大河ドラマを自分事として観る(3)
塗りつぶされた青春の志を持ち続けるには?
大河ドラマ「どうする?家康」、オープニングが変わっていることをご存知でした?
録画したものを、オープニングはスキップして観ている方、初回あたりで離脱してずっとご無沙汰の方、日曜日の夜8時に、3分だけ見てみてください。すごいことになってます!
「金の鎧」が家康の手を離れた
前回、「金の鎧は今川義元の唱える『王道』を引き継ぐ覚悟の印」という話をしました。その後、家康は三方ヶ原の戦いで惨敗。ドラマでは家康(松本潤)を落ちのびさせるため、夏目広次(甲本雅裕)がその金の鎧を身につけて、「我こそは家康なり!」と身代わりになり戦死、その首級は金の兜とともに敵将武田信玄のもとに届けられます。
あれ? 金の鎧、なくなっちゃう!
家康の、今川義元に対する思い、「王道」はどうなるの?
だいたい、「どうする?家康」のオープニングは、最後あの「金の鎧兜」が出てきて終わるのです。それこそ、「どうする?大河」の気持ちで次の回を見ました。
すると……。
なんと!オープニングC Gが変わっていたのです!
まさかのオープニングC G変更!
第一回を見た人は覚えているでしょうか。真っ白い背景に、薄碧のかわいらしい葵の若葉が、一つ、また一つ、と浮かび上がって楽しそうに跳ねている様子。
それが、ない! 色調が全然違う! 金色なのです。いぶしたような金をベースに、黒やら赤やら藍やら、暗めの濃い色が飛び交っていく。
こんなオープニングだったっけ?
音楽は変わっていない。だから、最初は自分の記憶違いか?と思いました。大河ドラマのオープニング映像が途中から変わったことなど、今までなかったように思うのです。主題歌とは「序曲」。序曲とは、単なる「始まり」ではなく、物語全体を予感させる作りになっているものです。
塗りつぶされた葵の若葉、そして金の鎧
私はいつも、「どうする?家康」を録画して見ています。そして録画を見る時は、時短のために「オープニングは飛ばす」派です。だから、正直いつからオープニングが変わったのか、わかりませんでした。録画していたものを確認すると、やはり、三方ヶ原の戦いが終わり、鎧兜が家康の手から離れた直後、オープニングが変更されていたのです。
ですから、これは、最初から考えられていたことだと確信しました。
何より、「すべてが変わっている」わけではない。逆に、「すべてはそのまま残してある」。
残したまま、その上に金色や黒や赤や藍を乗せ、上塗りするような形で見えなくさせていたのです。
これは何を意味するのでしょうか?
瀬名(有村架純)と出会った頃、人形遊びが好きだった家康少年の優しい心や、今川義元(野村萬斎)を尊敬し、武力でなく政治力で国を治める「王道」を目指していた、家康青年の志が、「カネ」の金色と、どす黒い暗雲と、「血」の赤い色で何重にも塗りつぶされていく。
時々、以前のC Gの細い線や、四季の移ろいなどが見え隠れするけれど、やがて判別できなくなる。以前は意気揚々として燦然と輝いていた金の兜は、ネガフィルムのように光と影が反転し、悲劇しか感じさせません。
また、今回の大河ドラマはナレーション(寺島しのぶ)にトリックが使われ、青年家康の臆病ぶりや戦略ミスによる辛勝を描きながら、ナレーションでは「真実を塗りつぶす」ような形で天下統一後の家康大権現を讃えています。
C Gの「塗りつぶし」は、ナレーションに継ぐ「塗りつぶし」であり、歴史書にあることを鵜呑みにしたり、人の心の中を安易に想像することへの警鐘ともなっています。
それでも家康は、「初志」を持ち続けられるのか?
大河ドラマは1年続きます。物語はようやく半分。6月は、ついに「築山殿」の事件に突入しています。信長の命が下り、家康の正妻・瀬名と長子・信康が自害に追い込まれたのは史実であり、これまで何度となく舞台や映画、ドラマに取り上げられています。
家康はこの苦渋の決断により、さらに「変貌」していくことでしょう。その時、「王道」を是とした志は、優しい心根は、失われてしまうのでしょうか?
「君子豹変す」という言葉があります。
最近は、「偉い人は保身のために手のひら返しをする」的な、悪い意味に使う人もいますが、元々は「位の高い者や徳を備えた人物は、時代の変化に応じて自らを改めていく。また、過ちがあればすぐに改める」という意味だそうです。
出典は中国の古典『易経(革卦)』で、「君子豹変す、小人は面を革む(あらたむ)」とあり、
「徳のない人は表面的に改めるだけだが、徳の高い人は、豹の毛が抜け替わり、斑紋が鮮やかになるように、過ちを改めて善い方に移り変わる」ことを指すとか。
また、「従面腹背」という言葉もあります。
こちらは「面従腹非」「面従腹誹」「面是背非」「面従背非」などが混じって定着したと言われていますが、いずれにしても「顔では従っているように見せて、腹の中では反抗している」という意味です。
家康は、「君子」なのか「小人」なのか?
「君子」として信長に仕えるのか、「小人」であったとしても、初志を忘れず「王道」を築くのか。
あなたの「初志」は、健やかに育っていますか?
誰かに真っ黒に塗りつぶされていませんか?
塗りつぶされても、握り潰されても、あなたの「若葉」は心の中にありますか?
このドラマ、最後の最後になるまで、家康の心の中は推し量ることができません。
最後まで、見届けていきます!
[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)
エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。
電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」