21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち
そこにあなたの「居場所」はありますか?~第22週「女房に惚れてお家繁盛?」~
いよいよ寅子が航一の一家と同居を始めます。寅子みたいに「空気を読まない」人が「お嫁さん」(のようなもの)として他人と同居できるのか、花江は心配でなりません。私たちだって心配。中学生の娘を連れて、大学生の連れ子2人(男女)のいる男性と再婚同志というだけでも大変そうなのに、夫の母は後妻だし、複雑にもほどがある! 絶対何か、地雷を踏むに決まってる!
「お父さん」の笑顔に戸惑う実の子たち
航一は、長い間世捨て人でした。戦争で多くの人間を死に追いやった責任を自分のものとして受け止め、もう自分は死んだも同然、あとは「余生だ」と決め込んで、長らく自分の感情を封印していました。責任感の強いのは素晴らしいことですが、ここまでくると周りの家族はいい迷惑ですよね。それでも、彼らは「お父さんはそういう人」として受け入れていたのです。
ところが、寅子がその「封印」を解いてしまった。航一は、寅子の前では素直に笑うし、新しく自分の娘となった優未とも仲良し。パッと手をつなぐこともできるし、一緒に散歩しようともする。
実の子である朋一(井上祐貴)とのどか(尾碕真花)とは、散歩はおろか手をつないだこともなかった様子。楽しい一家団欒もなかったのですから、彼らは我が父親の変貌ぶりにびっくりしてしまうわけです。母親が生きている間も忙しくてなかなか家にいなかった。帰ってきても国家機密を扱う仕事だから、できる話は少ないし、常に緊張していた父親が、急に明るくなって「一緒に〇〇しよう」と声をかけてくる。戸惑いますよね。
そして、ジェラシー。
自分のお父さんなのに、新しい奥さんとその子どもの方がずっと打ち解けているという現実を、2人は受け入れられません。
自分の家なのに、自分と自分のお母さんがずっと前から住んでいる家なのに、すでに家庭の中心は寅子と優未。長いこと自分たちを育ててきた祖母の百合(余貴美子)まで、優未を猫かわいがりする。「自分の居場所」を奪われたような気になっても不思議ではありません。
百合も「居場所」を求めていた
寅子から「お義母(かあ)さん」とよばれ、優未から「おばあちゃん」と呼ばれ、百合は心からうれしかった。後妻に入ったとき、航一たちには無理に「おかあさん」と呼ばせないため、自分から「“百合さん”と呼んで」と言ってしまったためでした。
でも、百合はたとえ「おかあさん」「おばあさん」と呼ばれなくても、自分に子どもや孫にあたる存在ができ、なくてはならない存在として星家の家族の一員に迎え入れられたことを、とても幸せに思っていたのです。
彼女は航一の父親(平田満)とは再婚でした。初婚で子どもができなかったために「役立たず」とののしられ、婚家を追い出されたのです。(戦前は「嫁して三年子なきは去れ」「石女(うまずめ)」など、理不尽な言葉が横行していました)
だから「星家」は彼女にとって、大切な「居場所」でした。航一が寅子との婚姻を結ぶにあたり「星から猪爪に名字を変える」と言った時、もっとも反対したのは百合です。のどかが寅子と優未に反発して「この家を出る」と言ったときも一番強く止めたのも、百合。
百合にとって、「星家」は自分の居場所です。その家屋も、その家族も。全員が仲良く一緒にいられて初めて、そこが百合の居場所になるのです。
誰でもみんな、褒められたい
「だって百合さんも、優未ちゃんの方が可愛いんでしょ?」というのどかの言葉に、百合は答えます。
「だって優未ちゃんは私を褒めてくれるんだもの」
褒められたくてやっているわけではないけれど、褒めてくれるとうれしくなる。褒めてくれれば、もっと何かをしてあげたくなる。笑顔も増える。それが人情というもの。
お弁当をつくるにしても、お風呂を沸かすにしても、ひとこと「ありがとう」「おいしかった」があれば、人間関係は変わります。「やって当たり前」じゃ、家事や育児にしても、外で働いて家計を支えるにしても、男女関係なく心がささくれますよね。
「ありがとう」「おいしいね」「助かる」「上手だね」「素晴らしい!」
「あなたがいてくれてよかった」「さっきはごめんね」「頼りにしてます。またお願いね」
……そんな言葉が飛び交う場所は、だれにとっても心地よい「居場所」になるのではないでしょうか。
朋一とのどかの問題は、長い間封印されてきた「本当の思い」を吐き出すことで、解決しました。
「私は長い間、十分子ども時代を過ごさせてもらったけれど、あなたたちは子ども時代がなかったのね」
寅子はそうまとめていましたが、幼いうちからなんでも飲み込んで「そういうものだ」「しかたない」と受け止めてきてしまった兄妹。多くを望まないことで、さみしさを乗り越え、がっかりしないことを覚えてしまった兄妹。優等生すぎた2人が、ここからまた「子ども」としての居場所をつくれたら素敵ですね。
妊娠したら、「居場所」がなくなる?
