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21世紀を生きる君に「翼」はあるか?~朝ドラ「虎に翼」と女性たち

目の前にいる、あなたを救うために~第12週「家に女房なきは火のない炉のごとし?」~

寅子をずっと支えてきた母・はるが逝ってしまいました。母親の病床で「やだ! いかないで!」と大声で泣く寅子は、子どもに戻っていましたね。猪爪家の精神的支柱は、はるでした。だから寅子に限らず、はるがいなくなったダメージは大きい。まさに、「家に女房なきは火のない炉のごとし」。これからは、寅子と花江が猪爪家を支える番です。

「自分の人生に一つも悔いはない」と言い切るはるにとって、一つだけ心残りなもの。それは、「道男」の存在でした。

「人を救う」の理想と現実

寅子は浮浪児のリーダー格だった青年の道男に、家庭裁判所の調査で出会い、行きがかり上家に泊めることにしてしまいます。あからさまにイヤな顔をする子どもたち。戸惑う花江や道明。でも、はるは「泊まって行きなさい。いつまででもいなさい」と道男に声をかけます。

猪爪家の肝っ玉母さんがそういうのだから、皆は従います。でも、皆心からそうしたいわけではありませんでした。

この道男のエピソードを見て、思い出したことがあります。私が中学生くらいの時、ベトナム戦争がありました。戦乱の祖国を逃れ、たくさんの難民が海外に流出。いわゆる「ボート・ピープル」が、日本にもやってきました。

「大変だね」と同情する私に向かって、母は言いました。

「じゃあ、あの人たちをうちに泊められる?」

(え・・・・・?)

「あの人たちにしてみれば、この小さな家だって天国よ。廊下や洗面所にだって住めるわ。あなたの部屋だけで、10人くらい住めるわ」

(私の部屋・・・差し出す?)

「知らない人が、たくさんこの家に来るのよ」

固まってしまった私に、母は言いました。

「できないわよね。自分の生活は守りたい。人間、そういうものよ」

母は、戦後6人家族で親戚の家に居候していました。「救う」方ではなく「救われる」方だったわけです。その当時のことをあまり聞いたことはありませんが、色々と肩身が狭かったでしょう。勉学の道は諦め、すぐに働いたことだけは他の機会に話ししてくれましたが、私のこの能天気な同情心を、母はどんな思いで聞いたのでしょう。中学生の私には、これっぽっちも察することができませんでした。

あなたには、目の前の「一人」を救う勇気があるか

加藤周一という文筆家が、著作「私にとっての20世紀」の中で、孔子の話を例に挙げ、こんなことを言っています。

重い荷物を乗せて苦しんでいる牛を見た孔子は「この牛をなんとかしたい」と思う。しかし弟子たちは、「目の前の一頭の牛だけ救ってどうなる?」と言う。「荷物が重くて苦しむ牛は、この一頭だけではない」と。孔子は言う。「でもこの牛は、私の目の前を通った。だから助けたい」

加藤周一はこう結んでいます。

「行動に結びつくのは、理論ではなくて、感情。目の前の一頭を救いたいと思えなければ、何百万の命を語っても、それは単に言葉にしか過ぎない」

はるは、寅子が仕事で出会う戦争孤児たちの「悲惨」な状況を聞いてはいました。けれど、実際に道男という人間を目の当たりにしたときに、初めて「悲惨」のリアルを肌で感じた。だから、道男を救おうとした。はるにとって、道男は目の前を通った、具体的な、一人の苦しむ人間だったのです。

ドラマの中で、はるや花江が寅子の「話を聞いていた」時の、「かわいそうにね〜、なんとかならないのかしらね〜」という傍観者的なシーンをしっかりと描いていたところが素晴らしいと思いました。はるも最初から聖人だったわけではないのです。はるだって、傍観者だった。傍観者の自分を恥じて、一人の人間に手を差し伸べることは、並大抵のことではありません。だからこそ、私たちははるが大好きになる。変わることを厭わない人だから。一歩踏み出す勇気のある人だから。

死ぬ間際に赤の他人の道男をしっかり抱いて、「よくここまで独りで頑張って生きてきたね」「これからはあなた次第」「全てを拒んではダメ」と励ますはるには、誰にもマネのできないほどの愛情深さがありました。

正論は純度が高いほど威力を発揮する

「正論は見栄や詭弁が混じっていてはだめだ。純度が高ければ高いほど威力を発揮する」

これは桂場(松山ケンイチ)の言葉です。見栄や詭弁で覆い尽くされたような「正論」ばかりに辟易としていた桂場にとって、同じ正論でも「はて?」と純粋に理想を口にする寅子は、いつしか希望の光となっていたようです。そして、もっともっと「正論」を突き詰めてほしい、真の理想に到達してほしい、と思っているのでしょう。

でも、寅子にも迷いがありました。

はる亡き後、道男を引き取るべきか、否か。寅子は再会したよねに相談します。

不器用に尖って生きるよねと、寅子の間にはまだギクシャクした空気が漂ってはいるものの、戦争の惨禍を生き抜いた二人の絆は戻りつつあるのが感じ取れます。何より、よねのそばに、轟がいてくれるのは安心ですね。

とはいえ、常に悲観的な現実論者のよねにかかれば、道男の件も、

「他人なんだから、無理があるだろ」と一刀両断です。

でも寅子は食い下がる。

「生ぬるい理想でも、今できる一番を探したい!」

目の前の道男にとって、自分ができることは少ない。でも、今できる一番は何か。

人を救うということは、その人の苦しみを自分のものとして受け入れることでもあります。

一緒に苦しむこと。

その時点で、道男は寅子にとっても「他人事」ではなくなっている。「生温い理想」を突き詰めれば、それが「純度の高い正論」になるのかもしれません。

多岐川も言ってましたね。「愛が理想を越えて、奇跡を起こす」と。

戦争が終わっても、生きるか死ぬかの殺伐とした時代。誰もが自分のことしか考えられない時代。多くの人々は、食だけでなく、愛にも飢えていたのです。

仲野マリ


[この記事を書いた人]仲野マリ(Mari Nakano)

エンタメ水先案内人 1958年東京生まれ、早稲田大学第一文学部卒。
映画プロデューサーだった父(仲野和正・大映映画『ガメラ対ギャオス』『新・鞍馬天狗』などを企画)の影響で映画や舞台の制作に興味を持ち、現在は歌舞伎、ストレートプレイ、ミュージカル、バレエなど、年120本以上の舞台を観劇。おもにエンタメ系の劇評やレビューを書く。坂東玉三郎、松本幸四郎、市川海老蔵、市川猿之助、片岡愛之助などの歌舞伎俳優や、宝塚スター、著名ダンサーなど、インタビュー歴多数。作品のテーマに踏み込みつつ観客の視点も重視した劇評に定評がある。2001年第11回日本ダンス評論賞(財団法人日本舞台芸術振興会/新書館ダンスマガジン)佳作入賞。日本劇作家協会会員。

書籍「恋と歌舞伎と女の事情」

電子書籍「ギモンから紐解く!歌舞伎を観てみたい人のすぐに役立つビギナーズガイド」

YouTube 「きっと歌舞伎が好きになる!」(毎週火曜16時配信)

「文豪、推敲する~名文で学ぶ文章の極意」(シリーズ「文豪たちの2000字 」より)

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