少女の私と白い鳩
このロゴをご存知だろうか?
正方形を赤と青で絶妙に切り取り収められたハトのマーク。我々ウナタレ世代であれば馴染みの深い人も多いであろうイトーヨーカ堂のシンボルだ。全く存じ上げませんという方のために説明しておくとイトーヨーカ堂というのは食品、日用品、衣料品まで幅広く販売している総合スーパーのことだ。
先日、タレ子と何かのきっかけでこのイトーヨーカ堂の話になったのだが、タレ子も私も幼少期の生活圏内にイトーヨーカ堂があったため、この話で多いに盛り上がった。
しかし、歳をとるとなぜにこんなにも懐かしい話をしたがるのだろうか。子供の頃、おじいちゃんやおばあちゃんの話す昔話に「またか・・・」とつまらなく思っていた事を申し訳なく思う。
ごめんなさい、歳をとると昨日のことは忘れるけれど30年前のことは鮮明なんだね。不思議。
というわけで、私たちのイトーヨーカ堂メモリーいってみよー。※以降ヨーカドーに略
私たちの“はじめて”にはいつもヨーカドーがあった
・洋服を買うのはだいたいヨーカドー
女子だからなのか、ヨーカドーの思い出と言えば洋服を買ってもらった思い出だ。当時は、何なら今もだけど、庶民は子供の洋服を伊勢丹や高島屋などでは買わない。私が洋服を新調してもらうのはいつもヨーカドーの子供服売り場だった。
その話をタレ子に話していたら「私の小学校の入学式の服もヨーカドーで買ってくれてさ、そしたら同じクラスに同じ服を着た子が自分以外に2人もいて。」という写真付きの鮮明な思い出トークが返ってきた。
そうなのだ。
これもヨーカドーの魅力のひとつ。誰かと服がかぶる。それって気まずいパターンもあるけれど、嬉しいパターンもあって、私は友人と示し合わせて同じ服を母親におねだりして買ってもらった記憶がある。今でいう「双子コーデ」ってやつだろう。
庶民が気兼ねなく、無意識に、おそろいを楽しめてしまう洋品店、それがヨーカドーだった。
・はじめて友人の誕生日プレゼントを1人で買いに行った
ヨーカドーにあったファンシーショップ(ちょっとかわいい文房具や雑貨を売っているお店)が私は大好きだった。貯めたお小遣いを握りしめて友人の誕生日プレゼントを1人で買いに行ったのを覚えている。
その話をタレ子にしたら「幼稚園の時に1人で電車乗り、2駅離れたヨーカドーに行って屋上で乗り物に乗って帰ってきたことを思い出した。」って。
え、幼稚園で?なかなか自立した幼稚園生だし、経緯が気になりすぎるわ。
そうそう、ちょとした乗り物がある屋上とかもあって、ゲームセンターとかもあったんだ。
・はじめてカツアゲにあいそうになった
そのゲームセンターみたいなところで、中学生くらいの男女に「お金持ってない?」って詰め寄られたのもヨーカドーだった。小学生だった私は咄嗟に走って逃げたのだが恐怖と初めての体験にドキドキしすぎて、帰宅して姉に報告しながらついヘラヘラと笑ってしまい「笑うところじゃない。」と窘められたのも今となっちゃ良い思い出。
【カツアゲ】どう考えても揚げ物みたいな言葉だけど、漢字だと「喝上げ」って書くらしい。若い子は知らないのかな?強者が弱者に対してお金とかを巻き上げることを言う隠語。良い子は真似しないでね。
・はじめてアメリカンドッグの味を知った
ヨーカドーには「ポッポ」というフライドポテトとかラーメンを食べられるファーストフードチェーンがあった。うちの近所のヨーカドーは小さなフードコートみたいになっていた記憶。今思えばとくにすごい美味しいものでもなかったんだけど(ごめんなさいポッポ)でも、アメリカンドッグからラーメン、今川焼き、焼きそば、たこ焼き、フライドポテトにソフトクリームやクリームソーダなんかもあって、ジジババから子供までみんなが食べられるものがある『家族の誰一人取り残さないSDGs』みたいなラインナップだった。
それにポッポって名前かわいいよね。何でポッポなんだろうと思ったら「店名はイトーヨーカ堂のシンボルの鳩に由来する」ってウィキペディアに書いてあった。へーーー!だからポッポ。かわいい。
・はじめて母が狼狽して泣く姿を見た
