人としての格が違う
母のこと
母のことをざっくり箇条書きで説明するとこんな感じ。
- 頭良くて責任感強くて仕事のできる人だったけど、プライド高くてめっちゃビビりでコミュ力低くて、メンタルよわよわ星人
- よわよわ星人ゆえに、40代くらいからコンフォートゾーンに逃げ込んだ結果、73歳で介護うつを発症 *娘(私)同居による祖母の介護負担減で、現在、うつ状態は徐々に改善
- 朝6時に起床し、9時前にはすべての家事が終わってしまいやることがないので、つまみを作って酒を飲み始める。昼前の11時半就寝。
- 15時前に起床するが、酔っているのでまともな会話はできない。
- 再びつまみを準備して酒を飲む。18時半就寝。
このルーティンを毎日続けているので、ある意味、規則正しい生活。
朝の3時間しかまともに会話できないこと以外、とくに困ることもないので、酒をやめさせることなく、廃人暮らしを容認というか放置。
わたしのこと(母に対して思うこと)
- 同居当初は生活を変えさせる気でいたが、介護者研修での学びで「時すでに遅し」だと気づく。
- 認知症の初期症状は「まともな判断ができない」「すべてが億劫になる」
- うつ状態がもっと酷かったとき、「ママのこと嫌い?」と、酔った母に聞かれたけれど、「好きになる要素がどこにあるんだっけ?」と言いたくなった。(さすがに言わなかった)
- 私は肉親だろうが他人だろうが「自分の半径3メートル以内のことしか考えていない人」に、まったく興味がわかないので、好きでもないし嫌いでもない。ついでに言うと愛情もない。
義妹(弟嫁)のこと(1)
正月に弟と一緒にやってきた。実家から車で30分のところに住む弟夫婦。
義妹は家に上がるとすぐに、母の寝室の引き戸がないことに気づいた。
さすが、過去に数年間同居していただけあり、変化にめざとい。
「おかあさん、どうしたの?引き戸どこ行ったの?」
義妹に聞かれ、ゴニョゴニョとごまかす母。
そこで私は、母が弟夫婦に知られたくないであろう事実をすべてぶちまけた。
上に書いた、ある意味、規則正しい生活スタイルについてと、数日前、昼寝から目覚めたときに酔っ払って足元がふらつき、寝室の引き戸に倒れ込んで、引き戸が完全に破壊されたことを。
これらをゲラゲラ笑いながら。
弟は私と一緒に呆れて笑っていたけれど、義妹は笑わなかった。
「おかあさん、なんでそんなふうになっちゃったの!」
母を責めて嘆く。
朝からお酒飲むなんてやめたほうがいいよ。
時間あるなら、また一緒に旅行行こうよ。私がクルマ出すから。
私、お母さんと一緒に旅行行ったの楽しかったもん。
母、号泣。
思わずつぶやく私。
「ねえねえ、どういう育てられ方をしたら、そんなふうに言える人になれるの?」
義妹(弟嫁)のこと(2)
以前、義妹に聞いてみたこと。
なんで、嫁いだ先(私の実家)の家族のことを、自分の家族のように思えるのか。
ねえねえ、どうしてどうして?
義妹には私と同い年の姉がいて、大企業の城下町である地方都市の実家には、フルタイムで働く両親の代わりに姉妹を育ててくれた祖母がおり、三世代暮らし。
小さい頃からずっと言われていたのは
「この家を継ぐのはお姉ちゃんだから」
「お姉ちゃんが婿を取ってこの家を継ぐから」
商売をやっているわけでもないサラリーマン家庭(ただし両親ともに大企業)なのに「男の子がいないから婿を取って家を継がせる」という発想は、地方都市だからなのか?
