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人生は母親が生きているときと亡くなったあとに二分されるらしい

ふと「ホタル!」と思いつき、去年もお世話になった伊豆自然村キャンプフィールドへ。

去年は友人たちとホタルキャンプを楽しんだが、今年は一人で。

ここ数ヶ月、友人たちとグルキャンはしていたがソロキャンプはかなり久しぶりだ。

私事だが、1月に母が他界した。

正直、母が嫌いだった。

もし母がクラスメイトだったら、絶対に友だちにはならないタイプだ。

反面教師という技でなるべく母のようにならないよう自分を律してきたつもりだったが、20代後半で部下を持った時、私の中の「母」と出会って震えた。

自分の感情をコントロールできなくなることに恐怖があり、子どもを持たないと決めていたが、たくさんの本と、猫と、私の周りにいる面白くて優しい友人たちのおかげで、自分の中にいる母と少しずつ折り合いをつけられるようになった。

奇跡的に自分も母になり、息子との生活の中で、満たされなかった子ども時代のあれこれを追体験することで、さらに母との分離ができたように思う。

が、母に対する恨みがなくなることはなかった。

そんな私なのに、自分でも驚くほど、母、という存在がいなくなったことに動揺していた。

ソロキャンプに行けないほどに。

ソロキャンは“ソロ”なのでどうしたって内省が進む。

現実と向き合うのが怖かったのかもしれない。

だって、気づいてしまったのだ。

自分のダメな部分を全部、母のせいにしてきたことに…。

母は幼い私にひどいことをしたし、私は傷ついていたけど、それよりもはるかに長い期間、私は母に反撃してきた。

「お母さんも、お母さん初めてだったから…ごめん」と、謝られたこともある。

それでも、私は母を許さず、チクチクと文句を言い続けていたのだ。

母も黙るタイプではないので、私たち母娘はしょっちゅう言い争いをしていた。それが私たち母娘のコミュニケーション。

年末も電話で大げんかした。隣の部屋にいた息子にまで電話越しの母(息子にとっては祖母)の声が轟くほど母親もスパークしていた。お互いに腹にあることを思いっきりぶつけ合った。

その直後に母の体調が崩れた。

母が入院したと聞いても、すぐに行かなかった。私の設定では、母は軽く95歳は生きる思っていたからだ。

そんな予想を裏切り、容態が悪いと弟から連絡があって、ようやく私が病院に行くと、そこにはチューブに繋がれて、会話ができないほど弱りきった母がいた。

しばらく呆然とした後、気づいたら、

「産んでくれてありがとう」

という言葉が口から出ていて、その言葉に自分が一番びっくりした。

それは、母への感謝の気持ち、

というよりも、

今の自分を肯定できた意味合いが強かったと思う。

母にはちゃんと届いたのだと思う。微かにうなづいたように見えた。

それから数時間後に母は旅立った。

***

今はわかる。

母は私を待って、

私にその一言を

“言わせてくれた”

ということを。

これからも生きていく私のために。

母の訃報を知った先輩の女性経営者からこんなメッセージをいただいた。

「人生は母親が生きているときと亡くなったあとに二分されます」

55歳。

どうやら自立の時を迎えているらしい。

[この記事を書いた人]おばキャン(Oba-kyan)

おばキャン

毎月1〜2度のソロキャンを楽しむアラフィー。離婚を機に、仕事仲間(女子)と中学生の息子と職住融合生活。起業して19年目。働く女性のハッピーキャリア&ナチュ婚を支援する学校を主宰している。
ソロキャン活動はtwitterで発信中。@obachan_camp

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