
既読がつかない恐怖 〜50歳を過ぎたら応答セヨ〜
記憶力と妄想力の反比例
50代に差しかかると、人との連絡が「業務連絡」から「生存確認」に変わってくる。
かつてはLINEをスルーされても、「忙しいのかな。」で済ませていたのに、今や既読がつかないだけで「病気かも」「事故?」「いやまさか…」と勝手に命の危険まで心配してしまうのが、ウナタレ世代の悲しき性である。
たとえば、ウナタレの更新のために頻繁に連絡を取っている、編集長のウナギタレ子との先週のできごと。
互いの老眼を酷使しながら、「今週もなんとか生き延びたね!」と健闘を讃え合っては更新に勤しんでいるのだが、そんな彼女の連絡を私はうっかり数日間、完全スルーしていた。
(理由:老眼+バタバタしていて通知を見落とした)
そして、しばらくして気づいたメッセンジャーにはこんなメッセージ。
「返信がないから、何かあったのかと心配になっちゃったよ!」
そんな、大袈裟な〜と思ったが、「いや、わかる〜。私も思うわ。」という共感の方が、ややでかい。
そうなのだ。私たちはもう「ただの未読スルー」をクールに受け止められないご年齢なのだ。
逆に、こんなこともあった。
数年ぶりに仕事の依頼をしたくて連絡した、ちょっと歳上の60代のイラストレーターさん。
LINEをポチリ。
数時間待つ。半日待つ。翌日も既読がつかない。
私の脳内には菊池桃子が再生され始める。
♪ もう〜逢えない〜かもしれない〜
──もしかして、体調を崩して入院とか?
──まさか…?仕事の件を未読スルーするような人じゃないし・・・。(悪い妄想は加速する一方)
──それとも、気づかないうちに嫌われてしまった?(更年期あるある・被害妄想モード)
この“もしも”のスピード感と妄想力こそ、歳を重ねたBODY&SOULである。
結局、彼女とはその後に連絡がついた。
『最近目が疲れるから、LINEをあまり見ないようにしていたんだよね。』って、らしい理由で。
でも、そんな自分を笑えないのは、やっぱり心のどこかで知っているからだ。
“明日が当たり前に来るわけではない” ということを。
若い頃は、徹夜しても、風邪をひいても、人生はずっと続くと無邪気に思っていた。
でも、年を重ねれば重ねるほど、「予定外」の永遠の別れってあるんだなと実感する。
同世代を生きたタレントや著名人の突然の訃報。
お世話になった人たちとの突然の別れ。
そのあとに残る、頭では理解しているものの無情で静かな喪失感。
だから私たちは、いつのまにか慎重になり、いちいち深読みしすぎてしまうのかもしれない。
それは退化ではなく、人間の進化なんだと思いたいのだけれど。

命短し、恋せよ乙女。
そして気づくのだ。
後悔しないように生きること。
これこそが、ウナタレ世代の最重要課題なのだと。
50歳を過ぎたら、「いつかやろう」は「永遠にやらない」の同義語。
来世に持ち越しそうな『叶えたかった夢』の在庫たちは、早いとこ棚卸しして、バーゲンセールにかけるしかない。
だから──
朝からサブスクで「進撃の巨人」を観はじめてもいい。
家族から「どうせまた飽きるよ」と思われている家庭菜園をベランダで始めたっていい。
美魔女コンテストでドレスを着たって、誰も止めない。
自分にはできないと思い込んでいた起業をしたっていいし、
ポーセラーツ教室で謎の白磁を量産しても、それはそれでよし。
誰にどう思われようが、「後悔しないこと」を優先する。
やりたいことは、来月じゃなく今月中に。
行きたい場所は、来年じゃなく今年中に。
会いたい人には、自分から連絡して会いにいく。
それが、生きているってことなのだから。
さて、今日もメッセンジャーの通知が3件。
既読をつけることで、そっと生存を報告する。
生きてるわたしから、生きてるあなたへ。
応答セヨ。

[この記事を書いた人]ウナギタレ子・タレ美(Taleko/Talemi)
加齢応援マガジンUNATALE編集部
姉のタレ子1972年生まれ、妹タレ美1973年生まれの更年期姉妹。
夜な夜な子供部屋で聴いていた「オールナイトニッポン」が今の姉妹の人格形成に影響を与えている。「A面」よりも「B面」、「ゴールデン番組」よりも「タモリ倶楽部」を愛する、根っからの「裏面好き」。SNSには露呈しないウナタレ世代のリアルな叫びを届けたいと日夜、奔走している。
ポリシーは「Your nudge, no tale」(ウナギノタレ)=「理屈こねてないで動こうぜ」