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自分のハダカ、好きですか?

お風呂上りにふと鏡に写った自分の裸体を見て、「わたし、けっこうイケるんじゃない?」と思った経験、ありませんか? それも、「若いときより、今のほうが美しい」と。

私がそう思ったのは、50歳の時でした。もちろん次の瞬間、「アハ、とんだカンチガイ!」と一笑に付すわけですが。

いやいや、それ、カンチガイじゃない! 50歳、自分のカラダが「美しい」と思えるのには、「理由」があるのです!

「スリム」崇拝一神教で、地獄に落ちるしかなかった青春時代

自慢じゃありませんが、私はずーっと「肥満気味」です。運動は苦手、食べるのは好き。だから痩せたことがない。

当然、「9号」はほぼ着たことがありません。何を着ても似合わない。制服も地獄。ミニスカートは太ももさらけ出すわけだし、長くしてもプリーツスカートは「プリーツ(襞)」が割れてミジメ、前のボタンはパツンパツン。

昔から私のカラダは、ファッションを「楽しむ」という概念から外れていました。

「まず、やせなければ」

何をやるにも、まずはそこがスタート。でも、それは何回スタートしてもゴールできないスタートなんです。

今考えれば、「人によって基礎代謝が違う」とか、「女性は妊娠準備のために脂肪を溜めこむ時期がある」とか、「痩せなくても着痩せして見えるファッションを追求すればいい」とか、いろいろ別の考え方があったわけですが、当時の私は「スリム」崇拝の一神教ひとすじ。

そして私は神に見放された存在……。地獄に落ちるしかありません。

「お人形」という人生の「モデル」がハイスペックすぎる件

子どもの頃、あなたはどんなお人形で遊んでいましたか?

 私の少女時代、人気のお人形は「バービーちゃん」「タミーちゃん」「リカちゃん」でした。あるいはディズニーキャラクターの「シンデレラ」「眠れる森の美女」「白雪姫」。

お人形の体形やファッションは、そのまま女の子の憧れ、理想を表します。ステキな恋をするためには、こんな服装が似合わなければいけない。そう考えるわけですよね。

いつしかお人形遊びはしなくなりますが、少女漫画でも主人公はやせっぽちで、彼女たちは「こんなブスなんて」と自分では言うけど、そばかすだらけでも可愛いし、メガネをはずせば美人なんですよ。(言っときますが、メガネをかけてても美人は美人でございます!)

その後ファッション雑誌のモデルもみんな7号サイズだし、流行に敏感な友人は、服装に自分のカラダを合わせてキープしていました。でも、自分にはできなかった。

オシャレは「お人形さん」がやること。「お人形さん」サイズから規格外の私は、オシャレからも外れている、せめて悪目立ちしないことだけを考えて、「ベージュの女」と化してしました。

「自分のカラダが好き」になったのは、いつ?

話を最初に戻します。私は本当に、50歳の時「けっこう自分のカラダはイケてるんじゃないか?」と思いました。子どもを2人産んでますし、二人目は帝王切開。

そこからさらに20年経っていましたが、おへその下にはまっすぐ、ミミズバレのような切開の跡が残っています。

お腹もポッコリですよ。もちろん、もう子どもなんで入っていませんけど、脂肪の塊で。

サイズだって、あいも変わらず11号ときどき13号。太ももはムッチリでスリムなジーンズ入りません。セルライトだらけです。

それでも、「へえ、けっこう肌がきれいじゃん」「胸の形、まだ垂れてない」「ちょっとおへそのあたりをひっこめれば、ミロのビーナスくらいにはなれそう」

……などなど、いいところを数え、微笑みながら、自分のカラダをまじまじをみつめている自分に気付きました。

よく「男の顔は40歳から」っていいますよね。若いときはイケメンでも、まだ「本当の自分の顔」になっていない。人生を経て、その年輪が「顔」を作るんだ、と。

女だって同じだと思うんですよ。顔もカラダも、その人の人生がにじみ出て、初めて自分のものになるんじゃないか?って。

女がヌード写真を撮るとき

「ヌード写真」というと、女性のカラダが男性の欲望のために消費されている感じがして、ネガティブな印象を持つことが多いですよね。でも、女性の裸体そのものは、とても美しいと感じます。

たとえば先ほど引き合いに出した「ミロのビーナス」。他にもアングルの描いた「泉」など、美術品を上げれば枚挙にいとまがありません。

しかし、それらは制作者が対象者を「美しい」と思って残したものだと思います。

では、対象者としての女性は、どんな時に自分の裸体を写真に収めようとするのでしょうか?

通常は「その若さ、その美しさを永遠にとどめたい」からだろう、と考えます。

最近はマタニティーヌードを撮る人が増えています。これ、一体誰が見るのかっていうと、「自分」だと思うんです。

自分にとって、「この瞬間が美しい」「二度と来ないかもしれないこの一瞬を永遠にとどめたい」と思うから、撮影するんですよね。

自分がマタニティーヌードを撮影するかしないかは別問題として、その人にとって「自分の裸体が美しい」と感じるって素晴らしいことだと思うんです。

市販のお人形でもない、ファッション雑誌に掲載される写真のモデルとも違う、自分自身が自分のカラダを愛し、誇り、誰に見せても恥ずかしくないと思うって素晴らしいことじゃないですか!

自分が好きになれば、自分にふさわしいカラダが手に入る

万年肥満気味なワタシですが、何度か痩せたことがありました。

一度目は、15歳。10か月ほど寝たきりで入院していた間に10キロほど痩せました。(それでも世間的には一般体重です!)

ようやくベッドに座れるようになった時、鏡に写った私の顔は、自分の祖母にそっくりだったんです。

痩せたことはうれしかったんだけど、「おばあさんの顔になった」という衝撃は忘れません。やっぱり、ただ体重が減っただけでは美しくなれない。

二度目は大学生。テニスが上手くなりたくて、夏休み中テニスに明け暮れておりました。

秋になって、夏合宿の写真を見たら、足が細い! で、体重を測ったら、6キロくらい減っていました。

この時は、健康的に標準体重になったと思います。

「食べ物を気にしなくても痩せるときは痩せる」を体験したのは初めてでした。

「痩せたい」と思って減量できたわけでもない、というのも驚きでした。……その後、また体重は増えていったことを付け加えておきます!

三度目は……まだ来ていません。

今日も体重計に乗ると、「標準+」「肥満気味」のサインが出ます。

だけど、人の判断なんて知ったこっちゃありません!

私のカラダですから、私が好きならそれでいいんです!

スリム一神教から解き放たれたことで得た心の平安、それを楽しみたい。

ここ20年程、自分の目標体重は60キロだと思っています。この体重でさえ「理想」なので、なったことはありません。

あくまで目標です。分岐点は63キロで、ここを過ぎると自分でも、「鏡の中の自分」が好きになれない。少し食べ物を気をつけようと思う瞬間です。

「ありのままの自分のカラダ」を好きになるには、まず「ありのままの自分の人生」を肯定しなければ始まらない。

美味しい食べ物が好きで、運動より家でゴロゴロすることが好きで、マラソンなんかとんでもなくて、でもあらゆることに感動して、週に1回テニスで汗を流す。

この人生がつくりあげる自分のカラダを、時々鏡に写してニッコリできればいいんです!

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

「文豪、推敲する~名文で学ぶ文章の極意」(シリーズ「文豪たちの2000字 」より)

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