百合とは逆に、「妊娠」が自分の居場所を奪いそうになったエピソードもありました。寅子の職場である家庭裁判所で、妊娠がわかった判事補の秋山(渡邉美穂)です。結婚して姑と同居、「孫はまだか」「仕事をするなら佐田寅子を目指せ」と両面でハッパをかけられながら、充実した毎日を送っていました。そんな折に妊娠。意気揚々と歩いてきた道が急に閉ざされてしまったように感じてしまいます。
「ひとの五倍頑張って、やっと、少しずつ仕事で認められるようになったのに……」
これは昭和30年代の話ですが、同じような悩みを抱いた人は、今の世にも多いのではないでしょうか。戦前の寅子も、同じ苦しみを味わいましたね。「母体保護」という観点から、よかれと思って退職を勧める人も多い中、「それでも働く」と決めること自体が「わがまま」ととらえられることもありました。
そして、1989年に始まった男女雇用機会均等法によって「総合職」になった人たちは、男性並みに昇進ができる代わり、男性並みに働く(残業も転勤もすべて)ことを求められました。女性が「男性と同じ」仕事をする上で、「妊娠出産」は、途中離脱を促す絶好の口実であり、そこを突破するには、さらなる覚悟を要したわけです。
常に「どちらか」を選ばなければならない辛さ
寅子は秋山のような裁判所で働く女性が妊娠しても、出産後にまた戻ってきて働き続けられるために、『育児期間の勤務時間短縮に向けての提案書』と『育児のための長期休暇取得の提案書』を最高裁事務総局に提出しようします。
「時期尚早だ」と桂場(松山ケンイチ)。そう、寅子にとって、桂場は常に「ジョーシキの壁」です。一般の人はどう考えるか。「フツー」ならどう対処するか。桂場は常にそこを言語化して寅子に提示します。
よね(土居志央梨)は法曹の世界で働く女性の一人として、寅子の提案に賛同し協力しますが、その発端となった女性が司法修習時代同期だった秋山だと知ると、「あれほど出世すると言っていたのに、これか?」と吐き捨てるように言いました。同性であっても、同じような職場で働いていても、そう思われるのが当時の意欲ある女性の立場だったのです。
このエピソードはフィクションで、寅子の実在のモデルとされる三淵嘉子さんがこうした試みをしたことはないとか。まあ、当時は「育児休業」という概念すらありませんでしたからね。つまり、「自分の手で育児がしたければ、仕事なんてやめろ」っていう感じの世の中だったわけです。
出産の前後に合わせて3か月程度の「出産前後休業」しか認められなかった時代はかなり長く続きました。私の時代も、元気な妊婦さんの多くは出産ぎりぎりまで働いて、できるだけ育児の時間を長くしようとしていたのを思い出します。
結婚か仕事か、育児か仕事か。休むなら出産前か、出産後か。女性はいつも、「選択」を迫られます。
「あなたの居場所」は「あなた」が決める
かつて、自分が妊娠した時、恩師の穂高教授(小林薫)は仕事を辞めた方がいいと言って寅子を憤慨させました。(第8週)
「世の中、そう簡単には変わらん」
「君の犠牲は決して無駄にはならない」
そういう穂高教授に言葉を、寅子は、
「私は今、私の話をしているんです!」と言って受け入れず、このことは、穂高教授の勇退祝賀パーティでの口論にまで発展するほど、子弟の間に禍根を残します。
だからこそ、自分と同じ辛さを後輩には味あわせたくない(もう苦しんでるけど)という気持ちから動いた寅子でしたが、当然ながら、それらがすんなり認められるような時代ではありません。
本人も、お腹が大きくなると不安でいっぱいになります。
「私、このまま辞めた方がいいんじゃないでしょうか?」
そんな彼女に、寅子は彼女に思いを託します。
「子どもを産んで、もっと家にいて子どものそばにいたいと思えば辞めればいい。でも戻りたいと思ったときに、あなたの居場所だけは作った」と。
この言葉は大切だな、と思いました。
出産とは、小さくかよわい命を生み出すこと。必ず健康に生まれてくるとも限らず、また、出産を機に、自分の体調も変化する可能性があります。産んでみなければわからないこと、たくさん。だから、「選択肢」として居場所があることは、とても重要なのです。
あとは、自分と、自分の家族で決めればいい。誰かのために自分を犠牲にする必要はない、あなたは、あなたの「今」を大切に生きていいんだよ、と。
現在、育児休業は3年認められていますが、1年で復帰する女性が多いです。
「3年も休んでいたら、居場所がなくなる」というのが、その理由の一つ。3年後に復帰したとき、会社のどこかで働くことはできても、同じ部署に「席」が残っているかどうか。仕事自体、3年もしたらまったく違うフェーズになっていてもおかしくありません。
「せっかく3年という枠がもらえたんだから、ちゃんと使わないと」みたいに考えなくていい。自分の「今」を大切にして生きよう。「先頭を走る人間の責務」に押しつぶされなくていい。……寅子の言葉の中に、そういうやさしさを感じました。 最近は、職場復帰しても在宅勤務を中心にするなど、育児と仕事を両立しやすい環境も徐々に進みつつあります。たくさんの女性たちが、どういう立場であっても、自分の居場所を自分で選べる時代が来ますように!
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」