私を育ててくれた。私は幸せだよ!」と慰められてしまう寅子なのでした。
だからこそ、はる(石田ゆり子)は偉大だった。「地獄を歩く覚悟」を寅子にさせながら、実は、はる自身が、既成概念や常識にとらわれずに生きようとする子どもに、親として本気で寄り添う覚悟を決めたのですから。「いいよ、なんでも好きにやりなさい。自己責任でね、知らんけど」というのとは、格が違いましたね。
星兄妹の反乱
一方、寅子の生涯のパートナーとなる航一の家、星家も、相当なエリート一家です。初代最高裁判所長官に就任した星朋彦(平田満)に続き、その息子・航一(岡田将生)も優秀で、戦前は国家の行末を担う若手エリートの一人に選ばれたほど。戦後も法曹界で重要な役割を果たしています。
そんな航一の息子・朋一(井上祐貴)も娘・のどか(尾碕真花)も、優等生でした。
しかしそれは「伸び伸びと育った」のではなく、実母を早く亡くした上に、父の航一が戦争責任に押しつぶされ、「戦後は余生」と半ば親業を放棄した世捨て人となってしまったために、祖父の再婚相手である百合(余貴美子)を「百合さん」と呼び「子ども時代を奪われて」の結果です。
二人とも大学を出て、朋一は祖父や父親と同じく司法試験に合格し裁判官に、のどかも英文科を出て一流銀行に勤めます。でも、結局二人とも、全く違う人生を歩み出します。本当は、英文科ではなく美術大学に行きたかったのどか。彼女は売れない画家と結婚し、彼を支えます。
朋一は硬直した裁判所に居心地の悪さと無力感を感じ、裁判所を辞めてしまいます。子ども2人いて、離婚もします。そして、「手先が器用でしょ? だから家具職人になる」と岐阜に修業に行ってしまいます。
この2人について、私は2つの場面が強く印象に残りました。
まずは、のどかが百合さんに向かって泣きながら叫んだ「お母さんが生きていたら、美大に行くことを許してくれた!」という言葉。
もう一つが、と朋一が航一におずおずと「お父さん、裁判所、やめてもいいかな」と尋ねた場面。
子どもは、親の顔を見て育ちます。
「きっと許してくれないだろう」「きっと怒るに違いない」
想像して、先回りして、「このお菓子欲しい」「もっと遊びたい」の一言を飲み込みながら育ちます。
ドラマでは「子ども時代がなかったのね」という寅子の一言で終わってしまいましたが、本当は、のどかと航一の本心を、もっともっと掘り下げてほしかった。
星家はのっけから、かなり不気味な家庭でしたから、本当は寅子が来たことで、もっと大きく揺らいだろうし、もっと修羅場があって当然だったと思います。
みんな違ってみんないい。最後はいい方向に
こうして、どの家庭も一見「子育て失敗組」に見えますが、雨降って地固まる。自分の道を見つけた子どもたちは、それぞれ幸せにやっている、という結末になっています。
「お兄ちゃん、離婚してからの方が家族仲がいいね」というのどかのセリフは、様々な家庭があり、「どれが幸せ」「どれが不幸せ」など、他人の定規に当てはめても判断できないことを表しているのでしょう。「売れない」画家だったのどかの夫はニューヨークで個展を開き、朋一は一人前の家具職人に。花江(森田望智)の次男・直治(今井悠貴)も、サックスばかり吹いて大学にも行かず花江をやきもきさせていましたが、今では海外ツアーに参加するほどのプロ奏者となりました。
「お母さんは子育て失敗してないよ!」と寅子を慰めていた優未は、結婚せずに着付教室などをやりながら、花江のひ孫を育てたりしています。
汐見家も、一時はヒャンスクの出自問題で、親子の間に亀裂が入ってしまいましたが、最終的には「親子3人全員弁護士となり、事務所を設立して盛り立てる」という夢に向かって一丸となっています。それを知った梅子(平岩紙)が「最後はいい方向に流れていくわね」とにこやかに声をかけるところが印象的でした。
翔べ! 「個人」として!
日本国憲法は、このドラマの精神的支柱でした。特に「個人」の規定。
第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
第十四条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
子どもを産んでも産まなくても、結婚してもしなくても、家の外で仕事をしてもしなくても、売れても売れなくても、祖国が同じでも違っていても、みんな違ってみんないい。そう思って生きていられたら、きっと梅子さんのいうように、「最後はいい方向に流れていく」のではないでしょうか。
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
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