私の母はフルタイムで働きながら三人の子供を育てるワーキングマザーだったので、幼少期の記憶の中の母は常にわちゃわちゃと忙しそうだった。私たち娘は保育園の帰り道に立ち寄るヨーカドーで、いつも早歩きで食材や生活用品を購入する母に小走りでついていくそんな記憶。
時々、母が買い物に集中するとあっという間に閉店の音楽『蛍の光』が流れてきて、それを聞くとなぜか私は妙に切ない気持ちになって「ねえ、早く帰ろうよ。」と母を急かしていた。
記憶ではすごく幼い頃、まだ妹が3歳とか4歳だったと思うのだけど、おそらく保育園のお迎えの帰りにいつものように母が私たちを連れてヨーカドーに寄って買い物をして帰宅したら、小さな妹の手に買ってはいない小さなシルバニアファミリーのお人形が握られていたことがあった。母の買い物を待つ間のどこかで、まだ小さな妹が玩具売り場のものを持ってきてしまったのだ。私もその頃は幼かったので曖昧な記憶だけど、その握りしめられた人形を見た母は驚いて取り乱し、泣きながら妹をさとした。お店のものをお金を払わずに持ってきてはいけないということが妹はまだ理解できる年齢ではなかったのだけど、それがどれだけ重大で罪深いことか泣きながら幼い妹にさとす母を見て、なぜか私も一緒になって泣いた記憶。
そして母は妹と人形を持ってヨーカドーに戻り、頭を下げた。ヨーカドーの責任者は優しく許してくださったと後で聞いた。
私も親になった今だからわかる。
あの時の母の涙の理由。
まだ幼い娘へ向けた涙ではなく、自分の情けなさへの涙だったんだろう。毎日めいいっぱい仕事をして閉店間近のヨーカドーに駆け込んで脇目もふらずに夕飯の買い物をして、余裕なんて全くなかったはずで、自分が幼い娘をちゃんと見ていなかったからこんなことをさせてしまった、そういう自分の不甲斐なさへの涙だったんだろう。
市井の幸せを見守る白い鳩
ワクワクすることも心がキュッとなることも、多感な少女時代のはじめてがいっぱいつまった原風景、それが私の記憶の中のヨーカドーだ。余談だが、60歳を過ぎてその土地を引っ越すまで母はそのヨーカドーが大好きだった。夜の7時ぐらいになっても母が家にいない時はだいたい「ヨーカドーでしょ。」と私たち家族は思っていたし、その通りだった。
そんな日は決まって両手に持ち切れないほどの食材やら生活用品を買って満足そうに帰宅するのだった。よくそんなに毎週買い物をするものがあるもんだと思っていたけれど、当時の母と同じウナタレ世代になってみて、その気持ちがよくわかる。
働いていたとはいえ子供が3人もいるサラリーマンの母が伊勢丹などのデパートで大盤振る舞いする余裕はなかったはずで、彼女がストレス発散できるぐらい思う存分お買い物を楽しめる場所がヨーカドーだったのだろう。
店舗の屋上で大きな翼を広げているロゴマークの白いハトは、庶民の幸せの象徴なんじゃなかろうか。
(あえてロゴの由来は調べない)
そういえばタレ子も言っていた。「日曜日は家族みんなでヨーカドーに買い物に行ってさ、ステーキとか買ってちょっとだけ豪勢にわいわい夕飯食べていたのが思い出。」
幸せな記憶の断片、そういう市井の人々の「日常」をあの鳩が支えてくれていたことは確か。
人によってそれは、ダイエーだったりSEIYUだったりするのかもしれない。
ノスタルジーの中にあるヨーカドーのようなスーパーの思い出、ウナタレの皆さんの思い出も聞いてみたい。
[この記事を書いた人]ウナギタレ子・タレ美(Taleko/Talemi)
加齢応援マガジンUNATALE編集部
姉のタレ子1972年生まれ、妹タレ美1973年生まれの更年期姉妹。
夜な夜な子供部屋で聴いていた「オールナイトニッポン」が今の姉妹の人格形成に影響を与えている。「A面」よりも「B面」、「ゴールデン番組」よりも「タモリ倶楽部」を愛する、根っからの「裏面好き」。SNSには露呈しないウナタレ世代のリアルな叫びを届けたいと日夜、奔走している。
ポリシーは「Your nudge, no tale」(ウナギノタレ)=「理屈こねてないで動こうぜ」