母と暮らせば
ある日、母から電話が架かってきました。「マンション売っちゃった! そっちに引っ越すから選んでおいた賃貸物件を見てきてくれる?」。
はぁ??? 何の相談もなしにマンションを売った? 私は呆れ、同時に不安になりました。母のお気楽な態度に腹も立ちました。
だって、実家のマンションはローンもなく管理費と修繕積立費だけ払えば暮らしていけたのです。
それに母はその時、自宅の目の前の会社で事務のパートをしていたので、そこに住んでいる限りは悠々自適のはずでした。
貯金もロクにないのに家を売っちゃうなんて、一体何を考えてるの? 収入がなくなって家賃が必要になったら年金だけで暮らしていけるわけないじゃん。
なんでそんな簡単な計算ができないの? 母が70歳位のときのことです。
後でわかったのですが、母が長年住んだ土地を離れる気になったのは、何十年もつきあっていた男性が亡くなったことを知ったからでした。
練馬にいる理由がなくなっちゃったのね。
当時、娘たちの部屋が空いていましたので、「売っちゃったものは仕方ないからウチに来て」と言いました。それ以外の方法は思い浮かばなかったのです。
それで想像もしていなかった母との同居が、突然始まったのでした。
それまで母とは良好な関係でした。週末に遊びに行ったり一緒に旅行に行ったり、普通に仲良くしていたんです。
別々に暮らしてたまに会う分にはまったく問題はありませんでした。
ところが、一緒に住み始めたらダメだった。本当に、全然ダメだった。
私はこだわりが強くて母はガサツです。B型同士でお互いに勝手に振る舞うから、私は母の一々が癇に障るようになってきました。
母は母で私をうるさい、疎ましいと思います。私たちの関係は日に日に悪くなり、ロクに口も聞かなくなっていきました。
1年ほど経ったある日、大事にしていた骨董の器を母が割りました。
「まったく、ガサツだからそうなるのよ!」という私に「そんな高いものを買うからいけないのよ」と開き直るのを聞いて私はブチ切れ、「やっぱり一緒に暮らすのはムリ!」。
母も言いました。「私もそう思う」。
良かれと思って同居を勧めたことで、母も私も嫌な思いをすることになりました。こんなはずではなかったのです。
仲良く暮らせると思ってた。結局、母はうちの近くに部屋を借りることになったのですが、それまで傍観していた妹に思い切り非難されました。
自分で呼んでおいて追い出すなんて酷いというわけです。
でも、母はうちから引っ越して1人になると、伸び伸びと楽しそうに生きていました。
ただ予想通り経済は苦しくなっていった。マンションを売ったわずかなお金なんて気前良く使っていたらすぐになくなります。
その後母はガンを患い、2度目の手術の後うちの2階に戻ってきました。
妹は口だけ出して手は一切出さず。きょうだいというのも当てにならないものです。
母は76歳で亡くなりました。何だかんだ言いながら最期まで母の世話をしたのは私でした。縁が深かったのかもしれません。
[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ
娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。
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