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「根拠のない自信」はウナタレ世代の杖になる

子どもというのは小さな大人です。大人の複雑な関係やそこに絡む感情など、全部わかってる。それに気づかないないふりをして黙って傍観する知恵もあります。

学校でも、先生の言うことをただ従順に聞いているわけでなく、疑問を持ったり反発したりしながら、事を荒立てるのは面倒だから黙っているだけだったりします。

両親が離婚して父がいなくなり、「母子家庭」というレッテルが貼られると、世間の目は差別的になります。

「あそこのウチの子と遊んではいけない」なんて言う親までいたりしてね。うちにはピアノがあったのですが、それさえ「母子家庭のくせにピアノなんか買って」と言われちゃう。そういう時代だったのです。

私は周りをよく観察する子どもでした。また物事を深く考える哲学的な子どもでもありました。

反骨精神も旺盛だったので、言われのない差別を受ける度に、小さな私は、「ふんっ、私は普通の子が経験できないことを経験できて得してるのよ」って思ってた。

なので、卑屈になることはまったくなかったのです。

勝気な母は仕事ができる人だったので経済的に困ることはなかったし、やりたいと言ったお稽古事はなんでもやらせてくれて、何かと目立つ私を自慢にしていました。

親が自分を自慢に思っていると自覚していることは、それだけで自己肯定感を育てるのに十分でした。

その上、自分で言うのもなんですが、私はとても利発で活発な子どもだったのです。勉強でも運動でもなんでもできたの。

だから「母子家庭」以外の部分でコンプレックスを感じることがまったくなかったのです。

そんなベースがあって成長していくわけですが、目立つ子どもは目を付けられます。

同じことをしても私だけ叱られたり、やってもいないことで責められたり。近所のおばさんにあからさまな意地悪をされることもありました。

それでも私は全然めげなかったのよ。本当に不思議なくらい根拠のない自信に満ちていたのです。

年長さんの頃、父が買ってくれた渋い深緑色のチャイナ服を着て幼稚園に行ったことがあります。髪を二つ分けの三つ編みにして耳の上でお団子にしてもらって。

中国人の子どもみたいなその格好がすごく嬉しくて、私はご機嫌で登園したのです。

すると男の子たちが私を見るなり「中国人だ〜!」って言いながら追いかけて来たの。男の子たちはちょっと意地悪な気持ちで追いかけていたんだけど、私は追いかけられながらすごく嬉しくて得意な気持ちで逃げていたのです。ああ、あの時のなんとも言えない気持ち!

私がそんな風だったのに、同じ環境で育った2歳違いの妹は自信のない子だったそうです。子どもの頃の2歳は大きいから、姉の私がとても大きく見えたのでしょうね。

「お姉ちゃんの様にはできない」「お姉ちゃんには敵わない」という刷り込みが生まれたときからあるので、そこを乗り越えるまでには相当な時間がかかったのだと思う。

私の根拠のない自信は長女に生まれたこととも関係あるのかもしれませんね。

根拠のない自信というのは、「自分という存在」に対する揺るぎない自信です。

なので「私はスタイルに自信があるのよ」という類の自信とは全然違います。

そりゃ、寄る年並みで容姿には何かとコンプレックスもありますが、ウナタレ世代がいつまでもそんなことをウダウダ言ってるのもダサいので、敢えて口に出すことはしないのよ。

やまざきゆりこ


[この記事を書いた人]やまざき ゆりこ

娘2人がまだ幼い30代前半のときに在宅ワークができるという理由でコピーライターになる。同時期に、伯母の勧めで書と墨絵を始め、以来文章を書くことと絵を描くことがライフワークに。6年前、思いつきで始めた日本画で色の世界にハマり、コロナ禍のおうち時間に身近な動物を描いていたらいつの間にかペットの肖像画家に。57歳で熟年離婚。現在はフリーペーパーのコピーライターをしながら、オーダー絵画の制作に勤しんでいる。着物好き、アート好き、美しいものが好きな1957年生まれ。

墨絵&日本画 梨水
http://risui-sumie.sakura.ne.jp/wp/

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