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私を幸せにしてくれる”ガラクタ”たち

私は古いものが好きです。器でも道具でも布でも古いものが好き。骨董に惹かれる一番の理由は、大切に受け継いできた人の温もりを感じるから。また時間だけが作り出すことのできる風合いに魅せられるからです。

以前は気が狂ったように古伊万里やアフリカの古い布を集めていたし、今も木製の道具類、見た人に必ず「これ何?」と聞かれるアフリカのドゴン族の梯子や李朝の家具などと暮らしています。今はアフリカの布を飾るスペースがないのが残念。

そもそも何百年も前の器や道具が 度重なる天災や戦禍を逃れて存在していること自体軌跡のようなものです。 特別な美術品でもない道具類が 今まで無事に生き長らえてきたのは それぞれの時代の持ち主が 大切に扱って来たからで、それだけで十分に尊い。

古伊万里は「いずれ娘たちに引き継げばいい」と自分に言い訳をしながら集めていたけど、残念なことに娘たちはまったく興味がありません。彼女たちはもっとモダンな器が好きなのよ。離乳食の時から古伊万里を使っていても、親と同じ趣味になるとは限らないのよねえ。

骨董というのは人の手から手に渡って時代を旅するものです。骨董好きはとかく収集癖があるものですが 、たくさん持っている人でも座右に置いていつも眺めていたいモノは そうはないと思う。 

私も上等なものからガラクタに近いものまで散々集めましたが 、結局手元に残っているのは どうってことのない、でも何だか好きな 幾つかのものだけ。 

なので、十分眺めて理解したら執着しないというのが私の主義です。骨董の長い長い時間の旅のほんの一瞬を共に過ごさせてもらったことを感謝して潔く解放する。無疵のまま次の人、次の時代にバトンタッチする義務があると思うんです。骨董って独り占めしてはいけないのよ。そんなわけで古伊万里は殆ど売ってしまいました。

骨董だけではなく、自分の大切なものが人の大切なものとは限りません。私は絵描きなので、うちには壁にも納戸にもたくさんの絵があるけど、これだって私にとっての宝物であって誰かの宝物とは限らない。私が死んだ時、娘たちに処分されてもこれは仕方ないと思っています。

だって、絵ってすごく嵩張るから描いた本人でさえ仕舞う場所に困っているのよ。それを娘たちに押し付けるわけにはいかないでしょ。だからとっとと捨ててしまっても構わない。ドゴン族の梯子もお気に入りなんだけど、これこそ貰っても困るものだわね。笑

それでいいのです。そういうものなのよ。私というフィルターを通して「美しいもの」と認定されたモノたちは、主をなくしたらただのガラクタです。でも、そんなガラクタたちが、今は私を幸せにしてくれるのよね。

やまざきゆりこ


[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ

娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。

墨絵&日本画 梨水
http://risui-sumie.sakura.ne.jp/wp/

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