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消えない罪悪感

これはワタシが介護していた頃の話。

友人から「大変だね」と言われることがよくあった。ワタシの介護生活は30代後半から始まったので、その頃はいわゆる「ママ友」や同級生には、介護の経験者などいなかった。
しかも一人っ子。全てがワタシの手に委ねられていた。

あんたら、何も知らないくせに….。
そんな風に、スネ散らかして周りを見ていた。
そんな風に、孤独感に苛まれながら辛さを噛み締めていた。
そんな風に、心の棘を握りしめていた。

受け入れられなかった認知症

父が認知症かもしれないと思ったのは娘が幼稚園に行き始めた頃。ようやく時間ができたと思った矢先、ワタシは寝たきりの母の世話をしている父の元へ行き、様子が以前とすっかり変わっていることに気づいた。
イライラし、母を怒鳴りつけ、表情がない。ものの整理ができない。荒れ果てた家。整理整頓が得意だった父が、ほんの数ヶ月で変わっていた。

これってもしや…?
嫌がる父を無理やり近くの病院に連れて行くと、やはり診断が出た。
アルツハイマー認知症。

実直で活動的。公務員としてバリバリと働いていた父。だからとてもプライドが高い。父は、そんな病気にかかってしまった自分を許すことはなく、病気を受け入れられないでいた。何か忘れてしまうたびに大声をだして自分を罵り、頭を叩き、暴れる。薬の管理もできなくなり、一度にたくさんの薬とアルコールを一緒に摂取して、救急で病院に連れていったこともあった。

そんな父を見ていられず、ワタシも父に辛く当たってしまい、喧嘩になる。まだスマホもなかった時代だ。認知症の知識もお互いになく、父を責めたり、論理で言いくるめようとしたり、ワタシは認知症の父に一番やってはいけないことをしてしまっていた。それは、まさに地獄だった。

「今日は絶対に父を責めない、喧嘩をしない。」そう決めても、野菜をタンスにしまってドロドロになって発掘されたり、「泥棒に入られた」「鍵を無くした」などと毎回のごとく大騒ぎされると、優しく受けいれることができない。

介護で一番辛いのは、自分の時間がなくなることでも、シモの世話をすることでもない。
鬼のような自分のココロと向き合うことだ。かつての尊敬すべき父の姿を追い続け、その今のあまりのギャップに悲しみを抑えられず、それがいつのまにか憎しみとなっていく。その瞬間ワタシは般若になっていた。

止められない。父に罵声を浴びせてしまう。そんなことしても何も救われない、ひどい状況に進んでいくだけだとわかっていても、あの頃のワタシは理性が欠乏していた。いや、頭ではわかっていても感情がついていけなかった。


丁寧に父の話を聞こうと、傾聴講座にも通った。
人の話は聞けるのに、父の話は冷静に聞くことができなかった。そしてまた落ち込む。
「パパは悪くないのに。好きで病気になったんじゃないのに。一番辛いのはパパなのに…。」

なんて酷い娘なんだろうと、いつもココロに罪悪感を持ち、自分で自分が大嫌いだった。
それでも介護は終わらない。介護の終わりは、パパが死ぬまで。
それはあまりにも辛い。
ワタシは家族に涙を見せないように、実家からの帰り道は思いっきり泣いていた。
アンパンマンの歌を歌いながら。



唯一の泣ける場所と消えない罪悪感


心が荒んでやさぐれていた頃、介護家族会の存在を知った。初めて参加した時に介護経験者ばかりの中で、ワタシの鬼のような心は受け止められた。
「傾聴講座に行ったの〜?みんな通る道よね、他人だとちゃんと聞けるけど。肉親だとなかなかできないものねぇ」そんなことを笑いながら言ってくれるのも、気持ちをわかってくださるから。

ようやく気持ちを吐き出して泣ける場所ができて、ワタシの心の棘も少しずつ抜けていった。
こうして「今日はパパに優しくできた!」と思う日も増えていったのだが、父の足腰の具合も悪くなり入退院を繰り返すうちに、認知症も進行していった・・・。

父が亡くなって7年経つが、今でもあの時の地獄のようなバトルが走馬灯のように思い出されて、激しい後悔に襲われることがある。
小さな頃から可愛がってくれていた父。ワタシの兄はワタシが生まれる前に亡くなっているので、余計に大切に育ててくれた。認知症になっても、喧嘩をしても、やはりワタシのことを気遣ってくれていた。
それなのに…この罪悪感はいつ消えるのだろう…。

でもその罪悪感の先には、父のことが好きだったという愛情が隠されていたのだと最近ようやく気づいた。
愛情がなかったら後悔なんかしない。だからこそ辛いんだけど。


現在進行形で介護しているアナタへ


ウナタレ世代の皆様は、今、絶賛介護中の方もいらっしゃるかと。頑張りすぎるのは辛いし、頑張れとも言えないけれど、どうか後悔しない介護生活を送ってほしい。
それは、要介護者のためだけでなく、介護者であるあなたのためでもあるから。
ワタシが背負っている十字架が、あまりにも大きいから。

どの口が言ってるの?と言われそうだけれど、決してどんな自分をも責めないでほしいと思う。それがどんなに辛いかワタシは知ってるから。頑張ってるあなたのことを、おてんとさまはちゃんと見ている。


[この記事を書いた人]伏見美帆子

ブロガー。 「文字つづりすと」という肩書きを勝手につけてつぶやく日々。 時々、その人のための物語を書くサービスをしている専業主婦。 14年にも渡った介護生活では、推しの存在が支えとなった。アロマとお香とアートも好き。 1967年生まれ。

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