わからないけれど、とにかくそう言われて育ってきたらしい。
おばあちゃん大好きな姉も胸を張って「おばあちゃんと両親の面倒を見るのは私だから」と、子供の頃から高らかに宣言し、そして有言実行で婿を取って同居。
この家にずっとはいられないんだな。
いつかお嫁に行って、嫁いだ先の家族が自分の家族になるんだな。
義妹は子供の頃からずっとそう思ってきたらしい。
本当に申し訳ない。嫁いだ先がウチの実家で。
私の父が手術ができない状態の脳梗塞だと告げられ、介護が必要だとわかったとき。
なんの迷いもなく、さも当たり前という感じで
「お姉さん、介護ベッドはレンタルするより、最終的には買っちゃった方がお得みたいですけどどうします?」
そう言われたときのことを、昨日のことのように思い出す。
え?へ?え?
いきなりMAXの要介護度5認定を受けた人なのに、なんで家で介護する前提で話をするの?
ちょっと意味わかんないんですけど。
母の猛反対を受け、義妹の望んだ自宅介護はできないとなったあとも、リハビリ施設に1日置きに洗濯物を取りに行き、施設のスタッフさんに「佐藤さんの娘さんは本当にできた娘さんで、、、」と噂されていた義妹。
だれもお嫁さんだとは思わなかったらしい。まあ、そうだろう。
正月に思ったことは
父が脳梗塞になるずいぶん前。
弟夫婦は実家を建て替えて同居を継続することを望んだのに、拒否したのは祖母と父母だった。
祖母が反対した理由は忘れたけれど、母が反対した理由は「同居して嫁と不仲になりたくないから」
父が反対した理由は、ちょうど失業した時期だったので、建て替え費用を自分がまったく出せないから。
お金なんて出さなくていいと弟が言ったのに、それでも断ったのは、弟嫁の実家から金銭的支援が入るだろうと考えてのことじゃないかと(母による後日談)。
ウチの父は孫LOVEじいじで、同居して孫と暮らせることは、最高の喜びだったはず。
私が産んでいないので、唯一の孫。
その幸せな生活を蹴ってまで、同居を拒否し、己のプライドを守った。
だっさ。
うちの両親、人としてださい。
でも、その両親から生まれ、育てられた私はどうかというと、ゲラゲラ笑って小馬鹿にして実母の生活を面白おかしく話す。それを聞き、本気で哀しむ義妹。
向かいに座る義妹を見て思った。
もう、人としての格が違うわ。
いまから彼女のレベルに追いつくことは、到底無理そうだ。
でも、こんな人が自分の家族で良かった。弟よ、ありがとう。
そして追いつけなくても、少しでも近づきたいと思い、これまた好きでも嫌いでもない、愛情のかけらもない、99歳の祖母の介護と介助を毎日せっせとやっている。
「おばあちゃんの介護をするなんて、よっぽど子供の頃に面倒見てもらったんだね」
よくそう言われるけれど、まったくです。
祖母と同居をし始めた頃は、私たちはもう中学生だったし、祖母はあまり孫に関心を向けない人だったので、ほとんど会話はなかった。
そしてなにより、嫁いびりをしつづけた挙句、従兄弟が自死したときに「母親の教育が悪かったからこんなことになるんだ」と言い放った、死ぬほど性格の悪い祖母を好きになる理由がひとっつもない。
私からすると、人として終わっている人。だから好きでも嫌いでもないし愛情もない。
祖母の介護は、義理でも義務でも愛情でもなく、単に私が徳を積みたいだけ。
尿で重たくなった紙パンツを交換しながら、祖母にお尻を向けられながら思うことは、義妹のレベルに近づきたいということ。人間として。
こんな文章を書いている時点で難しいんだろうなという自覚はある。
そんなことを思ったお正月でした。以上です。
[この記事を書いた人]さとちゃん(SATO-CHAN)
1973年早生まれ ウェブまわり仕事のフリーランス、ブロガー
オーシャンビューな部屋で猫とふたり暮らし
性格→意地悪
茅ヶ崎カーストについて赤裸々に書きすぎて炎上したブログはこちら
https://ouchigohan.club/chigasaki/3121
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