2月1日、最後の記念日
最後とは
知らぬ最後が過ぎてゆく
その連続と
思う子育て
さっきから頭の中を静かに流れていく、この一句。
あのサラダ記念日で有名な俵万智さんが、「子育ての刹那な日々」を詠んだ短歌だ。
私は今、息子の志望校の入試が終わるのを待って、チェーン店の薄い珈琲をすすっている。今日は息子の中学受験、第一志望校の入試日だ。
それにしても、やけにあっけなく校舎に吸い込まれて行った息子の後ろ姿を思い出した。「頑張ってね!」という熱い声かけをしたり、「頑張るよ!」というような息子から気合の一言でもあるのかと思ったが、そんなこともなかった。
正直、この日のためにと言っても過言ではない数年間だったのだが・・・。
昨今の中学受験、経験者ならご理解いただけるとは思うのだが、そうではない方からしたら「アホちゃうか。」というくらい、長い時間を受験勉強に捧げ、娯楽やレジャーを排除し、今の小学生は受験に向かう。
やらせておきながら言うのもなんだが、何度も「アホちゃうか。」とは私も思った。
今の子、勉強しすぎだわ。
我が家はだいぶゆるかったとはいえ、それなりに家族全員がこの苦行(あえて苦行と書かせていただく)に耐えながら、息子の中学受験に向き合った。
なぜなら、息子にはどうしても行きたい熱望校があったから。
しかし、中学受験というストレスを親子で抱え、反抗期vs更年期という時期もあり、毎日が親子のブレイキングダウンと言っても過言ではなかった。
最後なら言ってくれ
昨日は最後の塾だった。
ほぼ休まず通っていた。成績は伸びなかったけれど。
最後のお弁当でもあった。
冷凍で済ませてしまったけれど。
生活に追われていると「これが最後だね。」なんてしみじみしていられないことばかりだが、子育ては一瞬を拾いながらアルバムに綴じておかなければ「あれが最後だったのか」ばかりが増えてしまう。まるで回収できない伏線ドラマだ。
今朝も、朝5時という慣れない早起きをしてバタバタと用意をしながら、受験の心構えについてアレコレと私が言うものの、息子の耳には念仏だ。
もう息子には、私の心配や注意は、あまり届かない。
それよりも、塾の先生からの心の整え方、父親の短いエールの方が腹落ちするのだろう。そう思うと、私の話をニコニコしながら聞いて「うん!そうだね!」なんて素直に言ってくれていたのはいつだったのだろう。
言っても言っても勉強せず、親子喧嘩ばかりしていたけれど、最後の2週間は、家族でテレビを観ていても「俺、勉強してくるわ。」と自室に戻っていくようになった。最後にバトルしたのはいつだっけ。
最後なら「今日が最後だよ、お母さん。」と言ってくれ。
「ありがとう。」の一言でも言わせてほしかったじゃないか。
うっとおしいくらい、あたりまえな子育ての日々は、決してあたりまえなんかじゃない。
二度とは来ない「最後」の積み重ねなんだろう。
私からパッと離れると声をかける暇もなく、さーっと志望校の校舎に消えていった彼の背中は、どうみても今までで一番、頼もしかった。
成長してたんだね、いつの間にか。
「もうここで、いいよ」と君が言ったから
2月1日、最後の記念日。
[この記事を書いた人]ウナギタレ子・タレ美(Taleko/Talemi)
加齢応援マガジンUNATALE編集部
姉のタレ子1972年生まれ、妹タレ美1973年生まれの更年期姉妹。
夜な夜な子供部屋で聴いていた「オールナイトニッポン」が今の姉妹の人格形成に影響を与えている。「A面」よりも「B面」、「ゴールデン番組」よりも「タモリ倶楽部」を愛する、根っからの「裏面好き」。SNSには露呈しないウナタレ世代のリアルな叫びを届けたいと日夜、奔走している。
ポリシーは「Your nudge, no tale」(ウナギノタレ)=「理屈こねてないで動こうぜ」